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チベットを知るための夏コミュの【ダライラマ法王インタビュー】

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ダライ・ラマ法王の提言、スピーチ、インタビュー、メッセージを張りまくります。
過去を遡るとあまりにも膨大な量なので、2008年3月10日前後のものから始めます。


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 ダライ・ラマ法王の声明 2008年3月14日
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 平和的な抗議行動に続いて、この数日、ラサをはじめとするチベット各地で発生
 している事態に深い懸念を抱いています。これらの抗議行動は、現行の中国統治
 下で、チベットの人々の心に深く根ざしてきた憤りのあらわれです。

 これまで絶えず申し上げてきたように、武力行使による統一と安定は一時的な解
 決にしかなりません。武力支配下にあっては統一と安定を期待するのは非現実的
 であり、平和的、永続的な解決策を見いだす助けとなることもありません。

 したがって、私は、中国指導部に対して、武力の行使を中止し、チベットの人々
 との対話を通して、長年鬱積してきたチベットの人々の憤りに本気で取り組んで
 くださるよう訴えます。また、同胞のチベット人に対して、暴力に訴えないよう
 強く求めます。

 ダライ・ラマ

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コメント(58)

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ダライ・ラマ法王の声明 2008年4月6日
〜チベット人のみなさんに向けて〜 インド、ダラムサラにて
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チベットにおられるチベット人のみなさんに心からのご挨拶を申し上げ、私の
考えを共有させていただきたいと思います。

1. 今年の3月10日以降、チベットのほとんどの地域で抗議行動やデモ行進が
行われ、中国本土においてさえも、いくつかの都市で学生が抗議行動を行ない
ました。私はこれを、チベット人が長年こらえてきた心身的苦悶、宗教の自由
の不在をはじめとする権利の抑圧、「チベット人は中国共産党を”活仏”とし
て見ている」などあらゆる場面において極左的、漢優越主義的に真実がゆがめ
られることに対する深い憤りが爆発したものだとかんがえています。私は、
平和的にチベット人の志を表明するために行なわれていたデモ行進が武力弾圧
され、チベットの騒乱が生じ、多くの死者、そしてそれを上回る数の逮捕者、
拘禁者、負傷者が発生していることを非常に哀しみ憂慮しています。このよう
な抑圧や苦しみはじつに嘆かわしい悲劇であり、思いやりのある人ならだれも
が涙を流すでしょう。しかしながら私は、このような悲劇的な事態に直面し、
どうしようもない無力感を感じています。

2. 私は、この度の在の危機の間に命を失ったチベット人同様、中国人にも哀悼
の祈りを捧げています。

3. この度のチベット全土における抗議行動は、「若干の"反逆分子"を除く大部
分のチベット人は満足した生活と繁栄を享受している」という中華人民共和国
のプロパガンダを否定してきただけでなく打ち砕いてきました。これらの抗議
行動は、ウ・ツァン、カム、アムドの三地域のチベット人が同じ願いを抱いて
いることを明確に示す結果となりました。また、チベット問題がもはや無視し
ておけない問題であることを世界に知らせることにもなりました。これらの
抗議行動は、「事実から真実をみつける」ことを通して問題を解決していく方
法をみいだす必要があることを浮き彫りにしています。チベットの人々のため
にすべてを投げ打って深い苦悶と希望を表明した人々の勇気と決意は、世界中
の人々の心に届いていますし、世界中の人々がそのようなチベット人の神を
支援してくださっています。

4. 政府職員、共産党幹部として働いているチベット人の多くがチベット人とし
てのアイデンティティを失うことなく、この度の危機のなかで良心と勇気を
見せてくださっていることに私は深く感謝しています。政府職員、共産党幹部
として働いているチベット人のみなさんには、今後は個人的な利益を追求する
のではなく、チベット全体としての利益を護っていくよう、チベットの人々の
ほんとうの気持ちを上司に報告し、チベットの人々に無作為のガイダンスを
行なっていくよう呼びかけたいと思います。

5. 世界中の大統領、首相、外務大臣、ノーベル賞受賞者、議員、一般市民が、
現在も続けられているチベットの人々に対する厳しい弾圧をただちに中止する
よう明確な力強いメッセージを中国政府に送ってくださっています。このよう
なメッセージはすべて、中国政府が中国とチベットの双方にとって有益となる
解決に到る道を歩めるよう後押ししてくれています。私たちは、そのような
人々の努力を無駄にすることなく前向きな結果を生んでいくべきなのです。
みなさんがそれぞれに抑えようのない怒りを感じているのは承知しています。
しかし、あくまで非暴力を貫くことが大事なのです。

6. 中国当局は、私と中央チベット行政府がこの度のチベットでの暴動を煽動
し、指揮していると主張していますが、これは完全に事実に反しています。
私は、この件に関して、しかるべき独立した国際機関による調査を行なってい
ただくよう繰り返し呼びかけてきました。そのような独立した機関が真実を
明らかにしてくださると私は確信しています。中華人民共和国は、自らの主張
を裏づける証拠があるならば、それを世界中の人々に開示しなければなり
ません。ただ主張するだけでは不十分なのです。

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7. チベットの将来については、私は、中華人民共和国という枠組み内で解決
を図ると決意しています。1974年以来、私は、チベットと中国の双方にとって
有益となる中道のアプローチを真摯に貫いてきました。このことは世界中の
人々がご存知です。中道のアプローチとは、すべてのチベット人が自治区と
いう字義通りの権利を享受した行政機関によって統治されることであり、外交
と防衛を除くすべての問題を自らの意思で決定できる国家的地域自治がある
ことを意味します。しかしながら当初から申し上げているように、チベット
の将来を最終的に決める権利は、チベットにおられるチベット人のみなさんに
あります。

8. 今年開催される五輪の開催国となることは、中国の12億人の人々にとって
大きな誇りです。私は、極めて当初から北京で五輪が開催されるよう支持して
おりました。その姿勢は、今も変わりません。いかなる妨害となるようなこと
をもチベット人はしてはならないと私は思っています。自由と人権のために
立ち上がることはすべてのチベット人に認められた権利です。しかし、中国
の人々の心に憎しみを生むようなことをしてはだれのためにもなりません。
暴力と威嚇の上に調和ある社会が築かれることはないのですから、私たちは、
心のなかに信頼と敬いの念を育むことで調和ある社会を築いていく必要がある
のです。

9. 私たちの苦しみは、中華人民共和国の指導部の一部に由来するものであり、
中国の人々に由来するものではありません。ですから私たちは、誤解を招く
ようなことや中国の人々を傷つけるようなことをしてはなりません。このよう
な困難な状況にありながらも、文筆家や法律家など見識ある中国人の多くが
中国本土や外国から声明を出したり、記事を書いたり、支援を約束してくだ
さるなどして私たちと団結してくださっています。私が、2008年3月28日に
世界中の中国人の人々に向けて発表した声明については、みなさんもご存知か
と思います。

10. 現在のような状況がチベットで続くなら、中国軍はさらなる武力行使に
踏み切り、チベットの人々をいっそう弾圧するのではないかと私は非常に憂慮
しています。私は、チベットの人々に対する道義的責任から、チベット全土に
おける弾圧をただちに中止し、軍隊と警察を撤退させるよう中華人民共和国の
首脳に繰り返しお願いしてきました。それが実行されたあかつきには、私も
チベット人に抗議行動を中止するよう呼びかけると申し上げてきました。

11.チベットの外で自由な生活を送っておられるすチベット人の同胞には、
チベットでの事態に対する気持ちを発言される際には最大限の注意を払う
よう強く求めたいと思います。
私たちは、たとえ間接的にでも暴力と受け取られかねないいかなる行為をも
すべきではないのです。たとえ耐え切れない怒りに駆られているとしても、
私たちが育んできた深く尊い価値を傷つけるようなことをしてはならないの
です。私たちは非暴力の道を成就できる、と私は固く信じています。私たちは
賢明であらねばなりません。これほどに先例のない愛情と支援を世界中から
いただける理由はどこにあるのか、理解していなければなりません。

12. 現在、チベットは事実上封鎖されており、外国の報道機関がチベットに
入ることは禁じられています。このメッセージがチベットにおられるチベット
人のみなさんに届くかは疑問です。しかし私は、このメッセージがメディアを
通じて流され、口伝えに伝えられ、大多数のみなさんのもとに届くことを願っ
ています。

13. 最後に、チベット人のみなさんに繰り返し呼びかけたいと思います。
事態がいかに厳しくとも、非暴力を実行し、非暴力の道から外れないでくだ
さい。

ダライ・ラマ

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ダライ・ラマ法王記者会見 全文 2008年4月10日
ヒルトン成田にて
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■ダライ・ラマ法王

私からは特に何もございません。こちら、日本には立ち寄った次第です。
この後、アメリカを訪問する予定です。これから2週間かけてです。

主にいつもそうであるように、私は3つのコミットメントを掲げて参ります。
その一つ目、人間として、人間の価値を推進しに参ります。価値とは何なの
か、それは思いやりのある心(慈悲心)でございます。信者であろうがなか
ろうが、我々は人間である限り、体があります。ですから、思いやりのある
心を持つこと、そうすれば、より調和の取れた心身となります。思いやりの
ある心を持てば心身ともに健康になります。
科学者も、実は、研究をしていると伺っています。明らかな証拠があるとい
うことです。心の平和というのはとても有意義だということです。心身の為
になるということです。それが一つ目のコミットメントです。人間の価値を
推進したいと思います。良識、経験、そして科学的な研究結果をふまえての
推進となります。

二つ目のコミットメントですが、仏教の僧侶として、私は、調和、様々な宗教
間で推進して参りたいと思います。

今回のアメリカ訪問の主な目的は、向こう2週間、この2つのことを推進して
参ります。

そういったことから、本質的に政治的な目的ではありません。
そこで日本に立ち寄りましたが、特に申し上げることはございません。

とはいっても、皆様、ここに大勢いらっしゃいました。好奇心からなのか、
それとも懸念をお持ちなのか、なぜいらしたのかは様々な理由があると思い
ますが、いずれにしても揃っていらっしゃることは確かです。そういった
ことで、(これからの時間は)皆様にお任せします。 こちら側から、いかが
でしょうか。

■ 質問者

 ありがとうございます。ご指名いただきまして。TBSニュース23の後藤
謙次と申します。今世界各地で北京オリンピックの聖火リレーをめぐって大き
な混乱が起きていますけれど、これについて法王はどうお考えでしょうか?

■ダライ・ラマ法王

 最初から私は、そもそも当初から、中国があの有名なオリンピックゲームを
主催することを支持して参りました。といいますのも、中国というのは世界で
最大の人口を有しています。また古くから在る国家であるからです。そういっ
たことから、主催国になることは当然のことだと思います。最近のチベットに
おける残念な出来事があったにも関わらず、私の考えは変わりません。

 それこそ、トラブルがロンドンやパリで起きました。これを受けて私は
メッセージを出しました。サンフランシスコにいるチベット人に対してです。
決して暴力的な行為はしないで欲しいと言いました。
気持ちを表現することは自由だと思います。誰も「黙れ」という権利は持って
いないと思います。それは個人の権利だからです、そうですよね。
それこそ、チベット問題の原因の一つは言論の自由がないからです。それが
諸悪の根源です。ですから我々は民主主義を推進し、言論の自由、考えの自由
を推進しています。そういったことから、チベット人の中でも私のことを
非難する人もいます。私はそれを歓迎します。非難する権利を持っているから
です。私は彼らに「黙れ」という権利はないのです。
一方で表現の仕方は非暴力的であるべきです。それは申し上げました。
それこそ、おととい、私はこのようにメッセージを出しました。でも昨日起き
たことは私は実は(まだ)知らないのです。昨晩、デリーから飛んで来て眠っ
ていましたから、サンフランシスコの状況は把握していません。

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■司会者

 中国のオウさん、どうぞ。

■ 質問者

 ニンハオ。

■ダライ・ラマ法王

 ニンハオ。ニンハオ。

■ 質問者

 私、自由アジアのオウです。去年、一緒に法王様と会いました。今、そうい
うことあって、信じられないことありました。法王様、中国人に対して、まだ
何か、アピール、意見はありますか。

■ダライ・ラマ法王

 危機の起こった直後、チベット自治区に入って、一部の人たちは我々が反
中国だという印象を作り出したのです。ですから私は、中国の兄弟姉妹に訴え
をしました。世界中の中国人、特に中国の方々に対してです。既にこの紙を受
け取っていらっしゃると思いますが、私は訴えをしたんです。それを繰り返し
ます。我々は反中国ではありません。我々は中国の一部として、チベット自治
区が留まることを決意しています。ですから、経済的な発展に関する限り、私
たちは大きな利益を得ることができるのです。
一方で我々は非常に独特の文化的遺産があります。言語も、非常に豊かな仏教
のナーランダの伝統も含まれています。すべての人々がチベット仏教はこの
ナーランダの伝統の純粋な仏教であることをよく知っています。ですから、
チベット文化、チベット仏教、チベット言語を含めて、すべてが600万人の
チベット人の利益、関心というだけでなく、中東アジア、中央アジア地域の
すべての人の関心事なのです。そして、そのほかの世界の地域についても同じ
ことが言えると思います。
ですから、このチベットの独特の文化的遺産、チベット仏教を保存してゆく
為に、チベットには真の自治が必要なのです。それは国防や外交、そしてその
他の懸案については、チベットはより良い仕事ができると思います。チベット
は全面的な権威をチベット仏教の保存、文化、教育、環境などにおいて持つべ
きだと思います。
ですから、私はこれを通常、中間の道(中道)と呼んでいます。現在の状況で
はなくてです。すべての重要な決定はチベットが行なうべきなのです。中国の
人たちは、チベットの文化については全く知識を持ちません。そして残念なこ
とに指導層の一部はチベット仏教は分離の脅威となっていると考えているのです。
ですからこのために多くの制約を設けています。その現実に従えば、自治とい
うのは言葉だけのものにすぎません。紙の上だけのものなのです。
チベットの地域、領土、自治が行なわれることになっています。チベット自治
区と呼ばれています。自治の地方、自治の県、自治の郡と言われています。
この地域の非と立ちは、自治が行なわれるべきなのです。そうであれば、こん
な事件がおこるはずがありません。自治というのは名ばかりのものなのです。
誠実に現地で実行されていないのです。
ですからこうした自治区のチベット人は非常に憤りを感じているのです。この
深い憤りの表現がこの抗議デモなのです。
ですから我々は純粋な自治を求めています。ただ独立を求めているわけではあ
りません。それを指摘したいと思います。

