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新古今和歌集私撰:百人の歌人コミュの紫式部

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661ふればかく憂さのみまさる世を知らで
         荒れたる庭に積る初雪(冬歌)

「初雪が降っている。
純白な姿で、つらい嫌なことばかりの多い世と
知らないで地上に降っている。
庭の上に積もり、見違えるように変えてくれるけれど、
その庭も実は荒れすさんだままなのに。」という
歌であろう。
紫式部は夫との死別や親友の死や宮使いで周囲から
ねたみ、そねみを受けたことに深く傷ついたようだ。
暮らしも楽ではなかったと思われる。
「ふれば」が「世に経る」と「降る」とにかけられていて
歌の沈んだ調子が濃密な雰囲気を作っている。
式部はほかにも世を厭う歌をいくつか残しているが、
この歌は雪の降るリズムと沈んだ気持ちとが
きれいに調和した歌になっている。

 紫式部は千載集に9首、新古今集に14首採られている。
八代集抄に定家は4首選んでいる。
「源氏物語」は与謝野晶子の現代語訳で読んだだけだが、
紫式部の歌は前から気になっていた。
この機会にと紫式部集を読んだが、なんどか読み返し
て、作者の詩心らしいものが受け止められなかった。
歌ごとに見ていけば、それぞれ良い歌だと思いながら、
そこから紫式部の詩心は見えてこない。
「詩心が見えてこない」とはどういうことか
詳しく書く準備はないが、詩人として核となる
原型が見えてこないという意味であり、
また、散文で言えば文体ともいうべき、歌の中の作者の
持つリズムが明瞭には感じられないということだと思う。
これには首を傾げた。
あるいは、わたしの好みの問題かともおもったが、
安東次男の「百首通見」に、こんな記述を見つけた。
安東は「百人一首」に採られた「めぐりあひて 
見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の
月影」についてこう書いている。

「ずいぶん久しぶりに会った幼馴染が、おしゃべりに
時を移し、気がついて慌てて帰っていったという経過と、
のこされた人の味気なさとを、三十一文字の中で
かなり的確に表現していて、そこに七夕も過ぎ
仲秋の名月にはまだ間のある初秋上弦ごろの
月のものたりなさをも言外に現しているところ、
詩人の歌というより、やはりこれは小説家の
こまかな観察眼というべきだろう。」
(「百首通見」ちくま学芸文庫)

安東はそれ以上、筆を進めていないが、詩人でも
あった安東は恐らく紫式部に詩人とは別の資質を
感じたのだと思う。
「資質」とはもって生まれたという意味ではなく、
歌人として出来上がった資質という意味だ。
学者であった父が兄に漢籍を教えていると、
兄よりも先に覚えてしまい「この子が男であった
なら」と嘆いたというエピソードを日記に
書き残している式部だが、恐らく式部は
歌もそのように習ったのだろう。
式部はその歌作りの初期において、いわば学問と
同じ位置で歌を習い歌作りに励んだのだろう。
自分の中にたまるものを歌を詠むことで解放する
ことが出来ると発見し、詩作が行為として
定着していったという経験を経る前に、学問として
歌作りを覚えたのかもしれない。
こと詩作に関しては、歌学の勉強は歌人としての
式部にプラスを与えるだけだったろうか。
歌を作ることに楽しさを感じて自然発生的に
歌の世界に入っていくという道筋を消して
しまうことはなかっただろうか。
(印象で言えば)和泉式部はまさにそういう道筋を
経て歌人になっていった典型的な人であり、紫式部も
この歌詠みとしての資質の違いを直感的に自覚
していたからこそ、日記で和泉式部を嫉妬まじりに
辛らつに書いたのだろう。

