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2017年07月25日19:59

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貝の腕輪と鏡

やれ遣唐使だ、やれ古事記だと、ここ数年は、日本が、いやヤマトがどうやって成立したのか、ということが気になってしかたがない。
歴史を知る、というよりはもうちょっとプリミティヴな、つまり我々は誰なんだ、という疑問に、自分なりに見識を持ちたいと思うからだ。

日本橋にある奈良のアンテナショップ「奈良まほろば館」にある多目的ルームでは、歴史講座やパネル展示、体験講座など、日々さまざまな催しを打っている。
有料無料問わず、これがたいてい満席になるのだから、彼らの文化発信力(と、首都圏市民の受容力)はたいしたものだ。
私も年に数回はここに足を運び、友人の何人かもよく利用していると聞くが、いまだに知り合いと遭遇したことがない。
ほんの少しずつ興味の範囲がずれているということなのだろうが、それだけ催しのバリエーションも多彩なのだろう。
あをによし奈良のポテンシャルや、おそるべし。


さてこの日は、『大和に日本が誕生したわけ 〜魏志倭人伝と黒潮のメッセージ』というタイトルで、奈良女子大学の小路田泰直氏(歴史学)と、東海大学の北條芳隆氏(考古学)のリレートークが行われた。
軽妙な関西弁に、百田尚樹ばりの毒舌をちりばめる小路田氏の振るう矛を、北篠氏が品よく受けて流す。
何しろ考古学は、モノが出ないと何も言えないのですよ、と語る北篠氏に、その点わたしゃこうして喋り放題、これに付き合うてくれるんは北篠さんくらいなもんです、と小路田氏が笑いを取る。

さて、二人の話はどんな内容だったか。
これがなかなかに難解かつスピード運転で、ごく断片的にしか理解できなかったのは、この種の市民講座にはままあることなのだけれど。


まずは北條芳隆氏が、『南方系神話と北方系神話の融合』という題で、各地の墳墓から出土した遺物を例に話し始めた。

北海道の有珠モシリ縄文遺跡の墓からは、沖縄でしか採れない貝の腕輪が、死後死者の片腕に装着されたかたちで見つかっている。
この腕輪が日常のおしゃれとしてではなく、死後に装着されたということは、彼らが死後の世界、ひいては生命をめぐってどういう世界観を持っていたかを表していると考えることができる。
南方の人と風習が、黒潮に乗って移動してきた一つの典型的な例だ。
しかも、南の文化が九州や本州に伝わり、それが転々と北上してきたのではなく、海を渡ってダイレクトに北海道に届いたことがあきらかなのだそうだ。
同様の遺物が、貝塚時代の沖縄、弥生時代の北部九州にも見られるらしい。

これに対し、北方系の神話が如実に現れるのが、中国から伝わり、のちにヤマトでも作られるようになった青銅の鏡だ。
鏡の裏面には、彼らの宇宙観が伺われるさまざまな文様が描かれるが、天界−仙界−地上界を上下垂直に描いたデザインは、北方系の神話そのものだといえる。

こうした鏡と、南方の貝の腕輪が一緒に埋葬され、ふたつのモチーフが融合して価値観がシンクロした時代というのが、前方後円墳の時代であることが、発掘調査であきらかになっている。
時代と場所をトレースしてゆくと、北部九州から、3世紀後半卑弥呼擁立で政治的拠点が奈良盆地に移動し、前方後円墳が全国に広まってゆくのに連動しているという。

(北篠氏は、本当は「坐東朝西」という、南北でなく東西に軸を置く古代の遺跡の宇宙観について話したかったらしいのだが、本日は一応「魏志倭人伝」を謳った講座なので、ここにようやく卑弥呼を持ってきて帳尻を合わせたようだ。とこれは相方の小路田泰直氏によるぶっちゃけ話。)


後半は、学界の百田尚樹、いやそれは私の印象に過ぎないが、ともかくもその抱腹絶倒の毒舌が愉快きわまる小路田泰直氏の発表、『大和に日本が誕生したわけ』につづく。



つづき)黒潮に乗って日本海へ
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