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もう一つはオリンピックです。先ほど申し上げたように、当初から我々オリン
ピックの開催を支持して参りました。
これが主要なメッセージです。中国の兄弟姉妹に伝えたいメッセージです。
特に中国本土の中国の方々に知っていただきたいと思います。
政府のレベルにおいて、我々、私を悪魔のように呼んでいるのは非常に残念な
ことであります。
でも大丈夫です。私は人間であることをわかっていただけると思います。悪魔
でないことを願っています。あなたが判断して下さい。私に角は生えていません。
(両手の人差し指で角のようになさって、会場からも笑いがこぼれる)
ですから、何といってもいいんですけれど。
私は本当に悲しく感じています。中国本土の中国の人たちが中国政府の情報に
頼っています。この罪のない兄弟姉妹が、ダライラマは本当に悪い人間だ、と
考えているのです。
本当に悲しいことだと思います。
ですから、どうぞ私を助けて下さい。
世界中に対し、特に中国の人々に対し、ダライラマは独立を求めているのでは
ない、と伝えて下さい。ダライラマはそれ程悪くない、と伝えて下さい。
(再び笑い)

 そして中国の当局が次のように言いました。ダライラマがこのような危機
を画策したと言っています。これは深刻なことだと思います。そういったこと
から、即座に国際社会に訴えました。調査をやって欲しい、と。すぐに行なっ
て欲しい、と。ダラムサラを含めてです。来て下さい、確認して下さい、徹底
的に調査して下さい、と言いました。

 そして、我々の知る限りでは、数百の人々がチベットの様々な地域で殺され
ました。3月10日以来です。また少なくとも、数千人が逮捕されました。
そういったことから、徹底的な調査、またはいわゆる中立的な尊敬されている
独立機関が調べるべきだと思います。
二つ種類があると思います。もしかしたら人によっては略奪したり、何らかの
犯罪を犯したりする者がいます。こういった人たちが、ひとつ、います。こう
いった犯罪者というのはこういった混乱した状況につけこみます。つけこんで
略奪行為などに走ります。こういった人々に対しては、法律に沿って罰せられ
るべきだと思います。
しかし、一方で、政治的な動機を持つ者たちもいます。非暴力的な抗議を行な
う者たち、こうした人たちは、犯人とよばれてはならないと思います。
このように二者を区別することはきわめて重要だと思います。そして尊敬され
ているような弁護団などが、調査すべきだと思います。
皆様とこういったことを共有したいです。同意して下さるなら、共有頂ければ
と思います。共有しないならば、今言ったことは忘れてください。(会場から
も笑い)

■ 質問者

 フランスの放送局RTLからの者です。本日はお越し頂きましてありがとうござ
います。次回は是非、東京の外国人記者クラブにいらしていただければと思い
ます。
私の質問は昨今、ヨーロッパにみられる団結力の不足についてです。意見の
衝突がチベット問題を巡り起きています。イギリス、フランス、ドイツの間に
おいてです。ヨーロッパ勢に何かございませんでしょうか。政策面の統一、
オリンピックの開会式などの、政策統一について何かご意見を頂ければ幸いです。

■ダライ・ラマ法王

 ヨーロッパ勢は完全に個々の自由を謳歌していると思います。EUの中に
おいてです。意見の相違、見解の相違は彼らの権利です。基本的には私は、
ヨーロッパ、EUの精神を評価しています。共通利益に関する関心、懸念をお持
ちになっています。これは本当にすばらしいアプローチ、現実的なアプローチ
だと思います。そういったことがいえると思います。それ以外については、
意見の相違というのは彼らの権利だと思います。
もちろん、多くのヨーロッパ、EUの加盟国が、ご指摘のように、ドイツ、イギ
リス、フランスの皆様が、心からの懸念を最近の出来事に対して示してくれた
ことに感謝しております。

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前からの続き

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■ 質問者

 日本にようこそ。中国政府は、ダライ・ラマ法王さえいなければ、すべては
安定するかのようなコメントを出していますが、そういうコメントの影響を受
けて、ダライ・ラマ法王の身に危険がおよぶというような可能性や、脅しのよ
うなものはあるのでしょうか。
もう一つは、日本の政府、政治家は、中国に非常に遠慮しているような感じが
するのですが、日本の政府、国民に対し、メッセージがあればお願いしたいと
思います。

■ダライ・ラマ法王

 3月10日の後すぐに、私はアピールを行ないました。多くの関係機関、
首脳など、ロシアのプーチン大統領も含め、日本の総理も含めて、多くの方々
にアピールを行いました。公の場でアピールをしたこともありますし、このよ
うな非公開の場所でアピールしたこともあります。非常に皆様、懸念を示して
くださいました。
皆様に申し上げたいのは、もしチャンスがあれば、チベットにいらして下さ
い。そして、チベットを見て周り、世界に対し、そして本土の中国人に対し
て、何が本当に起こっているのかを伝えて下さい。残念なことですが、この
公の機関による発表、説明というのは、かなり歪曲された情報であることが
多いのです。ですから、これによって、不必要な誤解が生まれることがあり
ます。

ヨーロッパの方。

■ 質問者

 ありがとうございます。短く質問します。イタリアについておっしゃいま
せんでしたが、イタリアの人々もあなたを心から支持しています。

■ダライ・ラマ法王

 会いましたか。

■ 質問者

 はい。ダラムサラでお会いしました。ダラムサラで数週間前、中国指導部
からの招待は受け入れる、と延べられました。奇跡が起これば、オリンピック
開会式の招待を受け入れますか。

■ダライ・ラマ法王

 開会式ですか。そうですね。これは現地の状況によると思います。事態が
改善され、中国政府が現実的なものの考え方をするようになるのであれば、
私は、個人的には是非、オリンピックの開会式を楽しみたいと思います。

あと、少し、まだ時間がありますよ。5分あります。

■ 質問者

 TBS TVの奥野と申しますが、オリンピックの前にすでに大きな暴動などが
おきていますが、終わったあとも中国はかなり力を持つと思います。その後
、法王によって、何か希望のようなものはありますか。
またもし日本の首相に何か言いたいことがあればおっしゃって下さい。

■ダライ・ラマ法王

 いいえ。状況を見守りたいと思います。
チベットの人々が明確な表現、明確な意見の表現ができるようになれば、また
同時に他の自治区、ウイグル自治区がありますね、新彊ウイグル自治区と呼ば
れています、こちらでも、一部の人々が、憤りを表明しています。
ですから中国政府が現実を受け入れる時が来たと思います。そして、現実に
沿って解決を見出して欲しいのです。危機が起きる度に暴力的な抑圧をすると
いうのは、旧式なやり方です。もう時代遅れなのです。
第二に現実的なアプローチを取るためには、現実を知らなければなりません。
ですから、自由な情報の流れが必要なのです。透明性が不可欠です。今、21
世紀です。すべて透明にすべきなのです。国家機密、こうしたやり方は時代
遅れです。こうした慣行によって生まれるのは疑念だけです。疑念というの
は、調和の取れた社会を開発してゆくにあたって、最大の障害になります。

  調和の取れた世界は信頼に基づかなければなりません。信頼というのは、
相互の尊重、平等、透明性そういったものによってもたらされます。これが
調和の取れた社会の発展の基礎となるのです。
そして、中国の良いイメージを広げてゆかなければ、超大国にはなれないで
しょう。超大国になるためには、道義的な権威というものが非常に重要となり
ます。
現実的なアプローチを長期的に取らなければなりません。チベット、あるいは
新彊ウイグル自治区だけの利益だけではありません。これは10億人あまり
の人々の利益なのです。中国自体の利益となります。中国は世界でも人口の最
も多い国です。そして、論理的に考えて、前向きな貢献を、より良い世界の為
にできるのです。そのためには道義的な権威というものが、欠かすことはでき
ません。それが私の考えです。

  そして皆様マスコミの方々は非常に重要な役割を担っていらっしゃると思い
ます。

以上


ダライ・ラマ

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すべての中国人の精神的同胞へのアピール 2008年4月24日
ニューヨーク州ハミルトンにて
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今日私は、中華人民共和国の内外のすべての中国人の精神的同胞の皆さん、
特に釈尊の信奉者である方々に、個人的に呼びかけたいと思います。私は一介
の仏教僧として、そして我々が心から尊崇する釈尊の教えを学ぶ者として、
この訴えを行います。中国人の一般市民の皆さんへは、すでに呼びかけを行い
ました。今回私は、信仰を持つ同胞の皆さんに向けて、急を要する人道上の
問題についてアピールしたいと思います。

中国人とチベット人は、大乗仏教という同じ宗教的伝統を共有しています。
我々は 共に、中国では観音、チベットでは観自在菩薩と呼ばれる、慈悲を
具現する仏陀を崇拝し、苦しむすべての生き物への慈悲を、最も崇高な精神的
理想として大切にします。そのうえ、インドからチベットに仏教が伝わる以前
から、中国では仏教が広まっていたので、私はいつも中国人の仏教徒の皆さん
を精神面での先輩として仰いできました。

もうすでに皆さんもご存知のように、今年3月10日以降、ラサを始めとする
チベット各地でデモンストレーションの数々が行われました。これらのデモ
は、中国政府の方針に対するチベット人の深い憤りによるものです。これらの
デモにより、中国人とチベット人の両者の間で命を失った犠牲者が出たことを
深く遺憾に思い、私は中国政府とチベット人に対し、直ちに暴力行為を抑制す
るように訴えました。私は特にチベット人に対し、暴力的手段に頼らないよう
に訴えました。

残念なことに、多くの国際的リーダーやNGO、著名な世界市民、特に多くの
中国人学者による冷静な対応への訴えにもかかわらず、中国当局はその後残忍
な手段によりチベット人達に対応してきました。この過程で、人命が失われ、
多くの怪我人が出、数多くのチベット人が拘留されました。弾圧は現在でも続
いており、古くからの仏教の知識と伝統を守り続けてきた僧院の数々が特に
ターゲットにされています。僧院の多くは閉鎖されました。拘留されている
チベット人の多くが、殴られたり残酷な扱いを受けています。こうした弾圧的
な手段は、中国政府がチベット人対応のために公認している組織的な方針の
一部のようです。

国際的オブザーバーやジャーナリスト、観光客でさえもチベットに入れない
状態なので、私はチベット人の今後の行方をたいへん懸念しています。弾圧
により負傷したチベット人の多く、特に遠方に住むチベット人達は、逮捕を
恐れて医療処置も受けていない状態だと聞きます。ある信憑性の高い情報筋に
よると、食糧や住居もない山岳地帯へチベット人達は避難しているということ
です。逃げることのできないチベット人達は、次に逮捕されるのは自分達では
ないかという不安を常に抱えながら生活しています。

私は今でもこうした苦境が続いていることにたいへん心を痛めています。これ
らの悲惨な状況の成り行きが、最終的にどのような結果をもたらすのかとても
心配です。弾圧的な処置は長期に渡るチベット問題の解決にはならないと思い
ます。最も前向きな問題解決の方法は、私が長年提唱してきたチベット人と
中国人の指導部による対話を通してです。私は今までに繰り返し、中華人民
共和国の指導部に、チベットの独立は求めていないことを伝えてきました。
求めているのは、長期に渡り我々の仏教文化とチベット語、そしてチベット
民族固有のアイデンティティーの存続が確保される、意味のあるチベット人達
による自治です。奥深いチベット仏教の文化は、より大きな中華人民共和国の
文化遺産の一部であり、中国人同胞の皆さんにも恩恵をもたらす可能性があり
ます。

現在の危機的な状況において、未だに続く残忍な弾圧行為を直ちに阻止し、
拘留されているすべてのチベット人を釈放し、怪我人の緊急医療処置を提供
するように、中国政府に要請していただくよう、皆さんすべてに心からお願い
します。


ダライ・ラマ

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Financial Times独占インタビュー 2008年5月24日
ノッティンガムにて
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ダライ・ラマ法王が、昨今のチベット域内における騒乱についてファイナン
シャル・タイムズ紙編集者(以下FT)に語った。


FT: ダライ・ラマ猊下、先の3月のチベットでの騒乱以後、中国では恐ろしい
地震があり、チベット問題をめぐる空気が変化したことを多くの人が感じ取っ
ています。中国は「悪者」から「犠牲者」へと立場が代わり、猊下による大い
なるチベット自治を目指す運動に見られた熱気が、いくらか失われてしまった
ような雰囲気があります。そうお感じでいらっしゃいませんか?


法王: いいえ、そうは感じていません。もちろん、人々がこの時期、地震
で犠牲になった方々に心を寄せるのは当然で、ごく自然なことです。大規模
な地震――特に子供たち、亡くなった子供たちを思うと心が痛みます。
(中国は)一子制度ですから、亡くなった子供たちのほとんどのご両親に
とって、たった一人の子供だったわけです。もしたった一人しかいない我が
子を失ってしまったら、親御さんは当然ながら、どんなに悲しまれることで
しょう。ええ、ええ、もっともです。私の聞くところ、チベット域内では
実際に、地震の被災者の方々のために募金活動をしている僧侶達もいるときい
ております。けれども一方で、チベット問題は過去50〜60年にもわたる長い
間、続いてきた話です。ですから、より複雑なのです。


FT: チベットでは今、何が起きているのでしょう? 人々はまだ逮捕されて
いるのですか? 強制的な「愛国再教育プログラム」が続いているのですか?


法王: はい、「再教育」はまだ続いています。それはきわめて明らかなよう
です。逮捕については、そうですね、いくつかの地域では確かに逮捕が続いて
いる、という証言があります。ですが、状況を知ることが、とても難しい。
ですから私はいつも国際社会に、そして中国政府にも呼びかけているのです
――どうかもっと多くの人々がチベットに入れるように、人々が現場を見て
実態を調査できるように、と。特に中国の私達に対する非難、すべての問題は
外側から始まったとする中国の主張について、調査できるように、と。私達は
誰でも、大歓迎です。もちろん中国政府職員の方々も、いつでもダラムサラに
お出でいただき、徹底的に調べていただきたい。私達のファイルでも私の講演
録でも、いかなる記録類でも、何でもお見せします。たまに、チベット域内か
ら脱出してくるチベット人がいます。私はいつも彼らと会って、話していま
す。その会話もすべて記録されています。すべて、調査にいらしたらお見せし
ますよ。


FT: さて、猊下は6月に、亡命政府代表団と中国政府との間で新たな対話、
重要な会談を予定しておられます。次の一連の対話から、何を期待していらっ
しゃいますか?優先度の高い事項は何でしょうか?


法王: 今回は、これまでの会談と異なり、中国政府側が会合について発表し
ました。私の推測では、これは(次のような経緯です。)
5月4日にある種の緊急会合が開かれました――私達はこれを、情報会合と呼ん
でいます。政府が(この打ち合わせについて)発表し、発表の前に北京の外務
大臣がいくつかの国の大使数名を呼んで、彼らに知らせたのです。そして、
この点がより重要なのですが、胡錦濤国家主席自身がこの接触について認識し
ており、彼自身の真剣さを示しました。ですから、これは希望のもてる兆し
です。ただ、今はまだ早すぎます。次の第7ラウンドの会談が開かれるまでは、
何ともいえません。

次のページ
前からの続き

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Dalai Lama urges west to remember Tibet
<西側世界はチベットについて忘れないで欲しい>


FT: しかし、次の会談における猊下の優先事項は何でしょう?


