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キリストの証人たちコミュの第7章 祈りの学校における新しい教訓 その1

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人を導こうをする者は自らが絶えず導かれている者であり、
真に教えようとする者は自らが常に学ぶ者でなければならない。

ミューラーは祈りの学校において、大いなる必要を眼前に控えつつ、
初めの主義をどこまでも守って進む間に、
弱い状態から強くせられおぼろげであったものが鮮明になり、
小さいものが大きなものと成長して行った。

彼は神を信ずることにおいて勇気を増し加えられると共に、
幼児のように単純に信頼する様になって、
その協力者と友人などを、共に信仰の高嶺に引き上げて行った。

もし神が助けなかったらばどうするか、というような世間的な質問に対して、
常に答えるところのものは
「そのような失敗は神の側においては想像さえすることが出来ない」というのであって、
すでにこのような思想さえも、彼の経験に照らして不可能なことであった。
しかし、神から受けようとするところのものは
祈るべき正しい心の態度を持っていなければならない。

その態度とはいかなるものであるか、
彼は簡単に、有力なる祈りの条件として5ヶ条を挙げている。

1、主イエス・キリストのいさおと熟慮の上に全く依頼する事
(ヨハネ伝14の13、14、15〜)

2、全ての知っている罪より離れる事「わが心に知れる不義あらば主は我に聴き給うまじ」
                               (詩編66の18)
3、誓いによって保証された神の言の約束に信頼すること。
神を信じないことは神を偽り者また欺く者とすることである(ヘブル書11の6、6の13-20)

4、神の意志に従って求める事、即ち私どもの動機が正しく、
何を求めるにしても、私ども自身の欲望を満たす為に神の恵みを求めてはならない。
(ヨハネ第1の書5の13,ヤコブ書4-3)

5、祈祷における堅忍不抜の精神、神を待ち望み、
また神の為に待ち望まなければならない。丁度農夫が長い間収穫の時を待つ様に。
                      (ヤコブ書5-7、ルカ伝18-10)

これらが彼の力ある祈りの基礎的精神であって、
罪人であるがキリストの功績に依頼するが故に強く、
すべての罪を離れ神の与えたもうた契約に従って、
その意思のままに求めようとするゆえに大胆に臆しなかった。

また祈りは単に自己の思うままに神を働かせようとするのでなく、
神のもっとも善とし給う仕方において答えられるのを喜ぶのが信仰的な心の態度である。

このようにして祈るとき、聖霊は彼等のうちに働き、
彼等の祈りを促進して神の目的に合致させることにより、
キリストの名において願う所は全て得るという標準に進んでゆくのである。

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