(メモ)踊るマイナデス像は、その姿勢の不安定さ故に3Dの像はあまり作られない、とケネス・クラーク卿は書いてゐたが、これは現代の技術で乗り越えられる。私はこれに「カトリーナ」の化粧をほどこして、その「黄泉醜女」としての本質を顕はしたいと考へてゐる。
神話学的隠秘学的考察を精緻化しながら、踊るマイナデスを描くことは、すなはち「死」について絶えず瞑想することに他ならない。死について高を括るあらゆるいかさま助言に抗して、我々は言ふであらう。死とは我々の不可知性そのものである、と。
「日本タヒね」を最初に言つたのは、黄泉比良坂に於けるイザナミノミコトだつた(汝の國の人草、一日に千頭絞りKRさむ)この事に気づけば、あらゆる反日勢力が実は「日本的」なのだといふ恐るべき真理が顕はになる(不本意かね?)反日さへも想定内といふ恐るべき「日本」が!エイメン!
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