法王: 逮捕・拘束を止めることと、(拘束されている人々を)釈放する
ことです。逮捕されている人々には、正常な法的措置を通じて自分の案件に
対処できるような機会を与えるべきだと、私は考えています。


FT: 胡錦濤国家主席の話ですが、彼は20年以上前、チベット地域における
党指導部でした。猊下は主席に対して、個人的なメッセージはありますか?


法王: 危機的な状況が発生した直後に、私は彼に訴えました。彼に手紙を
送りました。


FT: その手紙には何とお書きになりましたか、猊下?


法王: 主に、負傷した人々への実質的な救援を求めました。特に都市部から
離 れていて、適切な医療施設もない地域にいる人々への救援を。それから、
調査です。先に述べたように、調査を通じて(事態を明らかにするよう)要請
しました。


FT: 返事はありましたか?


法王: いいえ。


FT: (主席より)下のクラスの中国政府役員からも、返事は無いのですか?


法王: おそらく、次回の会合ということになるのかもしれません。たぶん
(それが)なんらかの反応、ということになるのでしょう。よくわかりませんが。


FT: もし6月に会談が実現するとして、猊下の中国政府に対する要求は、収監
された人々の釈放や調査、国際的な調査といった、3月の出来事への対応以上の
ことになると思いますが?


法王: 1980年代の時点で、中国政府は私のチベットへの帰還について、五つ
の提案を行いました。それによると、私は1959年以前に手にしていたすべての
特権や地位や、さまざまな権力を保障する、とのことでした。そこで私は次の
ように答えました。そういうことは問題ではない、肝心なのは、600万人の
チベット人が幸福であること、彼らの権利、そしてチベット文化を守ること
だ、と。今や、私達の主な目的は、自信を築くことです。チベットにおける
状況について、私達はよりよく知っています。チベットの中では、(人々
には)自分が本当に何を感じているかを、デモによってしか説明できる機会が
ありません。ですが、そうすると弾圧されます。ですからここで、私達は彼ら
の代わりにスポークスマンのように代弁しているだけです。

私達の会合は私達の未来とは、私自身の未来も含め、一切関係ありません。
始まりの時点、1974年から、私達はダラムサラで決意していました。中国では
文化大革命が進行している最中でしたが、早かれ遅かれ、私達は中央政府と
話し合いをもつことになる。分離を求めず、独立を求めず、中国憲法の枠組み
の中で、(チベット人にとって)意味のある、現実的な自治を求めよう、と。
今も、それが私達のゴールです。私達は求め続けます。ある機会には、中国
当局も私達は分離を求めているのではないことを認めています。けれどもどう
いうわけか 、公では、当局はまだ私達を(独立を求めていると)非難している
のです。

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FT: ダライ・ラマ猊下、論点を明らかにするために伺いたいのですが、
猊下は今や、歴史的なチベット、拡大された(Greater Tibet)チベットを
求める主張は放棄する、というお考えでしょうか?


法王: 私達が分離を求めていないことは、周知の事実です。「拡大された
チベット」……この言葉そのものも中国政府側が作ったものです。私達は
決して、拡大されたチベットについて述べたことはありません。私達はただ、
意味のある自治、または、中国政府も述べている通りの、少数民族の権利の
純粋な実現を求めているのです。特に、少数民族の方針について書かれている
白書に記されているような権利です。そこには多くの詳細な権利が述べられて
います。それらすべての点が忠実に実行されさえすれば、それで十分なの
です。


FT: ではそれを、歴史的チベットと呼ぶことにしましょう。猊下、それは
中国の領土の四分の一にあたるのではないでしょうか。


法王: 歴史的チベット、それもまた難しい表現です。歴史といって、たとえ
ば7世紀、8世紀、9世紀について述べるとしたら、それは一定の時期を指すこと
になります。一方、歴史のもう一つの捉え方としては、元朝、清朝といった
時代を考えることもできます。少数民族の権利の純粋な保障を求めている
のは、(中国)憲法がチベット族(自治州)と認めている場所において、
です。それが四川省であれ、青海省であれ、甘粛省、雲南省であれ。それらの
地域のチベット民族もまた、文化や言語の絶滅の危機に瀕しているのです。
ですから、私たちはそうしたすべてのチベットの人々のために、行動を起こし
ているのです。


FT: では、はっきりさせるためにお尋ねしますが、猊下は中国における少数
民族であるチベット人の特定の権利を求めておられるだけであり、分離した、
あるいは自律的な領土という実体を備えた拡大されたチベット、または歴史的
チベットとしてのいかなる概念をも放棄することに異存はない、とおっしゃる
のでしょうか?


法王: どういう意味で言っておられるのでしょう?
「自治」についてはすでに(中国)憲法のなかで明記されていますし、自治州
、自治区、自治県、自治郡といったかたちで(チベット人に)付与されている
ものです。こうした「自治」については、すでに憲法で認められているの
です。ですから、自由なスポークスマンとしての私達が今、チベット域内に
おける自治についてのみ議論をすることは、非論理的ではないでしょうか。
文化、言語、宗教(問題は、)それ以外のチベット人達、他の地域に住んで
いる400万人のチベット人にも影響しています。難しいことです。私達はこれ
らすべてのチベット人達のために行動しているのです。しかし、最終的な取り
決めは対話を通じて実現されなければなりません。


FT: ですが猊下、中国の領土の四分の一における主張に関して神経質に
なっている中国当局に対して、何らかの同情はお感じになりませんか?


法王: 実際には、より多くの権利がチベット人に与えられる時、その時こ
そ、チベットが常に中国の中に留まっていられる保障となるのです。もしそこ
に怒りが残っており、その怒りを無視したままでは、より危険な状態になるで
しょう。胡錦濤主席は、「調和ある社会の推進」に非常に力を入れています。
私達はそれを全面的に支援します、全面的に賛成します、そのお考えを高く
評価します。調和こそ、喜びや充足感から生じるものであり、心から生まれる
もの。銃口のもとに生じるものではありません。銃口のもとで過去60年間、
建前上の調和はあったのかもしれません。ご存知のように、天安門の壁には
毛主席の肖像画の横に「世界人民大団結万歳」のスローガンが掲げられて
います。もしこのスローガンが本当の目標を達成すれば、胡錦濤氏が調和の
推進を強調する必要もなくなるわけです。

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FT: 猊下、もし会談の内容に前進がみられないとしたら、チベットでは再び、
一連の暴力が発生するという懼れはないでしょうか。


法王: わかりません。なんともいえません。過去50〜60年間の歴史におい
て、暴力、不幸にも本当の暴力が、1956年、1957年、1958年から1960年代初頭
にかけて、起こりました。大勢の人々が亡くなりました。それから事態は沈静
化しました。その後ふたたび、1987年、1988年、1989年に起きています。


FT: この歴史的な傾向は悪化してきている、とお考えでしょうか。それとも
よくなっているのでしょうか?


法王: 1987年、1988年当時と比べて、今や20年を経ていますが、
今回(の騒乱)はより大規模で、チベット全域に広がっています。


FT: つまり、状況は悪化していると?


法王: そうです。中国で、北京で勉強しているチベット人学生達(をめぐる
状況)までも、です。彼らは多くの特権を与えられていますが、そういう人々
でさえデモに加わっています。


FT: 猊下がこの状況を抑制するべくご尽力され、影響力を行使されてきた
ことについては、大勢が存じ上げております。ですが、猊下は抑制力を失い
つつある、ダライ・ラマ猊下は支持者達に対するコントロールを失いつつ
ある、という声も出てきています。


法王: はい。


FT: その意見に賛成なさいますか?


法王: ええ、その通りだと思います。


FT: 猊下はコントロールを失いつつある、と?


法王: はい、当然ながら。お察しの通り、私の努力は具体的な結果を導き
出すことができていません。ですから、そうした批判は日々強まっているの
です。


FT: ですが、もし猊下が統制力を失いつつあるとしたら、なぜ中国は猊下
に話をする必要があるのでしょう?


法王: わかりません。第6ラウンドの会談において、中国当局は「チベット
問題など存在しない」と述べました。「唯一の問題はダライ・ラマである」
と。


FT: 猊下はオリンピックへ行くことを予期しておられますか?


法王: ああ、それは多くの要因が関わってきます。もちろん個人的には
行ってみたいですよ、もし招待されたら。けれどもチベット域内の状況に
よるでしょうし、私達の会談にもよるでしょう。まだ二ヶ月先のことです。
ですから、様子を見ましょう。


FT: 中国側から、はっきりしたオリンピック参加要請はありましたか?


法王: もちろん私はすべての他の要因を深く検討しなければなりません。
私の訪問がチベットの人々、チベット域内の人々にとってなんらかの助けに
なるかどうか――それが鍵になります。


FT: では、いかなる条件であれば、猊下によるオリンピック訪問が
(チベットの人々の)助けになるでしょうか?


法王: 現時点では、なんともいえません。中国次第、中国政府の出方次第
です。次の会談を見守りましょう、どのような結果が会談から導き出され
るか。それから判断しましょう。

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FT: 猊下のテストに合格するには、中国側はどのような態度を一つ二つ、
どのような具体的な態度を示せばよいのでしょう?


法王: まずチベットにおいて、逮捕と拷問をやめること。これはやめて貰
わないといけません。そして、適切な医療措置を施すこと。何より重要なの
は、国際報道機関を現地に受け入れること。国際メディアが現地へ行き、
見て、調査する……
そうすれば、真実が明らかになるでしょう。

私が思うに、それがきわめて重要です、中国政府指導部にとっても、です。
(彼ら自身にとっても)現実を知ることが重要です。チベット自治州におけ
る党書記が2、3ヶ月ほど前に、「チベット人は中国共産党にとても忠実で
あり、チベット人は共産党を仏陀そのものだと言っている」と述べました。
これは、知識の欠如によるものです。このような表現は、現実に全く即して
いません。あるいは相手を懐柔することに非常に長けたチベット人の発言に
基づいたものでしょう。


FT: チベット問題は、猊下のご存命中に解決するとお考えでしょうか?


法王: もちろんです。なぜなら、それこそ中国の人々の利にかなうから
です。チベット問題は今のような状態で続いています。台湾との統一は、
もっと難しいでしょう。おそらく、香港にいる600万〜700万人の人々も、
心の底ではちょっとした不安や恐れを抱いているのではないでしょうか。
私の意見では、チベット問題は台湾の解放よりも遥かに易しい問題です。
もっとも易しい場所が、残りの中国全体、そして世界全体における中国の
イメージ(の形成)に対して、シグナルを送っているのです。これにはきわ
めて前向きなインパクトがある、と考えています。


FT: 先ほど猊下が述べた点についてはっきりと理解しておきたいのですが、
猊下はチベットにおける支持者達をコントロールする力を失いつつある、と
おっしゃいました。それはつまり、中国政府に関するかぎり、ということで
しょうか?中国政府は猊下と交渉を開始し、猊下の立場を強めるような何か
を猊下に提供しなければならない。こういう解釈でよろしいでしょうか?


法王: 実際は、私は自分が影響力を失おうと保とうと、どちらでもよいの
です。私はすでに半分引退している立場にあります。2001年以降、私達はす
でに政治的指導部を選挙によって決めています。これらは主に彼らの仕事で
あって、私の仕事ではありません。


FT: 猊下は、ご自身の統制力や影響力を失うことについて気にしていない、
とおっしゃいます。しかし、これまで猊下を問題の一部と見なしてきた北京
が、今となっては猊下を解決のための一手と考えている、と思いではありま
せんか?今や北京は、猊下が実際にコントロールや影響力を失いつつあるこ
とを、懸念しているとはお考えになりませんか?


法王: わかりません。彼らに聞いてください。私には本当にわかりません。
そんな意見もあるようですが。過去20〜30年間には、二つの意見があったと
思います。中国官僚の間の一つの意見では、ダライ・ラマが逝去するまで待
とう、というものです。ダライ・ラマが亡くなればチベット問題も自動的に
消滅するだろう、という意見です。もう一つの意見では、ダライ・ラマがいる
間の方がいい、と。なぜなら彼がチベット人の大多数を代表できるから、
チベットに影響を与える一人の人間とだけ(交渉する)方が都合がいい、
というものです。

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FT: もちろん猊下は望んでおられないでしょうが、客観的な現実として、
もし中国が譲歩しなければ、たとえ猊下が望まなくても、暴力は起きてしまう
かもしれない。そうではないでしょうか。


法王:もし暴力が起きるとしたら、それが私の死後であれば、関わりはあり
ません。私が生きている間に抑制が効かなくなって暴力が発生してしまった
ら、その時は私は引退するしかありません。


FT: 私達を含めて世界は、猊下にもフラストレーションが溜まっている、
という印象を受けています。猊下の中道政策・中道アプローチでは今や解決の
めどが見出せない状況に陥ってしまっているからです。猊下はご自身の人々の
間で支持や影響を失いつつある、そして中国も今のところ猊下のポリシーを
本当には信用しようとしない。ストレスをお感じになりませんか?
猊下にはこれ以上、何ができるというのでしょう? 時間は刻々と過ぎていき
ます。


法王: はい、私は本当に無力感を感じています。それだけです。私は最善の
努力を尽くしてきました。そして実際のところ、ある目標を抱きながらも、
半世紀もの時を故郷を失ったまま、ホームレスのままで過ごしてきました。
それはつまり、私の道義上の責務、チベットの人々を救うという責務は、失敗
した、ということです。私は仏教徒です。もしあなたが、通常の政治家や通常
の指導者の考え方や経験・観点から考えるとしたら、(私の考え方は)少し
違ったものとして映るでしょう。


FT: 猊下がオリンピックに出席する可能性について、話を戻しましょう。
最近では、その可能性に関して多くのことが議論されています。深刻に欠けて
いるのは、信頼感です。猊下は実際に、条件付きでない招待を受け取ったら、
より信頼感と善意を築くために、北京オリンピックへ行くことを待ち望んで
おられますか?


法王: 先ほども述べたように、それは内地の状況によるのです。内地の状況
としては、私が北京五輪に出席することで、大勢のチベット人がある種の失意
を覚えるかもしれません――たとえダライ・ラマが五輪を訪れても、何も起き
ないだろう、といったような失望感です。私はそのような感情が起こるとは
思っていませんが、けれどももし人々がそう感じてしまったら?
あぁ、ダライ・ラマは自分の特権や自分自身のことだけ考えて、私達の苦しみ
は忘れてしまったのだ――もし彼らがそう感じてしまうとしたら、どうする
べきでしょうか?


FT: 猊下は、オリンピックの開催される北京に猊下がいらっしゃるだけで、
中国との対話における象徴的な突破口、ブレイクスルーになる、とはお考えに
なりませんか?

