mixiユーザー(id:67124390)

2020年10月07日08:17

152 view

映画「日本の悲劇」(僕自身が読むためにここに貼っておきます)

1953年の木下恵介の同名の名作を小林政広が知らないはずはない。知っていて、敢えてこの名前を本作品に付けた。
2013年の日本映画である。一部を除いてほぼ全編モノクロ映像。音楽は一切使われておらず、主人公の家から一歩も出ない撮影はカメラ一台による長回し。さらにほとんどすべての場面がカメラ据え置きの撮影。こんな奇怪な映画は観たことがない。淡々と物語は進んでゆくが、次第に異様な息苦しさに全編が包まれてゆく。
父親が死亡しているのにもかかわらず、父の年金を受給しつづけていたという、現実にあった事件を元に作られた。物語は仲代達矢の妻の法事から帰ってきた父子二人の様子から始まる。仲代は末期の肺癌であることが判明するが、彼は一切の治療を拒否。さらに自室のドアを、内側から釘を打って開かぬようにし、中に閉じこもってしまう。食事ほか一切の接触を拒否。自分が死んでも部屋に入ることは許さないというのだ。
息子の失職、出奔。その彼が帰ってきた日、母の外出先から彼女の突然死の一報が届く。息子夫婦の離婚。父の咳、喀血。何者かの無言電話。一向に息子の就職が決まらず、更に震災の津波で気仙沼の妻子との音信がぱったり途絶える、といったできごとが回想の場面として挿入される。
息子は部屋に入ろうとすれば父に鑿で喉を突いて死ぬと脅され、最初は放置するが、放っておけるものではない。ドアを叩き、こんなことは看過できない。お願いだ。出てきてくれ。だが息子が泣いても、叫んでも、父は呻き声をあげるだけである。
そして、カラーで子宝に恵まれた幸福な日々が描かれたのち、場面は暗転する。ラスト。ダイニングに父の遺影を置き、今日も息子はドアの向こうに挨拶、面接に出かけてゆく。父はどうなったのか。映画は語らない。そしてまたも鳴り出す電話。不吉極まりない結末である。真っ暗な画面に年間の自殺者、震災の犠牲者数が列記される。映画は彼ら死者に捧げられている。小林政広は自らの遺作のつもりでこの映画を作ったと聞いている。そのぐらいの覚悟がないとこれほど肝の据わった強烈な作は誰にも作れないのではないだろうか。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する