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先生のストーリーテリングコミュの繰り返される学級崩壊と、「演じる」こと

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繰り返される学級崩壊についてである。

私が見聞きした学級崩壊の事例には、一つの共通原因が潜んでいる。

担任教師が事実認識を誤る。もしくは認めない。
そこから派生していることだが、自分を見つめないばかりに、同じ失敗を何度も繰り返していて、それが崩壊の誘因となっている。

これは、教師だけではない。多くの大人がそうなのだ。私のその内の一人だと思っている。

持ち前の性分なのか、分かっていても、替えられない部分があるのだろう。
また、つい感情が先走ることがある。

30代の女性の先生が3年生を担任したとき。
子どもが、こんな事を言いに来た。
「ねえ、先生はどうして結婚しないの?お母さんが言ってたよ。体にけっかん(欠陥)があるんじゃないのって。」
背後の親の言動にも、腹が立ったのだろう。
「その時は、なんだか怒りに手が震えた」
と、話してくれた。

こんな事は、日常的に起こるのだ。(大人同士の職場でも、同じような事は日常的に繰り返されているのだろう)

「てやんでぇ、この馬鹿たれがっ!もう一片言ってみろっ!」
或いは、一発張り倒す、、、
などなど、衝動に駆られるが、これがまた新たな火種を呼ぶことになる。

そこで、感情を抑えて、教師として「演じる」ことをしなければならない。

この十数年私は、「演じる」ということを問い続け、自分なりに深めて来た。
よく、人生を物語やドラマに例え、自らの「生きる」を主人公になぞらえる話があるが、まさしく教師として生きるとは、教師を演じることである。

そう捉える事で、今までの教師としての自分の「演技」を顧みることができた。
それからも失敗の連続であるが、自己の内部に残された文脈の軌道は、確かにある種の方向転換を図ってきているのだった。

物語を創る。
演じる。
その物語に子どもも引き入れる。共に演じる、― 生きる。

また、一人一人の物語にも目を向ける。
互いに共有する。

共に生きるということ。



― 繰り返される学級崩壊には、負の普遍性が横たわっている。

コメント(4)

教師を演じる。確かに。
なかなかそれが難しい。
そう演じるのだ。
あべpapaさん。
とかく今の子は切れやすい。世の中イライラしている人が多い。
などと、言われています。
そりゃ、そうでしょう。

そんな中我々は教室というステージに立たなきゃならない。
とことん演じ詰めると、思うことがあります。それは、演じるって、結局、技術じゃないんだということでした。

例えば、
「問題児に、いつもほほ笑みかける」
という課題を自らに課して、相手が変わるまで演じきろうと決めた事がありました。

そんな事を春夏秋冬積みかさねていったある日の事。つくづく思ったことは、微笑むということは、相当な知性がないとできない業(わざ)なんだということでした。

そう、演じるんです。
業(わざ)

それは確かに。

業ってどんなものであっても、そのこと、そのものへの情熱,愛情がなければ極められないと思うのです。

過日,卒業式をしながら、自分がこの子供達のある時期にかかわっているということに、非常に重みを感じ、改めてこの仕事をやっていることに充実感を覚えました。

明日は9年いた学校の離任式。
思いはいっぱいですが、フリップ3枚でお別れをしたいと思います。
離任式でのスピーチなど
もしよかったら、後日教えていただければ幸いです。
私も何回かスピーチをした経験があります。9年の思いをわずか数分に凝縮するのは困難ですが、それだけに一つ一つの言葉に重みがありますね。
頑張って下さい。

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