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法王: もしすべての問題が私自身の問題であれば、その問題は全体的に、
中国首脳と私自身の間の信頼関係によっている、と言えるでしょう。それなら
もちろん、事はきわめて簡単です。私が北京に行き、こんにちは、こんにち
は、ニーハオ、ニーハオとやればいい。問題ありません。
私の問題は、600万人のチベット人と共にあるのです。中国政府にとっては、
扱いが複雑なことでしょう。彼らのチベットに対するポリシーは、
新彊ウイグル自治区やその他の自治区、そして中国の人々自身に対しても、
反響を及ぼします。ですから、そこには多くの複雑さがあるのです。時々、
私は胡錦濤主席や温家宝首相に心から同情します。あの国は、10億人以上の
人口を抱え、数多くの複雑さを抱えています。ある人々、ある世代にとって
は、文化大革命で負った傷がまだ癒えていないでしょう。また別の世代では、
天安門事件による傷が残っていることでしょう。それに、汚職に関する多くの
不平不満、かくも大規模な政治的な腐敗についての不平不満が鬱積していま
す。ですから、非常に複雑な国なのです。あらゆる中国の伝統が、大きく損な
われています。それはそれは、難しい時代です。指導部は、より注意深く歩み
を進めなければならないでしょう。それこそが非常に現実的で、無理からぬ
やり方だと考えます。


FT: 中国指導部に糾弾されることについて、猊下はどのように感じておられ
ますか?彼らが猊下を攻撃的に非難する時のあの言葉遣いなど……。


法王: 別に、かまいませんよ。


FT: 問題ではない、と?


法王: 時々、ジョークにしますよ。


FT: 最も上出来なジョークを教えていただけますか?


法王: 一番できのいいジョークですか?
そうですね、見えない角を生やした悪魔、なんてどうでしょう。一人の悪魔
が今や、ヨーロッパ、ドイツ、イギリス、そして日本にも、どんどん増殖し
ているらしいのですよ。それは私にとっては――もし当局が私を悪魔とか、
赤いマントをかぶった狼とか呼びたいのなら――まったくかまわないのです
けどね。何も問題ありません。

けれども一つだけ心配な点は、当局が私を非難するよう、チベット人に強制し
ていることです。これは、宗教の自由や人権に対する深刻な侵害にほかなりま
せん。そこで私は感じるのです。今日では、ある人々は私が生きている仏陀だ
と言い、ある人は神の王だと言う。ナンセンスです。ある人は悪魔だと言う。
ナンセンス。これも問題ではありません。ですが、いささか悲しく感じるの
は、何百万人もの中国の人々、その中には仏教徒も含まれるでしょうが、もし
彼らが本当に、ダライ・ラマは何らかの悪魔だと感じているのなら、私は少し
悲しみを覚えます。


FT: 猊下、どうもありがとうございました。


(上記インタビューはwww.rediff.comからの再録。
2008年5月24日、FT編集部リオネル・バーバー、FT外交編集部ジェームズ・
ブリッツ、FT中国版編集部リーフェン・ザンが、ノッティンガムにて、
ダライ・ラマ猊下にインタビューを行った。)

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Daysさんのblog『チベットに自由を』より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『His Holiness in Japan』
 2008/11/05 00時33分 
 http://www.mobileplace.org/dias/blog/his-holiness-in-japan

手術後、初の外国訪問となったダライ・ラマ法王の日本ツアー。国内メディアも様々に
報じ、外国人記者クラブでの記者会見の模様が海外にも報じられて「逆輸入」されてい
るが、同様にダライ・ラマ法王日本事務所のリポートを元にした記事がPhayulに掲載
されている。

猊下はテレビインタビューやぶら下がり取材など、多くのプレスからの取材をこなされ
た。猊下は中国統治下における「真の自治」を求める中道路線を支持すると繰り返され
た。チベット人の指導者として、チベットは中国の一自治区だからこそメリットがある
のだ、チベットの未来はチベット人民に託されているのであり、自分が決められるわけ
ではないと語った。

法王代表団が中国を訪問していることについては、「状況はここ数日で変わりうる。私
は中国の人々を常に信じている。彼らは現実的で、よく話し、よく働いている」と話し
た。

「チベットのチベット人は幸福ではない」と猊下は言った。「物質的にはよくなったか
もしれないが、内面は以前よりはるかに悪化している。道徳的にみても、すべて問題な
しとは言えない。我々は現実を見なくてはならない。結局チベットの問題とはダライ・
ラマの問題ではなく、チベットの人々の問題なのだから」。
チベット人の苦難を中国政府が認めるべきだと望んでいたと猊下は語った。しかしその
通りにはならなかった。「チベット内部の状況は、ほとんど軍事占領下に近い。どこも
、どこでも、恐怖、テロ。私は無関心ではいられない」。

経済発展の指標とされる中国とチベットのラサとのあいだの鉄道開通については好意的
だ。猊下は中国を大変「重要な国家であり、歴史的な国家 」と認識している。「労働
力、軍事力、物資力、すべてが備わっている。しかし、道徳力、道徳的な自戒が欠けて
いる。長い観点から見ると、これが中国のイメージを損ねている」。

中国政府のメディア検閲がチベットで起きていることから中国人の目を逸らしていると
猊下は言う。「人々は真実を知る機会がないのです。チベットで何が起きているのか、
もし中国の人々が本当のことを知ったら、おそらく彼らは悲しみを覚えるでしょう」。
四川大地震に対して中国政府がすべてを明らかにして対処したことが、猊下は大変良か
ったと語る。が、その透明性はチベットや他の地域にはまだ及んでいない。「私はチベ
ットの統治者ではありません。むしろチベット人の声を代弁するフリーの『スポークス
マン』なのです。国外においてチベットの人々のことをはっきりと話すことは、チベッ
トの外にいるチベット人のひとりとしての重要な責任なのです」。
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ダライ・ラマ法王のご発言を明確にするために 2008年10月28日

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ここ、インドのダラムサラで10月25日に行なれました第48回チベット子供村
設立記念日の祝典において、ダライ・ラマ法王がチベット問題についてお言葉
を述べられましたが、これを事実から外れて引用しているメディアがあります。

つきましては、ダライ・ラマ法王のご発言を明確にするために、ご発言の
要旨を以下に公表いたします。

ダライ・ラマ法王は、
「チベット人は、チベット問題を解決する道を長きに渡って求め続けてきま
した。我々が求めているのは、チベット人と中国人の双方が受け入れることの
できる解決策です。このような姿勢は各国の政府をはじめ、世界中の人々から
の高い評価を得ています。さらに重要なこととして、この姿勢はたくさんの
中国人有識者の方々の支持を得ているのです」と述べられ、そして、次のよう
に続けられました。

「残念ながら、これまで、中国指導部は我々の申し出に対して前向きな反応を
示していません。また、この問題に現実的に取り組もうという気持ちも見受け
られません。今年の3月以降、ラサをはじめとする多数のチベット地域でデモ
抗議が勃発しました。これが中国共産党の50年以上におよぶ抑圧のなかで
チベットの人々の心に深く根ざしてきた憤りや不満の自然な発露であったこと
は明らかです」

ダライ・ラマ法王がチベットでの抗議行動を指揮していると中国政府が主張し
た際には、ダライ・ラマ法王は、そのような主張の証拠を探すべく徹底調査を
行なってほしいと申し出られました。ここ、インドにある中央チベット行政府
の書類や記録を調べていただこうとまでおっしゃったのです。これまでの
とこ、この申し出に応える動きはなく、それどころか、チベットの状況は
日ごとに厳しさを増しています。
そこでダライ・ラマ法王は、中国指導部が単純な真実、理由、一般良識を解し
ているとは思われない現状において、これほどに重い責任を双肩に担ぎ続ける
のは容易なことではない、とおっしゃったのです。中国指導部からの互恵的な
応答がない現状において、ダライ・ラマ法王は、法王が解決策を見いだす助け
となれないとなれば、いかなるかたちであれ解決の妨げとなるようなことを
すべきではないと感じておられます。つまり、チベットと中国の双方が満足で
きるチベット問題の解決策を見いだすために法王が続けてこられた不屈の努力
がかならず実を結ぶと言えるだけの余裕はもはやない、と感じておられるのです。

そこで9月11日、ダライ・ラマ法王は、亡命チベット社会における様々な
コミュニティの代表者を集めて特別会合を開くよう呼びかけられました。
今後の未来においてどのような現実的かつ非暴力の選択肢を取り得るのか、
幅広く検討するよう呼びかけられたのです。
ダライ・ラマ法王は最後に、「帰するところ、チベット人の未来を決める
のはチベットの人々自身なのです」と述べられました。

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ダライ・ラマ法王事務所



2008年11月2日 産経新聞

「チベット人、監視下に」「居住地に解放軍が常駐」ダライ・ラマ会見
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チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は2日、東京都内のホテルで
産経新聞と会見し、今年3月のチベット騒乱以後に再開されたダライ・ラマの
特使と中国政府による話し合いについて、「中国はチベット問題の現実を全く
無視している。状況は全く変わっていない」と指摘した。

 また、中国の温家宝首相が「ダライ・ラマはチベットと中国を分離させ
ようとしている」などと述べたことに触れ、「温家宝首相に直接、その根拠を
ただしたい。私がそのような行動をとっていないことはすべての人々が知って
いる」などとして激しく批判。その一方で、「将来的にも中国政府に関与して
いきたい」とも強調し、中国側の方針転換に期待を示した。

 中国内のチベット人居住区に関して、ダライ・ラマは「いたるところに
中国人民解放軍が駐留している。秘密警察要員も多数入り込んでおり、
チベット人は厳重な監視下に置かれている」としたうえで、ある地区には
1万人以上もの兵士が駐留し、チベットの伝統的な文化財や寺院などが破壊
されていることを明らかにした。また、5月と7月の話し合いでも、中国側は
ダライ・ラマを批判するなど、チベットを取り巻く環境は「まったく変わって
いない」と指摘した。

 ダライ・ラマは今後の対応を協議するため、今月17日からインド在住の
亡命チベット人ばかりでなく、世界中から自身の支持者らが集まり、インド
北西部の亡命政府で特別会議を開催することを明らかにした。会議について
「どのような結果になるか、まったく予想もつかない。ただ、民主的に
それぞれの意見を腹蔵なくオープンに披露する場になる」と述べた。

 かつて自らが言及したこともある「政治的引退」が現実化するかどうかに
ついてダライ・ラマは、「当分の間は、そうならないだろう。私はまだ
(亡命政府に)全面的な責任があるし、(中国の)中央政府に関与していか
なければならない」と引退の可能性を否定し、中国政府と粘り強く交渉する
姿勢を明らかにした。
2008年11月3日 産経新聞

「チベットで私のやり方に批判」ダライ・ラマ14世
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チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は3日、東京・有楽町の
日本外国特派員協会で記者会見し、今年3月のチベット騒乱以後再開された
ダライ・ラマの特使と中国政府との対話が進展していないため、「チベット
側でも私のやり方に批判が出ている」ことを明らかにした。インドでは17日
から、世界各地の亡命チベット人が集まって新たな対中方針を話し合う特別
会議が開催されるが、青年層を中心としたグループから強硬な意見が飛び出す
可能性も否定できない。ダライ・ラマ側は会議をテコにして、中国側に「現実
路線」への転換を求めたいところだ。

 ダライ・ラマは会見で、3月のチベット騒乱は「ダライ・ラマが指示した」
などと温家宝中国首相らが批判しているとして、「私が本当にそうしたのか
どうか、専門家を派遣し、調べてみればいい。私の講演や発言のテープなどを
証拠として差し出してもよい」などと述べた。ダライ・ラマは「私がチベット
を中国から分離させようとしていないことは、中国以外のすべての人々が
知っている」として、中国側を批判した。

 ダライ・ラマは中国政府との対話について「まったく何も変わっていない。
失望した」などと述べ、亡命チベット社会のなかで急進的な意見を持つ青年層
を中心に、ダライ・ラマの非暴力主義や対話路線に批判が出ており、自らの
立場が苦しくなっていることを強調した。

在京のチベット関係筋によると、亡命チベット人社会では青年層を中心に、
ダライ・ラマと意見を異にするグループが一定の勢力に成長し、最高指導者
としてのダライ・ラマの求心力の低下も指摘されているという。

 17日からの特別会議で従来の対中対話路線が変わるかどうかに関して、
ダライ・ラマは「まったく予測できない」としたうえで、「私が会議で発言
すると、だれも発言できなくなる。私は沈黙し、中立の立場を守る」と述べ
た。ダライ・ラマとしては、会議で強硬な意見が出るのを放置し、それを
中国側に見せつけることによって中国側の軟化を促したいようだ。

 ダライ・ラマは会見で「中国政府はわれわれとの関係が悪化する前に、
新たな現実的な見地から話し合いを再スタートさせるべきだ」と、中国政府に
方針転換を重ねて求めた。

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ダライ・ラマ法王の特別メッセージ: 2008年11月14日

チベット内外のすべてのチベット人に向けて
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チベット内外のすべてのチベット人のみなさんにご挨拶を申し上げるとともに、
いくつか重要な話を述べさせていただきたいと思います。

私は、とても若い頃から、チベットの政治が民主的体系へと変容することが、
チベットの即時的かつ長期的な有益のためには何よりも重要であると理解して
いました。
そこで、チベットの精神的・政治的指導者としての責任を担うようになって
からは、そのような民主的機構をチベットに樹立すべく力を尽くしました。

残念なことに、中華人民共和国の激しい弾圧下では、我々はこれを成し遂げる
ことはできませんでした。
しかしながら、亡命生活に入ってまもなく、我々の政治の骨組みに思慮深い
改革が導入され、新しく選出された議会が設立されました。
亡命下であるにもかかわらず、チベット人社会の民主化への移行は進歩を成し
遂げたのです。

今日、亡命チベット人社会は本来の意味での真の現代民主主義社会へと完全に
変容し、独自の憲章と一般投票によって選ばれた指導部で構成される行政府を
持っています。

チベット人自らがチベットのために責任を取れる用意ができているという点に
おいて、現時点でこれを誇りに思ってよいでしょう。
私が民主制度の樹立を奨励する姿勢を貫いてきた唯一の理由は、揺るぎのない
持続可能な将来の政治システムをチベットのために確保しておく必要があった
からです。
自分の責任を軽くしたかったとか、回避したかったからではありません。
我々が苦闘を続けていくためには、過去の歴史や経験を振り返って検討する
ことも大切ですが、現在の世界情勢から学ぶことも極めて重要です。
すべてのチベット人は、中央チベット行政府という機構を支持するべきなので
す。
そうすることで、亡命中のチベット文化遺産をチベット問題が解決されるまで
保護することができるのです。

亡命生活に入って以来、我々は、同胞を招いて今後のチベットにおける重要な
政治的決定について意見を述べてもらうことにより、民主システムの中枢機能
を行使してきました。
現行の、チベットと中国双方にとって有益となる中道のアプローチは、議員を
はじめとするチベットの人々を代表するリーダーたちとの討議と熟慮の結果
として1970年代のはじめに生まれました。
しかも私は、ストラスブール提案において、「チベットの人々が最終決定を行
なう」とはっきりと述べています。

