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2016年10月26日06:53

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「永い言い訳」

西川美和の力量をこれでもかと見せつけられた作品だ。
予告編を観た段階では、浮気中に妻が事故死してしまい、その罪悪感で葛藤する男の物語かと思ったが、そんな薄っぺらい作品ではなかった。
細かい状況描写にまで気を配られた、非常に完成度の高い作品である。

衣笠幸夫(本木雅弘)は「津村啓」というペンネームで活躍する作家であるが、一度賞を受賞した後はスランプに陥り作品が書けないでいた。
妻の夏子(深津絵里)は売れない頃から美容師として彼を支え、現在は店も構えて成功しているのだが、幸夫はそんな夫婦の状況に劣等感を感じ、愛人(黒木華)と浮気をしていた。
夏子が親友の大宮ゆき(堀内敬子)とバスツアーでスキーに出かけた夜も、夏子のベッドで愛人と一緒の夜を過ごしていた。
そんな幸夫のところに、地方警察から連絡が入る。
夏子と大宮ゆきの乗ったバスが事故にあい、二人が死亡したのだ。
幸夫は夏子の亡骸を引き取りに行くが、突然の事もありまったく哀しみを感じなかった。

幸夫は遺族向けへの説明会で、大宮ゆきの家族と知り合う。
夫の陽一(竹原ピストル)と二人の子ども、真平(藤田健心)、灯(白鳥玉季)だった。
4人で食事をした夜に灯がアレルギーで病院に運ばれ、真平を家に送る事になった幸夫は、残された3人の暮らしを知る。
陽一はトラックの長距離運転手をしており、幼い妹の面倒を小学校5年生の真平が見ているのだ。
真平は学習塾でも素晴らしい成績を収めていたが、妹の面倒を見るために塾を辞めると言う。
3人の状況を見た幸夫は、真平が塾に通っている間、自分が灯の面倒を見ると申し出る。

当初幸夫を警戒していた灯だが、すぐに距離が縮まり、4人はまるで本当の家族のように過ごすようになった。
幸夫は陽一や子どもたちの真っ直ぐな性格に感化され、むしろ充実感を感じるようにまでなっていた。
そしてTV局から来ていた、事故当時の事を振り返る番組制作の話も受ける事にした
だがその準備をしていた時、偶然夏子が残した携帯を見てしまう。
そこには自分宛の見送信メールで「もうひとかけらも、愛していない」と記されていた。
幸夫は激しく動揺する。
さらに、夏休みの子ども向け科学教室で知り合った鏑木(山田真歩)が陽一や子どもたちと仲良くしている事に嫉妬し、酔っぱらってみんなに暴言を吐いてしまうのであった。

主題は、残された者の心情である。
妻の死に悲しみを持てない幸夫、いつまでも妻が忘れられない陽一、母の死の哀しみよりも目の前に付きつけられた現実に戸惑い葛藤しながら精一杯毎日を過ごす子供たち。
そして先に逝ってしまった者は、もう何も語らない。
残された者は、逝ってしまった者に対して、何かを言う事も何かをする事もできない。
そんな中で、どう心の空洞を埋めていくか。

大宮家族によって一時的に空洞を埋めていた幸夫は、妻の未送信メールと鏑木の出現によって、再び心の空洞を大きくしてしまう。
そして幸夫がいなくなった事により、受験直前なのに再び妹の面倒で塾に通えなくなった真平は、半ば自暴自棄になって陽一に反抗する。
不器用な陽一はようやく妻を忘れる事ができそうになったのに、幸夫と真平が急変した原因がわからない。
大人の事情がわからない灯も、事件直後のように情緒不安定になり真平を困らせてばかりになってしまう。
大切な人を失った者の微妙な心のバランス、そしていけないとわかっていても感情に支配されて行動してしまう時がある、そう言った人間の生々しさが見事に表現されている。

しかも、セリフではなく状況描写による表現が巧みだ。
たとえば冒頭、一度出かけようとした夏子が部屋に戻ると、幸夫の携帯のストラップが画面中央で揺れている。
夏子がいなくなった直後に幸夫がメールをチェックしている事を表しており、それは夏子が幸夫の浮気を想像するには十分な状況描写だった。
また、幸夫が酔っぱらって陽一や子どもたちに暴言を吐くシーンでは、幸夫ではなく困惑する灯の表情をアップにして、その場の雰囲気や自棄になった幸夫の心情をも表現している。
特に、演技は素人に近い竹原ピストルと子役二人に絶妙の演出をしている点が素晴らしい。

以前「しくじり先生」で、有村昆が紀里谷和明にストーリーを説明するセリフが多すぎるといい、紀里谷和明は既存の手法とは異なる作り方であえてそうしているんだ、と反論していた。
TVを見て「観て面白ければ手法なんてどっちでもいいじゃん」と思ったが、この作品を見て、適格な状況描写はセリフよりも重い説得力があるという事を、再認識した。

現段階では「オレ的2016年ナンバーワン」で、おそらく人生でもベスト10の中に入る映画である。
機会があったら必見の作品だ。


77.永い言い訳
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