 誤解は避けたいが、紫式部の歌がつまらないと
いうのではない。
個々の歌はさすがに格調高く、完成度の高い、
隙のない歌を作っている。
時に深い無常感が垣間見えるし、例えば
「数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは 
心なりけり」などは安東の言う「観察力」が内面に
向けられた歌であろう。新古今2000首の中でも
「観察力」という点で屈指の歌かと思う。
式部集は、多くの個人歌集がそうであるように、
個人史的な性格が強い。
自分に起きた出来事を直接、叙述するのではなく、
その出来事の周辺で詠んだ歌を通して、記録として
いる。
親友だった小侍従の死を悼む歌や
姉妹をちぎった相手が遠地に行き離れ離れに
なった様子を詠んだ歌など、記憶に残る歌が
いろいろある。
同じように自分の人生を詠みながら、式子内親王ら
新古今の歌人たちのような自己ドラマ化の陶酔を
感じさせないのは、「観察力」の力量の違いであろう。
紫式部の歌は隙のない完璧な仕上げを思わせ、
幾分気詰まりな感じさえするほどだが、そのことが
結果として言葉や歌に余情を薄くしている面がある。
そういう意味では次のような歌には、作者の意図とは
別に、素朴な味わいが感じられて好きな歌である。

「近江の水海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て」

三尾の海に網引く民のひまもなく立居につけて都恋しも

「塩津山といふ道のいとしげきを、賤の男(を)の
あやしきさまどもして、『なほ、からき道なりや』と
いふを聞きて」

知りぬらむ往来(ゆきき)に慣らす塩津山
世に経る道はからきものぞと


       *

 俊成がなにかで紫式部を歌人としては評価しないような
言葉を残しているとなにかで読んで、変なことを言うなと
思った。
俊成の編んだ「千載和歌集」に採られた次の歌が好きだった。
式部集を読んだ後も、この歌が式部の中では最良の作ではと
思う。

977 露しげき蓬(よもぎ)が中の虫の音を
       おぼろけにてや人のたづねむ 

この歌は俊成や俊成女らのミクロ的なイメージを
重ねる手法の源流と似たものがあるように思え、
俊成らは紫式部から影響を受けたのだろうと
思っていた。
今回読んだ式部集の中には、この歌に見られる
細かいイメージを重ねた手法は他には見当たらなかった。
式部が俊成に影響を与えたという見方は
正しくないのかもしれない。

以前、この歌について書いた文章をあげておく。


977 露しげき蓬(よもぎ)が中の虫の音を
       おぼろけにてや人のたづねむ 


「露深い蓬が雑草のように茂る中、虫がかすかに
鳴くように暮らすわたしのような者をわざわざ訪ねて
くれるというあなたの深いお気持ちに感じ入っています」
という大意であろう。

この歌を読んで、最初は俊成の優等生のような歌作りだと
思った。
前半の五・七・五は、イメージを次々に重ねながらその
ひとつながりでまたひとつのイメージを作り出す、まるで
葡萄の房のような歌づくりで、その言葉の一粒一粒に
味わいがある。そこには、漢詩を思わせる奥深い詩情さえ
感じられる。作者の素養の深さであろう。
しかし、後半の七・七には一転して、作者の思いが一気に
あふれている。
「おぼろけにてや人のたずねむ」は直訳すれば
「かりそめのいいかげんな気持で人がわざわざ
訪ねてくるものでしょうか」という意味。
ありふれた反語法だが、この歌では作者の気持の高ぶりが
伝わってくる。
俊成はこんな素直な歌は作っていない。歌の向こうに、
涙を流す作者の顔が目に浮かぶようだ。
一見、技法を感じさせる歌作りのようで、技法と歌の心が
見事に一体となっている。

脚注は「露しげき蓬が中」を「夫と死別し宮仕えからも
離れた涙がちな」境遇と書いている。
この歌には「上東門院に侍りけるを、里に出でたりけるころ、
女房の消息のついでに、箏(そう)伝へにまうでんといひて
侍りければつかはしける」という前書きがある。
「宮廷に使えていたのをやめて里に戻っていたころ、
ある女房が手紙を寄越し、箏を習いに伺いたいと
言って来たので返事として送った」という意味か。
箏とは「十三弦の唐琴」と脚注にある。
「虫の音」とは箏の音を踏まえたものであろう。

「露しげき蓬が中の虫の音」の「中の」という言葉使いが
生きている。蓬が生い茂る庭の様子が「露しげき」という
言葉と共に読者に広がった直後に「蓬が中の虫の音」と続けて
一気に視線を小さな虫が草の陰で鳴いている姿に持ってきて
いる。
作者の心細く、みじめな気持がピンポイントに照らされた
ように浮かんでくる。

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