1993年に中華人民共和国との接触が途切れた後、我々は、亡命チベット人の
世論調査を行ない、信任を問う国民投票を行なうことが可能なあらゆる
チベット地域からの提案を集めました。それにより、チベットの人々にとって
納得のいくかたちで、自由を求める闘争が進むべき道をチベットの人々が決定
することになったのです。
チベットで集められたこのような提案の結果に基づき、亡命チベット議会は、
この問題に関しては国民投票に問うことなく、引き続き私の裁量に任せる
という決議案を可決しました。

その結果、我々は今日まで中道のアプローチを取り、2002年に中華人民共和国
との接触が回復されてから8回の対話を行ないました。
中道のアプローチは国際社会に認められ高い評価をいただいているだけでなく、
多くの中国人有識者も支持してくれていますが、それにもかかわらず、
チベットにおける前向きな変化の兆しはまったく見られません。
事実、中華人民共和国の対チベット政策は、少しも変わっていないのです。

前からの続き
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2007年に行なわれた中華人民共和国の代表団との6回目の対話の後、近い将来に
さらなる対話を行なう予定はまったくありませんでした。
しかし、今年3月の出来事の後にチベットの状況が切迫したことから、我々は
非公式の会合を5月はじめに行ない、続く7月と11月のはじめに7回目と8回目の
対話を行ない、あらゆる手を尽くしました。
それにもかかわらず、少しも進展はありませんでした。

今年3月、チベットの三大地方(ウーツァン、カム、アムド)として知られる
チョルカ・スム全域のチベット人が、若者も老人も、男性も女性も、僧籍に
ある者も一般市民も、信仰心のある者もない者も、学生達も、命をかけて、
中華人民共和国の政策に対する長年の不満を平和的かつ合法的なかたちで表明
しました。
その時点では、私は、中華人民共和国政府に期待をかけていました。
現実に即した打開策をみつけてくれるだろうと希望を抱いていたのです。
しかしながら、中国政府はチベット人の感情や強い願望を完全に無視し、
デモに参加した人々を容赦なく弾圧し、「分離主義者」「反動主義者」という
名目で告訴しました。
このような試練のなかで、私は、深い憂慮と痛切な責任感から、国際社会や
中国に対して私が持ち得るどのような影響力をも使うことにし、胡錦濤国家主席
には個人的に手紙を書きもしました。
しかし、私の努力は何の変化も生みませんでした。

当時はだれもが北京五輪に心を奪われていましたので、公の場に問いかける
時期としては不適切と思われました。
今は適切な時期であると思われますので、9月11日、私は亡命チベット人憲章第
59条に基づき、選挙で選ばれた指導者たちを早急に招集して特別会議を開く
よう要請しました。
この機会に、参加者がそれぞれの属する社会の意見を持ち寄り提示し合える
よう、私は願っています。

今年にチベット全域の人々が見せた勇気、昨今の世界情勢、現在の中華人民
共和 国政府の非妥協的なスタンスを考慮するなら、参加者全員がチベットの
民 として平等、協力、連帯責任の精神において、チベット問題の解決に向け
て今後取り得る最善の方策について話し合うことが必要です。
徒党的議論は脇におき、オープンな雰囲気のなかで行なわれるべきですし、
むしろ、チベットの人々の強い願望や見解に焦点がおかれなければなりま
せん。参加者が最善を尽くせるように彼らと気持ちをひとつにしていただく
よう、 みなさんに呼びかけます。

この特別会議は、チベットの人々の真の意見や考えを理解するための自由で
フランクな議論の場を提供するという明白な目的をもって召集されます。
あらかじめ用意された結論に到達することを目的とした会議ではありません
ので、議事日程などがないことをどなたもご承知おきください。

ダライ・ラマ

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http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/081116_special_message.html
<ダライ・ラマ法王の声明>
http://www.dalailama.com/news.326.htm

世界人権宣言60周年記念日に合わせ、中国の学者、芸術家、農民、
法律家たちによって<08憲章>が発表されたことに、私は大いに勇気付け
られた。
彼らの政治的、合法的改革の提案は賞賛に値する。

個人的にはコキントウ氏の提案する「調和社会」は、多くの中国人が様々な
意見を表明する空間を提供するという意味で、素晴らしいイニシャティブ
だと思っている。
「調和社会」は人々が信頼し合える時、恐怖なく、言論の自由があり、法治
社会、正義と平等が実現されて初めて可能なものだ。

私は中国指導部に対し、統一と安定をもっと文明的(civilized)方法で実現
する方向について考慮することを勧める。

さらに、この機会に私は中華人民共和国政府に対し、言論の自由を行使した
ために逮捕されている、Hu Jia氏等の良心の囚人を解放することを要求する。

ダライ・ラマ
2008年12月12日

(チベットNOW@ルンタより転載)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51139656.html
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 欧州議会におけるダライ・ラマ法王の演説 

2008年12月04日 ブリュッセルにて
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欧州議会の議長はじめ、議員のみなさまにご挨拶申し上げます。本日、
みなさまの前でお話させていただけることは大変な名誉です。お招きいただ
きましたことに感謝を申し上げます。

どこへ行きましてもまず私の心にありますのは、心のあたたかさなど人間
としての価値を高めることに貢献したいということです。個人レベルでも、
家族レベルでも、社会レベルでも、幸せに生きるための鍵は、人間としての
価値を高めることにあると私は考えているからです。現代社会では、この
ような内面の価値にじゅうぶんな注意が払われていないように思われます。
そこで、内面の価値を育むことが私の第一の務めであると考えています。

第二の務めは、異教間の調和を育むことです。私たちは、政治や民主主義に
おける多元的共存の必要性を認めていますが、それでもまだ、複数の信仰が
存在することについては躊躇することのほうが多いように思われます。概念
や哲学の違いがあるにもかかわらず、世界の主要な宗教は、愛、思いやり、
寛容、足知、自己鍛錬という同じメッセージを古来から伝えています。より
幸せな人生に人間を導く助けとなる可能性を有する点も共通しています。
ですから私は、この二つを私の果たすべき務めと考えているわけです。

もちろん、チベット問題は私にとりましてはとりわけ大きな懸案ですし、
私にはチベットの人々に対する特別な責任があります。チベットの人々も、
チベットの歴史のなかで最大の苦境にあるこの時期に私を信頼し、希望を
託し続けてくれています。私が絶えず前へ進んで行けるのは、チベットの
人々の安寧をなんとしても得たいからであり、私は、亡命下で自由に意見
を言うことのできる彼らの代弁者であると自分のことを考えています。

前回、欧州議会でお話をさせていただいたのは、2001年10月24日
のことでした。そのときには、「チベットの開発が進み、経済的にある程度
の発展があったにもかかわらず、今もチベットは生存という根本的な問題に
直面し続けている」と述べさせていただきました。深刻な人権侵害がチベット
全域に広がっていますが、これは往々にして人種政策や文化的差別の結果で
あるのです。しかしこれは、病でいうなら表面に現れた症状に過ぎず、本当
の問題はもっと深いところにあります。中国当局は、チベットの文化や宗教
を分離独立の脅威の源として捉えています。そのため、意図的な政策の結果
として、独自の文化とアイデンティティを持つチベット人という民族全体が
「絶滅」の危機に直面しているのです。

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今年の3月以降、チベット高原全域のあらゆる社会的地位のチベット人が、
中国当局がチベットで行なっている抑圧的かつ差別的な政策に対する抗議
デモを行ないました。命の危険をじゅうぶんに承知して、チョルカ・スム
(ウーツァン、カム、アムド)全域で、若者も老人も、男も女も、僧侶も
一般市民も、信心深い者もそうでない者も、学生たちも、自発的に集まって
中国政府の政策に対する苦悶、不満、心の底からの憤りを果敢に表明した
のです。チベット人と中国人、双方の命が失われたことを私は深く悲しみ、
すぐに中国当局に自制を呼びかけました。中国当局は、今回のチベットでの
出来事を指揮しているとして私を糾弾しましたので、私は、独立した国際
機関に徹底的に事実を調べてもらうよう繰り返し呼びかけました。インドの
ダラムサラへ来て調査するよう招待もしました。中国政府がそのような重大
な主張を裏づける根拠があるならば、それを世界中の人々に開示すべきだか
らです。

世界中の指導者、NGO、個人など多くの方々が暴力を回避して自制心を
見せるよう中国当局に呼びかけてくださったにもかかわらず、残念なことに、
中国当局は残虐な方法で事態の収拾に乗り出しました。その過程で、多数の
チベット人が殺され、何千人もが負傷し、拘禁されました。消息がまったく
わからないままの人たちも大勢います。こうして私がみなさんの前に立って
いる今も、多くのチベット地域で、中国の武装警察や軍の大部隊が配備され
ているのです。チベットの多くの地域では、今も事実上の戒厳令が敷かれて
います。苦悶と威嚇のなかで暮らしているのです。チベットにいるチベット
人は、次の瞬間にも逮捕されるのではないかと常に脅えています。国際的な
視察チームも、ジャーナリストも、さらには旅行者ですらチベットの多くの
場所へ立ち入ることを許されていません。チベットの人々の運命を私が深く
危惧する理由はここにあります。現在、中国当局は完全にチベットを掌握し
ています。これはまるで、チベット人の精神を一掃するという死刑宣告に
直面しているようなものなのです。

欧州議会の栄誉ある多くのみなさんが、対話を通して相互に納得のできる
チベット問題の解決策を見いだそうと私が絶えず力を尽くしていることを
よくわかってくださっています。そのような想いから、1988年、スト
ラスブールで開かれた欧州議会において、私は、中国との交渉においてチ
ベットの分離独立を求めないことを正式に提議しました。以来、我々の中国
政府との関係には紆余曲折があり、ほぼ10年の中断を経て、2002年、
我々は中国指導部との直接的な接触を再開するに到りました。私の特使と
中国指導部の代表者の間で広範囲にわたる討議が行なわれ、そのなかで、
我々はチベットの人々の悲願を明確に打ち出してきました。私が提唱する
中道のアプローチの最重要点は、中華人民共和国憲法の範囲内で、チベッ
トの人々のための真の自治を確保することなのです。

今年の7月1日と2日にかけて北京で行なわれた第7回目の対話のなかで、
中国側は、真の自治を眼に見えるかたちで提示するよう我々に勧めました。
そこで、2008年10月31日、我々は中国指導部に対し、「全チベット
民族が名実共に自治を享受するための草案」を提出しました。我々の草案に
は真の自治における我々のスタンスについて、そして、チベット民族の基本
的ニーズがどのように自治と折り合いをつけられ得るのかが打ち出されてい
ます。我々は、チベットで起きている真の問題に真剣に取り組んでほしいと
いう目的のもとにのみこの提案を提出しました。我々は善意を伝えることが
できたと確信し、草案のなかで提示した課題が履行される可能性があると思っ
ていました。

残念なことに、中国側は我々の草案を完全に拒絶しました。我々の提案が
「半独立」や「独立の口実」を試みるものであるという汚名を着せ、これ
を理由に草案を受け入れることができないとしたのです。さらには、中国
側は我々を「民族浄化」を行なっているとして糾弾しています。草案に
おいて自治区の権利を認識することを求めていることが、中華人民共和国
の他地域からチベットへ移り住みたいという人々の居住地、職業、経済活
動などを規制していることにあたるというのです。

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非チベット人を排斥するつもりなどないことは、草案のなかでも明らかに
されています。我々の懸念は誘導された漢人が多くのチベット地域に大量
移住することですが、それは漢人に限ったことではありません。チベット
地域に住む非チベット人の数が多くなれば、チベット人は周辺的な立場へ
と追いやられ、人口が増えれば、ガラスのように壊れやすいチベットの自
然環境は脅かされることになります。大量移住による大幅な人口変動は、
チベット人を中華人民共和国に統合するというよりはむしろ同化に向かわ
せ、チベット人独自の文化やアイデンティティを次第に滅亡へと向かわせ
ることになるのです。

満州、内モンゴル、東トルキスタンの人々はその例です。中華人民共和国
で大多数を占める漢人が少数民族の土地に大量移住したことによる破滅的
な結果なのです。今日、満州の言語、文字、文化は絶滅しています。現在
の内モンゴルでは、2400万人の総人口のうちモンゴル人は20パーセ
ントだけです。

みなさんにも草案をご覧いただくなら、強硬路線の中国の役人の主張に
反して、中華人民共和国の主権と領土保全という中国政府の懸念に我々が
真摯に取り組んでいることは明らかです。一目瞭然の草案ですから説明す
る必要もありません。ご意見やご提言もよろこんで頂戴いたします。

この機会をお借りして、欧州連合および議会に呼びかけさせていただき
ます。チベットと中国の人々の共益のために、中国が真剣な折衝を通じ
てチベット問題の解決に取り組むよう中国指導部を説得すべくみなさんの
ご尽力を賜りたいのです。

私は、我々の闘争の手段として暴力を使うことを断固として拒否していま
すが、我々が持ち得る政治的手段など、そのほかの方法を探る権利はある
と考えています。民主主義の精神のもと、私は亡命チベット人による特別
緊急会議を召集し、チベット人の現状、チベット問題の現状、チベット問題
の解決に向けて今後いかなる路線を取り得るかについて話し合ってもらい
ました。この会議は2008年11月17日から22日にかけてインドの
ダラムサラで開催されました。中国指導部が我々の発案に積極的に応じな
いことから、互いに有益となる解決策がどのようなものであれ中国政府は
これに関心がないのではないかという多くのチベット人の疑念が再度断言
される結果となりました。多くのチベット人は、中国指導部がチベットを
力づくで完全に中国に同化、吸収するつもりであると信じ続けています。
そのために、彼らはチベットの完全独立を求めているのです。そのほかの
チベット人はチベットにおける民族自決権と国民投票を支持しています。
このような見解の違いはあるものの、特別緊急会議に参加した代表者たち
は、チベット、中国、そして世界で起きている現在の情勢や変化を踏まえ
た最善のアプローチの決定を私に委ねるとする決議を満場一致でくだしま
した。およそ600名の世界中から集まったチベット社会のリーダーたち
の提案、そしてチベット本土のチベット人から断面的に把握することので
きた見解についてよく検討していくつもりです。

私は民主主義を断固として信じています。それゆえに、亡命下にあるチベッ
ト人が民主的なプロセスを歩むことを推進する姿勢を貫いてきたのです。
今日、亡命チベット人社会は、民主主義、司法、行政という三本の柱をす
べて確立した数少ない難民社会のひとつであるのではないかと思います。
2001年、我々は民主化に向けて大きな一歩を踏み出しました。亡命チ
ベット行政府内閣(カシャック)の議長を一般投票によって選出したのです。

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私は常々、チベットの将来は、最終的にはチベットの人々が決めることが
できなければならないと申し上げてきました。インドの初代首相となった
ネルー氏も、1950年12月7日、インド議会において「チベットに関
わる最終決定はチベットの人々による決定であるべきであり、そのほかの
だれによるものでもない」と述べておられます。

