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新古今和歌集私撰:百人の歌人コミュの西行

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 西行は新古今に94首採られている。
新古今最多の歌人である。
 西行は幅のある歌人であり、その歌について
語るのはそれなりの準備がいると感じさせる人だ。
「山家集」を10年ほど前に読んだ程度で、
それ以降の歌集を眼にしていない。
ここではメモとして、感想を書いておこう。


 新古今の中で一番知られた歌としては、三夕の歌として
知られる次の歌だろう。

362こころなき身にもあはれはしられけり
         鴫たつ沢の秋の夕暮(秋歌上)

この歌について、次のような鑑賞がある。

「『鴫立つ』の意味が、単に『飛び立つ』のか、
『佇つ』の意味が含まれているのかよくわからない。
ふつうは『飛び立つ』の意にとるのが常識だろうが、
鴨が細い足で立っている情景も、結構絵に
なると思うのだが、どうだろうか。」
「鴨が佇立したまま、暮れていく沢に、身じろぎもせずに
いる、その姿の孤独をいいたかったのでは
あるまいか。仏と同行二人、少しも寂しくない
はずの法師西行が、はしなくも、秋の夕、薄暮の
なかにたたずむ鴨の、ぽつねんとした姿に、
忘れていた『寂しさ』をふいに身近に感じたのでは
なかったか。」
(尾崎左永子「古今和歌集・新古今和歌集」集英社文庫)

興味深い内容であり、歌の鑑賞としてよく出来ている。
では、西行の意図としてはどうであったろう。
実際は飛び立つと見るのが正しいと思う。
西行の歌は景色の詩情ではなく、その詩情が
なにかによって刺激を受けた一瞬の照り返しを
詠んだものが多い。
この歌も「沢の秋の夕暮」のもつ深い静的な詩情が
鴨が飛び立つ音で一瞬、破られる瞬間に
詩情が水面に波紋のように広がる様子を
詠んだと見るのが自然だと思う。
西行の叙景歌、叙情歌には音が歌の詩情を導き出す
きっかけとなっている歌が少なくない。

300あはれいかに草葉の露のこぼるらん
       秋風立ちぬ宮城野の原(秋歌上)

538松に這うまさの葉かづら散りにけり
       外山の秋は風すさぶらん(秋歌下)

585秋篠や外山の里やしぐるらん
       生駒の嶽に雲のかかれる(冬歌)

625津の国の難波の春は夢なれや
       蘆の枯葉に風渡るなり(冬歌)

音は言葉の上で表現されていなくとも、「時雨」や
「風」として歌の中に組み込まれ、音はしばしば
静的な風景の一角のバランスを崩す動的な要素
として描かれている。

        *

 西行を特徴づけるのは、その豊かな内省力である。
イメージを形作る力や言葉に色合いをもたらす力や
凛としたたたずまいなどでは他にも優れた歌人は
いるが、その内省力は古今集以来の多くの歌人の
中で群を抜いている。
ほかの宮廷歌人とは異質だとさえ言っていい。
新古今の編者である後鳥羽が「まねびなどすべき
歌にあらず」と言ったのも、この内省力であっただろう。

 その桜を愛したエピソードはよく知られているが、
新古今の春歌に採られている歌には花の美しさを
詠んだ歌は見当たらない。花を詠んだその歌は
いつも花に酔う自身の背中を詠み込んでしまう。


8よしの山さくらが枝に雪ちりて
        花おそげなる年にもあるかな(春歌上)

86よしの山こぞのしをりの道かへて
        まだ見ぬかたの花をたづねん(春歌上)

126ながむとて花にもいたくなれぬれば
        散る別れこそかなしかりけれ(春歌下)

1471世の中を思へばなべて散る花の
        我が身をさてもいづちかもせむ(雑歌上)

1619吉野山やがて出でじと思ふ身を
        花散りなばと人や待つらん(雑歌中)


花を詠む歌としては中途半端で、自身のあり方が
花の美しさを覆ってしまう。
花を純粋に詠むには西行の内省力を核とした詩心は
なじまなかったのだろう。
その意味では「山家集」の「願わくば花の下にて
春死なんその如月の望月の頃」は、
自身の背中を詠みながら花の美しさを詠む
西行の花の歌のスタイルが活かされた作だったと
いえる。

 西行は感性と内省力とにかみ合わないものがあったらしい。
この感性と内省力との乖離はしばしば西行に自己嫌悪を
もたらしたように読める。

1748数ならぬ身をも心の持ちがほに
         浮かれてはまた帰り来にけり(雑歌下)

その乖離は恋愛において顕著に現れたとおもわれる。
内省力は意識過剰となって現れ、空回りを強いただろう。
その気持ちが次のような歌を生んでいる。


1099はるかなる岩のはざまにひとりいて
          人目思はでもの思はばや(恋歌二)

1155逢ふまでの命もがなと思ひしは
          くやしかりけるわが心かな(恋歌三)

1230あはれとて人の心のなさけあれな
          数ならぬにはよらぬ嘆きを(恋歌三)


 この内省力がどう生きるかという課題と
結びついた時、西行は北面の武士という
身分と妻子を捨てて出家という道を
選択させたのだろう。
西行は思想詩というべき多くの歌を残して
いて、どう生きるべきかとか、悟りを目指す
気持ちを、仏法の教えと抽象的な思考とを
ないまぜに詠んでいる。
求道家としての作者と歌人としての作者とが
重なるようで重ならないきりもみ状態の
ような歌が多い。結果として歌はやせて
いく。
西行はそこに矛盾を感じていたはずだ。
後鳥羽は新古今の最後を西行の次の
歌で終えている。

1978闇晴れて心の空に澄む月は
         西の山べや近くなるらん(釈教歌)

つまらない歌だと思う。
新古今和歌集という大歌集の最後を飾るにふさわしい
歌かというと首を傾げる。
求道の日々の中にはときに悟りを得たと
感じられた時もあっただろう、
1978の歌はそんな時に作られた歌だろう。
その感性と内省力に、安易な一時の悟りに
安住する人間の殻から西行ははみ出ていた
ように見える。
こういう歌を西行は後日、苦い思いで
振り返ったのでは。
新古今の編集長である後鳥羽には西行のそんな様子は
見えていなかったかもしれない。
1978のような凡作を新古今の最後に据えるところに、
後鳥羽と西行との人としてのすれ違いをみるようだ。

 個人的には、日々の暮らしの中でおもわず口から
出たような、次のような歌が好きである。

627寂しさにたへたる人のまたもあれな
         庵ならべん冬の山里(冬歌)

1307あはれとて訪ふ人のなどなかるらん
         もの思ふ宿の萩の上風(恋歌四)

1660山里は人来させじと思はねど
        訪はるることぞうとくなりゆく(雑歌中)


987年たけてまた越ゆべしと思ひきや
        命なりけりさやの中山(騎旅歌)


 

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