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2019年09月21日21:56

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『没後90年記念 岸田劉生展』に行って来た。

夜勤明けの半休を利用してm(__)m

東京ステーションギャラリー「没後90年記念 岸田劉生展」
【展覧会HP】http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html
フォト
岸田劉生(1891〜1929)はやはり「客を呼べる画家」だということだろう。土曜ということもあって、会場内はかなり混雑していた。
そんな中、変転を繰り返した彼の画業を、時代を追うようにして展覧していく。

38歳で早世する彼の画家としてのキャリアは、決して長いものではない。その割に、スタイルの変転、その振幅度合いは、頗る激しい。
まず、ゴッホなどのポスト印象派に影響を受け、それから、北方ルネサンスの古典的絵画に影響され、また、後期には東洋の古美術にも感化されて、作風を変化させる。
ただ、彼の《変転》には、「ブレてる」といったような、悪い印象は持たない。彼にとって「スタイル」というのは、そんなに問題とするところじゃなかったんじゃないか? 「画風」の変化など、大事の前の小事というか? 「表現したいこと」がコアにしっかりとあって、あとはソレを、どのように表出するか? そのためのアプローチの違い、「方法」を少し変えてみただけ。その程度のことである。。本人はそんな風に思っていたんじゃないか? と。
だから、先行する古典絵画や欧米の流行に影響されたことを隠そうともせず、わしのような素人が見ても、「あ、これモロにゴッホじゃん」「この辺は北方ルネサンスの影響ね」というのが丸わかり(;´∀`) その《あけすけな感じ》は、むしろ好感が持てるほどだった。

ただ、変転の果てに「劉生オリジナル」のような画風を築き上げるはずだった彼が、38歳にして急逝してしまったのは、実に惜しまれる。
それぞれの作品には《味わい深さ》があり、《独自性の萌芽》のようなものもあるとは思うのだが、完全に《オリジナル》になり切ってない感じも、凄くした。なので、出来ることならもう少し生かせてあげて、彼の画業の《到達点》のようなものを、見てみたかったなぁ、、て。そんな気持ちになった。

あと、睡蓮や積み藁を繰り返し描いたモネと同じように、劉生も、娘・麗子や冬瓜といった同じ画題を、しつこいくらい何度も描いている。
モネの場合は、その場の光線や空気感の違いまで捉えたくて、同じモティーフを何度も描いたと云うが、劉生が同じモティーフを描くことで捉えたかったものは、一体何だったのだろうか?
そんなことを考えながら、思索的に見れた好内容の展示でしたm(__)m
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