チベット問題は600万人のチベット人の運命を超越した局面や関係性を
はらんでいます。チベットはインドと中国の間に位置しており、何千年間
にも渡って、地球の人口の第1位と2位を占めるこのふたつの大国を分か
つ平和な緩衝地帯としての役割を担っていました。しかし1962年、い
わゆる「チベット開放」のわずか数年後には、世界は、アジアのふたつの
大国間の初めての戦いを目撃することになりました。このことは、チベッ
ト問題を公正かつ平和的に解決していくことが、アジアでもっとも強力な
ふたつの大国間に真の親交を確保していくなかでいかに重要であるかを明確
に示しています。また、チベット問題はガラスのように壊れやすいチベット
の自然環境にも関わる問題です。科学者たちは、チベットの環境が破壊され
ることになれば、何十億ものアジアの人々が多大な影響を受けることになる
という研究結果をまとめています。アジアの大河の源流は、その多くがチ
ベット高原にあります。チベットには、南極と北極の次に大きな、地球上で
最大規模の氷河があります。今日では、チベットのことを第三極と呼ぶ環境
学者もいるのです。このまま温暖化が続くなら、インダス川は15〜20年
後には干上がる恐れがあります。また、チベットの文化遺産は仏教の思い
やりと非暴力の教えに基づいています。つまり、600万人のチベット人の
問題に留まらず、ヒマラヤ地域、モンゴル、カルムイキア共和国、ロシアの
ブリヤートにおいて仏教文化を共有する人たち、平和と調和のある世界のた
めに貢献できる可能性を有する1300万人の仏教徒たちの問題でもあるの
です。これには我々の兄弟姉妹である中国の仏教徒も含まれ、その数もまた
増え続けているのです。

「最善を望み、最悪の事態に備えよ」というのが私の処世訓です。これを心
において、私は、若い世代のチベット人の教育に精力的に取り組むよう、
また、我々の豊かな文化遺産を保護するという目的の下に亡命下にある我々
の文化・宗教制度を強化するよう、さらには亡命チベット社会における民主
制度および市民社会を拡大、強化するよう亡命チベット人に助言を与えてき
ました。我々亡命社会の主な目的のひとつは文化遺産を保護することにあり
ます。亡命社会には文化遺産を保護する自由があり、チベット本土で捕われ
の身である人たちの声となって自由な発言をすることができます。我々は山
積みの難題に直面しています。亡命社会ですから、資源には当然ながら限り
があります。亡命生活がさらに長引くかもしれないという現実に向き合う必
要もあります。そこで、我々の教育・文化的活動において欧州連合のみなさ
んのお力添えをいただけましたら大変有り難いと思うのです。

私は、理にかなった、欧州議会の中国に対する不屈の取り組みが、中国です
でに始まっている変革のプロセスに重大な影響を与えると確信しています。
世界の流れは、開放性、自由、民主性、人権を重んずる方向へと向かってい
ます。遅かれ早かれ、中国は世界の流れを追わなければならなくなるでしょ
う。このような状況を考慮し、私は、欧州議会が名誉あるサハロフ賞を中国
人の人権活動家である佳胡(Hu Jia)氏 に授与されたことを称えたいと思い
ます。急速に前進する中国を見守るなかで、これは重要なシグナルとなりま
す。新たなステイタスを得て、中国は世界を舞台にした重要な役割を演じる
ことになります。中国がこの役割を果たすためには、開放性、透明性、法治、
情報と思想の自由を持つことが極めて重要となります。国際社会のみなさんの
中国に対する姿勢や政策が、中国で起きている変革の流れのみならず、自国の
発展に大きな影響を与えることになると私は確信しています。

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中国政府のチベットに対する極度に硬直した態度の継続とは対照的に、
幸いにも、中国の人々のなかには、情報と教育に恵まれた中国人を中心に、
チベット人の窮状に対する理解と思いやりが育まれています。チベット問題
に関する中国指導部への信頼は薄らぐ一方ですが、中国の人々への私の信頼
は少しも揺らいでいません。ですから私は、チベットの人々に対し、中国の
人々との交友を広げる努力をするよう提唱してきたのです。中国の知識人
たちは、中国政府が今年3月にチベット人デモ抗議者に対して行なった残酷
な弾圧をオープンに批判し、中国政府がチベットで起きている問題に本気で
取り組み、弾圧を自制し、対話に向かうよう呼びかけてくれました。中国人
の弁護士は、逮捕されたチベット人デモ抗議者を裁判で弁護することを公的
に申し出てくれました。今日、中国人の兄弟姉妹のなかには、チベット人が
おかれた困難な状況や法に則したチベット人の悲願に対する理解、思いやり、
支援、結束がさらに大きく育まれています。これがなによりも勇気づけられ
ることです。この機会をお借りして、中国人の勇敢な兄弟姉妹に、謝意を申
し上げます。

また、チベット人の非暴力かつ正当な闘いを絶えず支援し、懸念を表明し
てくださる欧州議会に対し、謝意を申し上げます。みなさんの思いやり、
支援、結束を偉大な光源として、チベット内外のチベット人はいつも励ま
されてきました。また、チベットの人々の悲劇を政治家としての義務のみ
ならず、自らの心に突き動かされた問題として取り組んでくださっている
欧州議会のチベットインターグループ(Tibet Inter-Group)に対し、心か
らの感謝の念を表明させていただきます。欧州議会の、チベット問題に対
する多くの解決策が大きな助けとなってチベットの人々の窮状に光があて
られ、ここヨーロッパの人々や政府において、そして世界中で、チベット
問題への認識が高まることとなりました。

欧州議会の一貫したチベットへの支援については、中国が看過しないはず
がありません。この件で、欧州と中国との関係に緊張が生じたことを遺憾
に思う次第です。しかしながら、現在のチベット本土の惨状や私の特使と
中国指導部との対話に行き詰まりがあるにせよ、私は、チベットと中国が
不信を乗り越え、互いへの尊敬、信頼、共通の利益の認識に基づいた関係
が生まれてほしいという私の正直な心願をみなさんと共有させていただけ
ますよう願っております。みなさんが絶えずチベットを支援してくださる
ことがポジティブな影響力となり、長い目で見れば、チベット問題を平和的
に解決するのに不可欠な政治的環境が作られていく助けとなることを、私は
信じて疑いません。ですから、みなさんの引き続きのご支援が極めて重要な
のです。

私の考えを共有させていただけたことを光栄に思い、みなさまに感謝の念を
捧げます。
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ダライ・ラマ
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/081204_eu.html


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ダライ・ラマ法王のメッセージ:

チベット暦丑年の新年をお迎えのチベット人のみなさまへ
2009年2月25日(チベット暦2136年1月1日)

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チベット暦2136年丑年の新年を迎えるにあたり、チベット内外のチベット
人のみなさまにご挨拶申し上げるとともに、平和と繁栄がありますよう、
そして我々の義にかなったチベット運動が解決へと向かいますようお祈り申し
あげます。

地球は絶えず回り続けています。この動きには古いも新しいもありませんが、
しかしその結果として昼があり、夜があり、ひと月があり、一年があります。
その一年の廻りが満了したときの新たなはじまりを新年とする伝統は世界中に
あります。雪国チベットにおいてもこれは同じです。1月1日を新年とし、
宗教的にも世俗的にも入念なお祝いをします。しかしながら昨年、チベット
全土のチベット人が中国指導部の政策に対する不満を表明し、これが広がった
ことへの答えとして、チベットに住む何百人ものチベット人が命を奪われ、
何千人もが拘禁され、拷問されるのを我々は目の当たりにすることとなりました。

計り知れない困難と苦悩に直面している同胞のことを思えば、今年迎えた新年
が祝賀やお祭りの雰囲気をたのしめるような時節にないことは明らかでしょ
う。 私は、新年の祝賀行事に浮かれ騒ぐことのない断固としたチベット内外
のチベット人の行動を高く評価しています。正月を祝うかわりに、悪い行ない
を排し、善い行ないに取り組むための期間として使うべきでしょう。そのよう
に徳を積むことで、チベット問題のために命を賭した同胞をはじめ、亡くなっ
た同胞がより高い次元で次の生を受け、仏教の悟りの境地に速やかに到達する
ように助けることができるでしょう。またこのような取り組みは、現在苦しみ
の最中にある人々が自由であることの幸せを速やかに享受できるように助ける
ことにもなるでしょう。そのように徳を積むことを通して、我々は、義にか
なったチベット運動が早期に解決するように全力で一丸となって取り組んで
いく必要があります。

まさに我々が懸念していたように、チベットでは今、中国政府による弾圧
キャンペーンが再開されており、チベット全域のほとんどの町において武装
した軍や治安部隊が大量配備されています。チベット全域どこにおいても、
チベット人の願いをわずかにでも暗示するような所作を示す者には、拷問と
拘禁が待ち受けているのです。とくに僧院においては特別に厳しい規制が課
せられており、愛国再教育が再開され、外国人旅行者の訪問も規制されてい
ます。さらには、チベット暦の新年を盛大に祝うようにとの挑発的な命令も
言い渡されています。このような現実を見据えるなら、その背後には、
チベットの人々を残忍で攻撃的なレベルの人種に貶め、どうしようもない
連中だからいさめるしかないという流れに持ち込もうとする中国政府の意図が
あることが明白にわかります。そのような流れが現実となれば、中国政府は
かつてないほどの想像を絶する弾圧を意のままに行なうことができるように
なります。ですから、私はチベットの人々に対し、忍耐を貫き、中国政府の
挑発に屈しないよう強く呼びかけさせていただきます。尊いチベット人の命を
無駄にしないよう、拷問や苦しみに晒されないよう、忍耐を貫いてください。

チベットにおられるチベット人のみなさんの熱意、決意、犠牲心を私がどれ
ほど称賛しているかについては、いまさら言うまでもありません。しかしな
がら、命を捨てることによって意味ある結果が生み出せるものではありま
せん。とりわけ、非暴力の道は我々の変更不可能な責務であり、この道から
逸脱することはありません。

最後に重ねて、すべてのチベット人が抑圧や拷問から開放され、自由である
ことの幸せを享受できるようお祈り申し上げます。

生きとし生けるすべてのいのちが幸せを享受できるよう祈りを込めて

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ダライ・ラマ



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チベット民族蜂起50周年記念日におけるダライ・ラマ法王の声明

2009年3月10日

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本日は、チベット民族が中国共産党のチベット弾圧に対する平和的蜂起を
行なってから50周年にあたります。昨年3月以来、チベット全土で平和
的な抗議行動が湧き起こりました。抗議に参加したチベット人のほとんど
は、1959年以降に生まれ育ち、自由であった頃のチベットを知らない
若い世代でした。彼らが強固な信念に突き動かされてチベット問題のため
に力を尽くした事実、さらにはそのような信念が親の世代から子の世代へ
と引き継がれているという事実はじつに威信の問題であり、チベット問題
に鋭い関心を寄せてくださっている国際社会にとりましても、勇気の源と
なるかもしれません。我々は、昨年の危機において命を落とした同胞、拷
問を受け、測り知れない苦難に苦しんだ同胞、さらには、チベット問題が
始まって以来、苦しみ、命を落としたすべての同胞に敬意を表し、祈りを
捧げます。

中国共産党部隊がチベットの北東部から東部(カム、アムド)にかけて
進駐を開始したのは1949年頃のことでしたが、1950年までに
5000人以上のチベット人兵士が殺されました。情勢を考慮して、中国
政府は平和的解放の政策を選択し、1951年には17ヶ条の協定とその
付属文書の調印に至りました。以来、チベットは中華人民共和国の支配下
となっています。しかしながら、17ヶ条の協定にはチベット独自の宗教、
文化、伝統的価値が保護されるとはっきり述べられています。

1954年から1955年にかけ、私は北京において毛沢東国家主席が
率いる中国共産党政府や軍部のほとんどの幹部と会する機会を持ちました。
我々は、チベットの社会的および経済的発展を遂げる方法について話し合
い、同時に、チベットの宗教や文化遺産を維持する方法についても話し合
いました。その際には、毛沢東をはじめとする幹部全員が自治区の履行に
向けて道筋をつける準備委員会を設立することに合意したのですが、それ
は軍部管理委員会の設立というよりはむしろ17ヶ条の協定のなかで約束
されているような委員会でした。しかしながら、1956年頃からチベッ
トにおいて極左政策が敷かれ、それにより状況が急転しました。その結果、
上層部との確約が履行されることはありませんでした。カムおよびアムド
地域におけるいわゆる「民主的改革」の強硬履行は、当時の一般的な情勢
と合致しておらず、測り知れない混沌と破壊をもたらす結果となりました。
中央チベットにおいては、中国人役人が強制的もしくは故意に17ヶ条の
協定の条項を破るなど、圧政的な政略は日ごとに濃さを増していきました。
このような絶望的な成り行きはチベット人に選択の余地を残さず、195
9年3月10日、チベット人は平和的蜂起のために立ち上がることとなり
ました。中国指導部は先例のない武力をもってこれを処し、それから数か
月のうちに何万ものチベット人が殺され、逮捕され、刑務所に入れられま
した。結果的に、私は何人かのカロン(大臣)をはじめとするチベット政
府役人の小さな一行と共にインドへ逃れ、亡命することとなりました。
以後、10万人近いチベット人がインド、ネパール、ブータンへ逃れ、
亡命しました。そのような脱出とその後の数か月間にわたって直面した
想像を絶する苦難は、いまもチベット人の記憶に生々しく焼きついてい
ます。

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前からの続き

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チベットを占領した中国共産党は、弾圧的かつ暴力的なキャンペーンを繰り
広げ、“民主改革”をはじめ、階級間の闘争、集産主義化、文化大革命、戒
厳令の施行へと続き、最近では愛国再教育や犯罪撲滅運動を強化しています。
そのような苦難の深淵に追い詰められたチベット人は、まさにこの世の生き
地獄を経験しました。このようなキャンペーンによる即刻の結果は、何十万
人ものチベット人の死でした。僧院、尼僧院、寺院などは跡形もなく破壊さ
れました。歴史的建造物も取り壊されました。天然資源は見境なく搾取され
ています。今日、チベットの壊れやすい自然環境は汚染され、大規模な森林
破壊が進められています。ヤクやチベットレイヨウなどの野生動物は絶滅へ
と追いやられています。

