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「朝の読書」コミュのゲーム世代の子供達へ読書の魅力を伝えるためには?

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不思議さんから以下のようなコメントが寄せられました。
興味深い内容だったので、別トピを立てさせていただきました。
ご意見・ご感想などをお寄せいただけたら幸いです。

ニュースを見ていたら、子供向け漫画雑誌の休刊が告げられていました。なんでも、最近の子どもは漫画も読まないとかで、むしろ、30代から40代向けのサラリーマンが読む漫画週刊誌が好調だそうです。

主な原因は二つ。子どもたちがWIIなどのゲームをやって漫画はめんどうくさいそうです。ゲームの場合、自分が行動したことで変化があるので、面白いとか。漫画はただ読むだけ、でつまらないそうです。また、塾や習い事で精一杯で、漫画を読む暇がないという子どももいました。息抜きはゲームのようです。

もう一つは、新しい世代の関心を引く漫画家が育っていないことだそうです。売れなければ、漫画家が育たないし、漫画家が育たなければ雑誌も売れない、そんな状況のようです。

漫画ですら、面倒くさいし、受動的と感じるのならば、物語を読むのがまどろっこしい、受動的過ぎる、と感じる子も多いのでしょうね。物語の魅力にたどり着く前に、古臭いとか面倒とか、感動するまでに時間がかかり過ぎるとか、感動的な話をたとえ読んでも「だから何?」としらける場合もあるのかな・・・なんて、色々考えてしまいました。

読書の魅力を伝えるのは大変だと改めて感じました。物言わぬ姿でじっと読まれるのを待つのが書物だから。賑やかな効果音もなければ、猛スピードで滑り落ちる体感もない。それらがあったとしても、文字を媒介にしているから。書物は五感に働きかけるとしても、脳を経由するから。まどろっこしいと言われても、それは書物の宿命ですものね。

コメント(3)

私は、不思議さんの文章をもとに、次のような話を授業でしました。

ゲームにはその面白さがあるけれども、
そこにある自由度は、作られた自由さである。
ドラゴンクエストというゲームを好きで私もやっていたが、
そこでは、王様に与えられた使命を経験値とお金を獲得しながら
果たしていくということでしかない。
王様を殺してクーデターを起こし、全ての国を乗っ取るという
自由さはないのである。
大人の作った枠の中にある自由さの中で、決められた自由を楽しむだけでいいの?
そんな考えに一部の生徒は笑っておりましたが、
なんか伝わったかなあ? なんてことを思いました。

その他にも話したことがあったので、それは次の機会に書きたいと思います。
つるりん堂さん、こんにちは。ゲームは息抜きだったり、純粋な楽しみだったりするのでしょうね。

読書の良さはゲームと比較して頑張るのではなく、別のフィールドで頑張るしかないのかな・・・なんて、つるりん堂さんのアプローチを読んで思いました。

何かに躓いた時に、心の杖になるような読書。これはゲームには無理な分野かなあ、と思います。そんな心が弱った時、迷った時に身近にいる大人が幾つかの書物を差し出せたら。

現場の苦悩は続くよ、どこまでも、ですね。アプローチの続きをお待ちしています。
生徒に話をした続きです。

ゲームというのは、画面上の言葉と映像と音楽とで構成されています。
それらを用いて、リアルにその世界を感じることが出来ます。
ですが、それに慣れると、足りないものがあった場合に
それをつまらなく感じます。
例えば、漫画というのは言葉と静止画のみで構成されます。
そのために、今の子どもたちは漫画も読まなくなったと
言われています。
じゃあ、文字だけで書かれた本なんて言ったら、
本当につまらないと思うことでしょうね。

それで、もしもゲームだけが物語を楽しむものとして残ることになったら
どうなるか?
ゲームというのはたがだか10年ぐらいのメディアです。
そこには刺激的な面白さはあるけれども、
文学的な深さというのは少ない。人間の葛藤を語っているようなものは
まだまだ見受けられません。
複雑にすればするほど、購買層の人々が離れていくので、
若年層をメインの対象にした、単純でわかりやすいものしか
作れないという現状もあると思います。

それに対して漫画は50年ぐらいのメディアです。
ここにはゲームよりも深い物語世界があります。
世界を描いたものや、生き方というものを考えさせるものが
多く存在します。
しかし、いかんせん、50年しか存在していません。
また、日本にしか手塚治虫はいなかったので、
日本でしか世界に流通する物語が書かれていないのが現状です。
その程度の深みしか存在しないともいえます。

それらに対して文字だけの本の世界の時間の重みは違います。
2千年を超える時間の間、世界中で、様々な人達が書いてきています。
そして、それらがたくさん蓄積されています。
そこで書かれているものは、みんなが今、悩んでいることだったりします。
人間関係、恋、生き方、進路などなど、
これまで多くの人達が悩んできて、その解決法、考え方として
素晴らしいもの、つまり、みんながその考え方を支持してきたものが
本という形で残されてきました。
そこにはきっと、みなさんを助けてくれるものがあると思います。

でも、本の世界が顧みられなかったら。
資本主義社会というのはお金が集まる場所のものしか残らないシステムです。
今は、ゲームに才能が多く行きます。それは、そこが才能を生かす場所として、
お金という報酬をたくさんもらえるからです。
だから、才能が漫画から離れ、ゲームに集まるようになっていると
言われています。
本なんて言うのは、もっとそんな現状の中に追い込まれています。
本の世界がすたれてしまって、ゲームだけが残ったら、
どんな世界になるのでしょうか。みんなはどんな風に考えますか?
今、その状態がどんどん進行中です。
みんなが大人になるときに、本を読めているようになっていますか?
活字の文化は残せているでしょうか?

色々と考えてみて下さい。

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