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キリストの証人たちコミュの第6章 信仰の試みと祈りの補助者 その2

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このように心が一つになって同じ方向に進んで行った事の一例は、
ある一人の紳士と貴婦人などが見物に来て沢山の孤児を見、
婦人の一人が保母に尋ねるのに
「この事業を経営されるにはもちろん充分の基本金をお持ちでしょう」
紳士がまた続いて尋ねたのは、「良い資本がお有りでしょう」と。

この時彼女は静かに
「私どもの基金は破産することの出来ない銀行に貯えられてあります」
と答えた。これを聞いてその婦人の眼から涙が流れ落ち、
紳士のポケットから5万ポンドの寄付が出された。
この時は丁度手に1ペニーもなかった時である。

このように彼等は何物がなくても喜び、
人に訴えることをしないで神を崇めていた。
それは丁度昔モーセが手を高く揚げて執り成しをしている時に、
次第に手が下がろうとするのをアロンとホルとが助けた様に、
彼等も高く揚げられた信仰の手を
祈りをもって支えて勝利を得るに至った。

神が要求を満たし給う仕方は、
昔イスラエルの民が日々にマナを与えられた様に、
その時に至って適当な賜として与えられる事を知って、
1839年9月半ばからは全ての道具をも
現金をもって払う事とした。

借地料のようなものをこれを予め備え
その他の費用は日々あるいは毎日払う事の出来ないものは、
前週これのために備えてひとまとめとして払っていた。

これは前に定めた様に借金をしないという主義に基ずくものである。
このことが彼の事業を一糸乱れない整頓のうちに進ませた
一つの大切な要素であった事を注意しなければならない。

このような良心に従って信仰の歩みを続けてゆくうちにも、
金は毎日の必要を満たすだけしか与えられない事が多く、
もし前途のことを心配するならば、
たちまち不安の念に襲われなければならない状態にあった。

しかし絶えず満たされ絶えず感謝し、
祈りは喜びにまた讃美に変わって行った。

その仕方が極めて必要な場合に来、
あるいは持っている者が尽き果ててしまった時に、
新しい金銭あるいは物品が与えられる。

尽きそうで尽きず、行き詰まりそうで道が開けて行くことは、
導かれて行く者の経験であって、
彼等は食事にも着ることにも欠ける事なく続けて行った。

神はしばしば彼等を試み、信仰を鍛錬し給うたのであるが、
その一例として1838年の終わりの月には厳しい試みを与えられて、
孤児院はしばしば行き詰まるかと思われた。

ある時は3つの家のうちに1ペニーもない時がしばしばあり、
食卓の整えられる2、3時間前まで何物も手にない場合も時々あった。
しかしそれを世の中へ聞こえさせず、
また人の助けを借りず、ただ神のみを信任して待ち望んだ。

ある夕、一人の兄弟が孤児院の費用は今どうなっているか
それを知りたいと要求した。
この人は前に時々孤児院を助けた人である。

普通の場合このことは大いなる誘惑となることと思われるが、
ミューラーにとってはそれを少しも感じず、ただ静かに、
神が好み給うだけの費用によって支えるのであると答えた。

これはいつもの通りに、神を当てにして人を依頼しないことにより、
活ける神の真実を証するためであって、
ある時には聖書学校の方においても欠乏を感じて来たのであるが、
その時に人々に向かって
「これは少しも驚くべきことではない。神は祈りに答えたもう。
自然の法則の上に神の活ける御手が動き
ついに祈りに答えたもうことを確信する。」と彼等に教えていた。

信仰のない者に取ってはこれは魔術の様に見えるかもしれないが、
聖書が示すキリストの父なる愛の神を
このように絶対に信ずる彼等に取っては、
これこそ自然の考えであり、また当然の処置であった。

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