この50年間は、チベットの大地と人々に、ことばにできないほどの苦しみ
と破壊をもたらしました。今日もなお、チベット本土のチベット人は絶えず
怯えて暮らし、中国指導部は常にチベット人に嫌疑の目を向けています。
今日、チベット人が世代から世代へと受け継ぎ、命よりも貴いとかんがえて
きたチベットの宗教、文化、言語、アイデンティティは絶滅しようとしてい
ます。チベット人は死刑に値する罪人のごとくみなされているのです。チベ
ット人の悲劇は、1962年に故パンチェン・リンポチェ(パンチェン・ラ
マ)が中国政府に提出された7万字の覚書においても述べられました。19
89年、パンチェン・リンポチェは亡くなられる直前にシガツェで行なわれ
た演説のなかで再度これを言及し、中国共産党の支配下で我々が失ったもの
は得たものよりもはるかに重いと語られました。懸念したチベット人の多く
もまた、チベット民族の苦難について堂々と意見を述べました。当時の共産
党書記であった胡耀邦でさえも、1980年にラサに到着した際には、それ
までの過ちをはっきり認め、チベット人に許しを請うたのです。道路、空港、
鉄道など、インフラ整備の多くはチベット地域に進展をもたらしたように思
われますが、実際にはチベットの自然環境とチベット人の暮らしを犠牲にし
てチベットを中国化するという政治的な目的のもとになされたのです。

難民となったチベット人におきましては、最初のうちこそ気候や言語の大き
な差異や生計を立てるための困難に直面しましたが、亡命下で自分自身を立
て直すことができました。難民となったチベット人が恐怖を抱くことなく自
由に暮らすことができますのは、我々を寛大に受け入れてくださったインド
を中心とする国々のおかげです。我々は、チベット問題を解決するために献
身できただけでなく、子供たちにチベットの伝統教育と現代教育の両方を提
供してくることができました。おもいやりを強調するチベット仏教に対する
理解が、世界中の様々な地域において深められることになったこともまたポ
ジティブな結果といえるでしょう。

亡命生活に入ると、私は速やかにチベット人コミュニティにおける民主政治
の推進に着手し、1960年には選挙によるチベット亡命政府を樹立しまし
た。以来、我々は民主主義の階段を上り、今日、我々の亡命政府は独自の憲
章と立法府を持つ完全な民主政体として機能しています。我々はみな、これ
を誇りに思ってよいでしょう。

2001年から、我々はほかの民主的制度におけるものと同様の手順を通し
て亡命チベット人の政治指導者を直接的に選出するシステムを導入していま
す。現在は、直接的に選出されたカロン・ティパ(主席大臣)の二期目が進
行しています。それゆえに、私の日常的な行政責任は減り、今日の私は半引
退の状態にあります。しかしながら、義にかなったチベット問題に取り組む
責任はすべてのチベット人にありますので、命あるかぎり、私はこの責任を
掲げていくつもりです。

私は、私の第一の務めはひとりの人間としての務めであり、人間的な価値を
促進させることにあるとかんがえています。人間的な価値を促進させること
が、個人、家族、コミュニティにおける幸福な人生の鍵であるとかんがえて
います。第二の務めは、宗教家としての務めであり、宗教間の調和を促進さ
せることです。第三の務めは申し上げるまでもなく「ダライ・ラマ」という
名をもつチベット人であることですが、それ以上に大切なのは、チベット内
外のチベット人の信頼のうえに私があるということです。以上が私の主要な
務めであり、私がいつも心においていることです。

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中央チベット行政府は、亡命チベット人コミュニティが満足できる生活状態
を確保できるように取り図らってきましたが、もうひとつの主要な仕事とし
てきたのが、チベット問題の解決に向けてのはたらきかけです。1974
年、我々はチベットと中国の双方にとって有益となる中道政策を提示し、
1979年にトウ小平が会談を提案したときにはこれに応じる用意ができて
いました。何度も会談が重ねられ、調停のための代表団が派遣されましたが、
しかしながら、これらの会談は具体的な結果や正式な接触に通ずるには至ら
ず、1993年に破局に到りました。

その後、1996年から1997年にかけて、我々は亡命チベット人に世論
調査を行ない、チベット本土からは可能な限りを尽くして提案を集めました。
チベット民族の自由を求める闘争をいかなる方向に進めるなら満足のいくも
のとなるか、その回答結果に基づいて我々の今後が決定されることになって
いたのです。世論調査と収集した提案に基づき、我々は、中道政策の続行を
決定しました。

2002年にチベット・中国間の連絡ルートが再開されて以来、我々は、
ひとつの公式ルートとひとつの議題というポリシーに従って中国指導部と
8回の会談を行ないました。その結果、我々は、「全チベット民族が名実
共に自治を享受するための草案」を提出し、中国憲法に記述されているよ
うな自治の条件が、自治の法律を完全に履行することでいかに満たされて
いくかについて説明しました。我々がチベットを中国の一部であると古代
から認めているとする中国側の主張は、不正確であるばかりか理にかなっ
ていません。良いことであれ、悪いことであれ、過去を変えることはでき
ません。政治的な目的のために歴史をゆがめることは間違っています。

我々は、未来を見つめ、双方にとっての有益のために取り組んでいく必要
があります。
我々チベット人は、自治ということばの意味をなす、法に則した自治を求
めているのであり、中華人民共和国という枠組みのなかでチベット人が暮
らしていけるような準備が整えられることを求めています。中国は、チベ
ット人の望みをかなえることにより安定と統一を成就できるのです。我々
の側から、歴史に基づいた要求があるわけではありません。歴史を振り返
りますと、中国をはじめ、今日の世界に不変の領土を維持した国はありま
せんし、不変を維持することもまた不可能なことなのです。

我々の願いは、すべてのチベット人がひとつの自治政権の下に置かれるこ
とであり、これは、自治区の原理の目的と一致した願いです。これが実現
されるならば、チベット人と中国人の根本的な要求事項が満たされます。
この真なる願いは、中国の憲法、法律、規制などにおいてなんら問題を引
き起こすものではありませんし、中国中央政府の指導者の多くもこれを受
け入れてきました。17ヶ条の協定の調印の際、周恩来首相は、これがも
っともな要求であることを認めておられましたが、しかしながら履行には
時期尚早でした。1956年、“チベット自治区”に向けての準備委員会
が設立されるにあたり、陳毅副主席は地図を指し示して、「もしラサが他
県のチベット地域を含むチベット自治区の首都となるならば、チベットの
発展のみならず、チベット人と中国人の友愛の構築に貢献できるだろう」
と、パンチェン・リンポチェや多くのチベット人の幹部や学者のそれと共
通の見解を語られました。中国の指導者が我々の提案に異議があったので
あれば、異議を唱える理由を示して代替案を勧めることもできたのですが、
そのようなことはありませんでした。私は、中国が自国の憲法に記述して
いるような、全チベット人が名実を共にする自治を実現すべく我々が尽く
している誠実な努力に対して中国当局の適切な対応がないことに失望して
います。


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現在の中国・チベットの対話のプロセスが具体的な結果に達していないこと
は別としても、昨年の3月以来、チベット全域を揺るがしたチベット人の抗
議に対する残虐な弾圧が起きています。そこで我々は、今後いかなる道を歩
むべきか民衆の意見を求めたく、2008年11月に亡命チベット人による
特別総会を開催しました。チベット本土からも可能な限りの提案を集めるた
め、懸命な努力がなされました。そのような全過程を経た結果として、大部
分のチベット人が中道政策の続行を強く支持していることが明らかになりま
した。それゆえに、我々は自信をもって中道政策を遂行していますし、全チ
ベット人が名実を共にする自治を享受できるよう引き続き努力していくつも
りです。

太古の昔、チベット人と中国人は隣人として暮らしていました。未来におい
ても、我々は共に暮らしていかなければならないでしょう。それゆえに、我
々にとってもっとも大切なことは、互いへの友愛の情をもって共存すること
なのです。

チベット侵攻以来、中国共産党はチベットとチベット人に関するゆがめられ
たプロパガンダを発表してきました。その結果、中国人の一般庶民のなかに
はチベットについて正しく理解している人はほとんどいません。真実を知る
こと自体が、彼らにとっては非常に難しいことなのです。昨年の3月以降、
極左派の中国人指導者が現れ、チベット人と中国人の間に敵意を作り出すこ
とを意図した膨大なプロパガンダが喧伝されています。その結果、残念なが
ら中国人の兄弟姉妹の心にチベット人に対するネガティブな印象が生じてい
ます。それゆえに、これまで繰り返し呼びかけてきましたように、私は、中
国人の兄弟姉妹に対し、そのようなプロパガンダに流されるかわりに、チベ
ットについての公平な事実をみいだすよう努めていただき、中国人とチベッ
ト人の分裂を避けていただきますよう、再度、強く呼びかけさせていただき
ます。チベット人もまた、中国の人々との友愛の情を得られるように引き続
きはたらきかけていく必要があります。

50年間の亡命生活を振り返りますと、我々には多くの浮き沈みがありまし
た。しかしながら、チベット問題は生き続け、解決に向けての国際社会の関
心はじつに高まっています。このような見地から、私は、我々が真実と非暴
力の道を歩み続けていくならば、チベット問題の正当性が明らかにされると
確信しています。


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亡命生活50年の節目にあたり、もっとも大切なことは、我々を住まわせて
くださっている国々の政府と国民に対し、我々の深い感謝の念を表明するこ
とです。住まわせていただいている国の法律を順守するだけでなく、その国
の財産となれるような方法を自分に課していく必要があります。このような
努力は、チベット問題の解決やチベットの宗教や文化を維持していくうえで
も同様に必要であり、我々は、過去の経験から学ぶことにより未来のビジョ
ンや戦略を作っていかなければなりません。

いつも申し上げておりますように、我々は、最善を望んで最悪に備える必要
があります。グローバルな視点から見ましても、中国国内で起きている出来
事の流れを見ましても、チベット問題の迅速な解決が期待される理由が見受
けられます。しかしながら、我々は、チベット人の苦闘がさらに長く続く場
合の準備もしておく必要があります。それゆえに、我々は、子供たちの教育
を第一とし、様々な分野における専門家を養成していかなければならないの
です。環境問題や健康についての意識を高めていくと同時に、非暴力に対す
る理解を深め、これをあまねくチベット人の慣習としていかなければなりま
せん。

この機会をお借りして、数々の障害に直面しようとも、50年にわたって
我々亡命チベット人に測り知れない支援の手を差し伸べてくださったインド
の指導者と国民、ならびに中央政府と州政府に心からの感謝の念を表明させ
ていただきます。測り知れないご親切と寛容をもって我々を受け入れてくだ
さっていることに深く感謝申し上げます。また、国際社会の指導者や政府、
そして一般市民のみなさま、さらには惜しみない支援の手を差し伸べてくだ
さっているチベット支援団体のみなさまに、心からの感謝の念を表明させて
いただきます。

生きとし生けるすべてのものの平和と幸福を祈って

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2009年3月10日
ダライ・ラマ

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亡命50年の節目の式典「ありがとう インド」における
ダライ・ラマ法王のメッセージ

2009年3月31日

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親愛なる兄弟姉妹のみなさまへ

チベットは、アーリア人の土地であるインド北部に横たわるヒマラヤ山脈の
裏側に位置する雪国です。釈尊はこの土地を祝福され、この土地に仏の教え
が広まるであろうと予言されました。カイラス山とマナサロワール湖もチベッ
トにあり、仏教徒やヒンズー教徒などインドの主要な信仰における聖地とされ
てきました。チベットには、インドを通って大海へと流れ込む4つの大河の源
があります。地理的にはインドの高原地域のようなものですから、インドの
偉大な師たちはチベットのことを、33人の神々が住む三十三天(帝釈天世界)
と呼んできました。チベット民族が誕生したのは、出土品から見るに、少なく
とも1万年以上前であると推測されます。ベンガル人の学者であるプラジャナ
・ヴァルマー氏によりますと、チベット人は、マハーバーラタ戦争の後にチベ
ットに逃れてきた南インド王国の王ルパティの末裔であるといいます。
また、チベットの初代国王は、西暦紀元前150年頃に自分の王国を逃れ、チベッ
トへ亡命したマガダ王国の王子であると信じられています。チベット人はこの
王子をニャ・ティ・ツェンポと命名し、チベットの国王に任命し、これがチベ
ット王室の始まりとなったとされています。地理、祖先、王室についてはとも
かくとして、インドとチベットには長年にわたる親密な関係があります。

7〜8世紀には、チベット人の若者は勉学のためにインドへ派遣されました。
トンミ・サムボータをはじめとするチベット人は、インドでの教育を終える
と古代インドで使用されていたナーガリー文字をもとにチベット文字を創り、
これをチベットの初期の筆記文字に発展させ、さらにはサンスクリット語をも
とにチベット語の文法を構築しました。彼らの仕事はチベットの文明開化に
貢献したのみならず、釈尊の教えをチベットにあまねく広めることを可能に
してくれました。8世紀には、ベンガル国の王子であったシャーンタラクシタ
が僧侶に転身してナーランダ大学の高名な学者僧となり、チベットを訪れて
チベットで初めての僧院団を設立しました。インド西部出身のパドマサンバ
ヴァ師はタントラ仏教を広め、シャーンタラクシタの弟子のカマラシータも
チベットを訪れて仏教を発展させました。

このように、チベットにおいて仏教を確立してくださった師たちのご厚意の
おかげで、経蔵・律蔵・論蔵に分類される仏教聖典である三蔵など数多くの
仏教の教えがチベット語に翻訳されました。ほかにも、ナーランダ僧院のア
ーリャ・ナーガルジュナやアーリャ・アサンガというようなインドの偉大な
哲学者たちの著作がチベット語に翻訳されました。タクシラ大学、ナーラン
ダ大学、ヴィクラマシーラ大学、オーダンタピュリ大学など、インドの大学
において育まれた仏教が、完全かつ純粋な状態でチベットにおいて確立され
るに到ったのはこれらの翻訳のおかげです。また、チベット人の学者も常に
インドの原典を確認し、勝手な解釈のないようにしてきましたので、インド
において衰退した仏教が、今日でもなお、チベット仏教というかたちで完全
かつ純粋なまま残されているというわけです。


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聖典の翻訳は、7世紀にトンミ・サンボタをはじめとするチベット人の学者が
観音経、陀羅尼、大般若経など多くの経典を翻訳したことにはじまります。
ブトゥン・リンチェン(1290‐1364)が著した『仏法発展の歴史』によりま
すと、カワ・ペルツェグ、チョグロ・ルイ・ギャルツェン、シャン・イェシ
ェという3名の翻訳家と93名の偉大なインド人の師たちがこれを監修し、訳文
を改めたということです。翻訳官の数を全部合わせますと、700名ほどになり
ます。

アチャリャ・シャーンタラクシタやスレンドラボディの時代であった8世紀
後期および9世紀初期からアチャリャ・バルバドラとその弟子たちの時代で
あった17世紀までには、300巻以上の経典がサンスクリット語からチベット
語に翻訳されました。これに対し、サンスクリット語から中国語に翻訳され
た経典は10巻だけでした。サンスクリット語をはじめとするインドの言語で
書かれた経典の多くはチベット語に翻訳され、釈尊の言葉を翻訳してまとめ
たカンギュールという経典部とインドの師による注釈を翻訳してまとめたテ
ンギュールという論釈部になりました。インドで仏教が衰退した現在、完全
かつ純粋なインド仏教の教えを維持しているのが我々チベット人なのです。
じつに多くの経典がインドの言語からチベット語に翻訳されましたが、これ
らはみな、ほぼ厳密かつ正確に翻訳されているとかんがえられています。そ
れが可能であったのは、チベット語がサンスクリット語をもとに創り出され
た言語であるからであるとかんがえられます。

チベットのような標高の高い土地を訪れるのはじつに困難なことでしたが、
それにもかかわらず、パンディット・シャキャシュリー、パンディット・ス
ムリティジュナ、ディーパンカラ・アティーシャなどインド人の師の多くが
仏の教えを伝えるべくチベットを訪れてくださいました。また当時は、たく
さんのチベット人が仏教を学ぶためにインドを訪れました。彼らの多くは学
業を終えるとチベットに戻りましたが、そのままインドに留まった者たちも
いました。チベット人の学者のなかには、翻訳官のツァミ・サンギェ・ドラ
クのように、後にブッダガヤの大僧院長になったケースもあります。また、
インド人の師のなかには、トルコ人の侵略の際に僧院を破壊され、チベット
へ逃れてきた方々もいらっしゃいました。

このように見てまいりますと、チベットとインドには宗教と文化における
強い絆があることがわかります。後に首相となったモラルジー・デサイ氏は、
手紙のなかで私にこう語られました。「インドとチベットは同じ一本の菩提
樹からなる二本の大枝のようなものです」
これには私もまったく同感です。ゆえに私は、インドのみなさまは我々の師
であり、我々チベット人はインドのみなさまの弟子あるいは生徒であると心
から思っているのです。


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インドにおいて仏教が衰退するにつれ、インドとチベットの精神的・文化的
な結びつきは弱まり、交流の機会も減じていきました。しかしながら、チベ
ット人はインドにある仏教徒の聖地への巡礼を続けましたし、インド側から
もカイラス山やマナサロワール湖を目指して引き続き巡礼者がやってきまし
た。1959年までは、パスポートもビザも不要でした。インド・チベット間の
交易は、インド西部のラダックから現在のアルナチャル・プラデシュ州が
ある東部まで国境線に沿って続いていました。チベットは、国境線に関する
重要な協定に合意していましたし、国境付近の聖地各所に信仰の目的で寄付
を贈る習慣もありました。20世紀には、インドの仏教学者であるラーフル
(1893-1963)がチベットを三度にわたって訪れ、貴重なサンスクリット語
の経典を持ち帰り、インドにおける仏教への関心を復興すべく多大な貢献
を果たしました。

政治面におきましては、1904年、チベットは英国領インドとラサ条約を締結
しました。そして1910年には、ダライ・ラマ13世がインドへ亡命しました。
1913年から1914年には、チベットを独立国家と認めるシムラ条約が英国領
インドとチベットの間で調印され、以後、10年に一度これを見直していく
ことで双方が合意しました。チベット・インド間の交易ルートの安全も確
保されました。郵便や電信がはじまり、ラサにはインド大使館が設立され
ました。インドが独立する数カ月まえの1947年3月には、チベット政府の代
表団がアジア関係会議に招かれました。

1956年、釈尊入滅二千五百年記念式典に招かれたパンチェン・リンポチェ
(パンチェン・ラマ)と私は、ほかのチベット人僧とともに独立後のインド
を訪れました。また、インドにある仏教徒の聖地を巡礼したチベット人の巡
礼者たちはみな、大変な親切を受けました。私自身も、仏教徒の聖地のみな
らずほかの宗教の聖地を巡礼する機会をいただいたことはもちろん、インド
における産業の発展を拝見して、希望で胸をふくらませたものです。インド
の卓越したリーダーたちと会し、アドバイスをいただく機会にも恵まれまし
た。そのなかでも、当時のインド首相であったパンディット・ネール氏から
はとくにご厚情をいただき、チベット人に測り知れない恩恵をいただきまし
た。

その年、私はインドでアシュラムを訪ねるかわりにチベットへ戻ることにし
ました。振り返りますと、実生活におきましても霊性的な側面から見まして
も、この判断が正しかったことがわかります。チベットへ戻ったことで、ゲ
シェ(博士)になるための最終試験を受けるなど宗教的な義務の多くを果た
すことができただけでなく、中国政府との関係においてあらゆる手段を尽く
すことができました。

チベット政府と私は、チベットと中国が十七条協定に基づいて平和な暮らし
を確保できるよう力を尽くしましたが、我々の努力は報われませんでした。
チベットの人々はなす術を失い、ついに1959年3月10日、中国の残忍な行為
に反旗を翻して平和的蜂起を起こし、事態はさらに深刻になりました。私は
事態を収拾して中国の厳しい対応を避けようと力のかぎりを尽くしましたが、
失敗に終わりました。結果として、3月17日、私はカロン(内閣閣僚)をはじ
めとするチベット政府の高官とともにチベット南部へ逃れることになりまし
た。その場所から再度、中国政府と協定を結ぼうと試みたのです。しかし、
ラサの状況は3月19日の夜、中国軍が武力による鎮圧に踏み切ったことによ
りさらに深刻な事態となり、それから24時間のうちに、罪のない2000人以
上のチベット人が殺害され、負傷し、刑務所に入れられました。なす術を
失った我々には、インドへ逃がれる以外に道はありませんでした。数々の
困難を経て、3月31日、我々は無事に自由という光の国であるインドにた
どり着くことができました。私の人生においてもっとも重大な日々であっ
たと同時に、チベットの人々の歴史におきましてもこれがターニングポイ
ントとなりました。


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チベット人に対する中国軍の容赦ない弾圧はチベット全域に広がり、その年
にはおよそ10万人のチベット人が現在のアルナチャル・プラデシュ州やブー
タンへ逃れ、インドに亡命しました。インド政府はじつに寛大にこれを受け
入れ、すぐにチベット人のための難民キャンプをアッサム州やベンガル地方
に作ってくださいました。そしてインド政府が食糧、衣類、毛布、医薬品の
提供というかたちでチベット人を支援してくださったおかげで、チベット人
難民は安堵を得ることができました。やがて、亡命した僧侶や尼僧は再び
仏教の研鑽を積む機会を得、子どもたちは教育を受ける機会を得、年配者
は住む場所を得、働ける人はそれぞれに応じた仕事を得ることができまし
た。つまり、インドが亡命チベット人を物質的に援助してくださったおか
げで、我々チベット人はチベットの宗教、文化、アイデンティティをまも
ることができたのです。難民となったチベット人がインドのあちこちに散
らばることなくチベット人コミュニティを作り、そのなかで共に暮らし、
現代教育のみならずチベットの言語・文化・宗教を学べるチベット人のた
めの学校に子どもたちを通わせるという目標をもって居留地を開拓するこ
とができましたのは、とりわけパンディット・ネール氏の先見性とご配慮
のおかげなのです。この50年間にわたり、10万人以上のチベット人難民が
インド人のみなさんと同様の社会保障を受けてきました。自国の問題があ
るにもかかわらず、誠心誠意を尽くして我々に絶えず援助の手を差し伸べ
てくださったインド中央政府ならびに州政府に、我々は深く感謝いたして
おります。インドのみなさまが友愛の情を示してくださったおかげで、我々
はインドを第二の故郷として、チベット人の技術や能力を活かして生きてく
ることができました。インド全域のみなさまが、精神的および物質的な支援
の手を差し伸べてくださったのです。この50年を振り返りますと、インドに
亡命の道を求めた我々の選択は正しかったとあらためて確信いたします。

カースト、宗教、政治などの所属にかかわらず、インドのみなさまはじつに
幅広くチベット人を支援してくださり、インド・チベット友好会も設立され
ました。個人的にチベット人に同情し、チベット問題や亡命チベット人の暮
らしのためにご尽力くださったインドのみなさまの数は数え切れません。こ
れも、師が弟子に心を配るインドの伝統の反映であるように思われます。イ
ンド由来の我々のアイデンティティと文明が絶滅の危機に晒されていたまさ
にそのときにインドのみなさまが見せてくださった道徳的および物質的な雅
量は、まさに「困ったときの友人こそが本当の友人である」という英語の諺
そのままでした。

インドとチベットの言語や習慣の違いを考慮しますと、我々がインドに住む
ようになったことで、はじめのうちは、困惑や不安を感じられたかと思いま
す。しかしながら、それでも我々は、概して互いを理解し合い、調和を築く
ことができました。これはなによりのよろこびです。あるいはこれも、イン
ドの大切な伝統である寛容と非暴力の精神のあらわれといえるかもしれませ
ん。チベット人難民の数は、インドにある他民族の難民コミュニティのそれ
と比べれば小規模なものですが、それにもかかわらず、我々はインド政府と
インドの人々から最大級のご支援をいただいています。

チベット人難民は、インド政府が提供してくださった小さな区画を整地する
ほかに、冬季には羊毛製品を市街で売る商いもしています。このような商い
をさせていただけることは、生活費を稼ぐ機会となることはもちろんですが、
インドの人々と触れ合い、互いへの理解を深める機会ともなっています。チ
ベット人難民は経済的に自立できるようになりましたが、それでも今もまだ、
我々がチベット人学校やチベット文化施設を設立できますのはインド政府の
ご支援のおかげなのです。

私個人のレベルでいいますと、亡命下で私が自由を享受できますのは、イン
ドのおかげです。インドのおかげで、私は釈尊の教えを実践し、人類がより
よく生きられるように活動させていただけるのです。『Freedom in Exile
(亡命生活における自由)』(邦訳:『ダライ・ラマ自伝』文芸春秋)とい
うタイトルを私の自伝につけましたのも、私がインドで自由を享受させてい
ただいていることのあらわれです。インドを私の宗教的な故郷とかんがえ、
非暴力と慈悲というインドの思想を伝えるべくメッセンジャーのように各国
を巡ることができますのは、私にとりましてはじつに名誉なことです。


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ひとりの人間としての私の務めは、幸福な人生の鍵である心のあたたかさ
など人間的な価値を促進させることにあります。第二の務めは宗教家として
チベット問題に取り組むことにあります。ダライ・ラマという名をもつ者と
してというよりは、チベット内外のチベット人が私に信頼をおいてくれてい
るという理由からこれを第二の務めとしています。チベット人の安寧は私の
日々の懸念ですから、私は自分のことを、中国共産党支配のもとで何十年も
自由を奪われ、抑圧され続けているチベット人の代わりに意見を述べる、た
だのスポークスマンとかんがえています。

この50年間、私は公的にも私的にも数え切れないほど多くのリーダーや有識者
のみなさまから惜しみない親愛の情や激励をいただいてまいりました。彼らは
信頼と友愛の情を私に示してくださり、私が生涯大切にすることとなる貴重な
アドバイスを授けてくださいました。そのすべての方々の名前をここで挙げる
ことはとてもできませんが、しかし、ほんの一部として、インド総督ラージャ
ゴーパーチャリ氏、インド共和国初代大統領ラジェンドラ・プラサド博士、
インド初代首相パンディット・ジャワハルラール・ネール氏、アチァリャ・
ヴィノバ・バベ氏、ジャヤプラカシュ・ナーラヤン氏、アチャリャ・クリパ
ラニ氏の名前を挙げさせていただきたいと思います。

インドのみなさまのチベット支援は2000年間続いていますが、とりわけこの
50年間につきましては、測り知れないご支援をいただきました。インドに対
する我々の感謝の気持ちは、とても言葉では言い尽くせません。しかしなが
ら、インドに亡命させていただいて50年というこの節目に、どれほどの恩義
を感じているか少しでもお伝えいたしたく、今日、ここにお集まりいただい
た私のインド人の友人であるみなさまを通して、インドの人々とインド政府
に、私の深い感謝の念を表明させていただきたく思います。

仏教は、1500年前にインドからチベットへ伝えられました。その後、仏教誕
生の土地インドでは衰退したものの、我々はチベットにおいて仏教の教えを
まもり、ほかの国の人々が仏教の教えから恩恵をいただけるようにお手伝い
させていただくことができました。インドという国のご親切に、わずかなが
らでも報いることのできる方向へ歩んでくることができたと我々は感じてい
ます。

インドにおける仏教復興のためにお力添えできますなら、これほどうれしい
ことはありません。この夢を実現すべく、パンディット・ネール氏は、シッ
キム・チベットロジー研究所、レーとラダックの中央仏教研究所、ヴァラナ
シに中央チベット研究大学を設立されました。これらの研究機関では、かつ
てのインドにあって今はない重要な経典がチベット語から再びサンスクリッ
ト語などのインドの言語に翻訳されています。このようなプロジェクトは成
功し、満足のいく成果が得られています。これまで我々が仏教文化を維持す
ることができましたのはインドのおかげであり、その感謝の気持ちのしるし
として、我々は、チベット語からサンスクリットに翻訳した63巻の経典、ヒ
ンズー語などほかの言語に翻訳した150巻の経典をはじめ、釈尊の言葉を翻訳
してまとめたカンギュール(経典部)とインドの師による注釈を翻訳してま
とめたテンギュール(論釈部)の全巻をインド国家に提供させていただく用
意があることをみなさまにお伝えさせていただきます。

チベット内外のすべてのチベット人を代表して、私は、深く熱い感謝の念を
「ありがとう」の言葉に託したいと思います。

そして同時に、我々の隣人であり、仏教文化を分かち合い、長年の絆をも
つブータンとネパールのみなさまに対し、チベット人難民に避難所を提供し
てくださっていることへの感謝の念を捧げます。そして、チベット人を住ま
わせてくださっているすべての国々のみなさまに感謝の念を捧げます。

生きとし生けるすべてのものの幸福のために祈りを込めて


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ダライ・ラマ



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天安門広場での学生による民主化運動20周年に寄せる
ダライ・ラマ法王の声明

2009年6月4日

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天安門広場での学生による民主化運動から20周年というこの日、「中国政府は
人民に対してもっと責任を持つべきだ」 という民衆の要求を掲げて亡くなった
方達に、中国の問題に関心を持つ皆さんと共に謹んで敬意を表します。

天安門事件に関わった学生達は、反共産主義者でも反社会主義者でもありま
せんでした。憲法によって保証される中国人民の権利を守り、民衆を重んじ、
不正に反対するという彼らの主張は、中国共産主義政府の基本的思想に一致
するものでした。この事は、当時の総書記、氏も明言しています。ですから、
来たる中華人民共和国建国60周年は、1989年6月4日の出来事を振り返る大きな
機会となることでしょう。

1989年以来、中華人民共和国では大きな変化がありました。、中国は国際的な
経済力を持ち、超大国となろうとしています。中国の指導者達が勇気と広い
視野を持って、平等主義的原則をもっと心から受け入れ、多様な考え方に対
し、さらなる和解と寛容の政策を推進することを願っています。開放政策と
現実主義は、中国国内に大きな信頼と調和をもたらし、真に偉大な国家とし
ての国際的立場を高めることになるでしょう。

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ダライ・ラマ

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