mixiユーザー(id:67124390)

2024年05月05日13:32

83 view

八木重吉の「重吉詩稿」について

 八木重吉のいわゆる〈重吉詩稿〉は、重吉がいつか詩集を編む日のために、日頃から書きためていた詩稿の束の総称である。この詩稿、ほんのつまらぬ呟きのようなものもあるが、詩集「秋の瞳」や「貧しき信徒」収録のものと比べて、何ら遜色のない高い完成度をもったものもある、決して蔑ろに出来ない、優れた詩稿となっている。これを味わうには、実際のものを見てもらうのがいちばんなので、いまからそれを紹介してゆこうと思う。(但し、この詩稿の多くは、詩集として束ねる以前の段階のものなので、正式な題名のついていないものがあることを承知しておいていただきたい。)

  煙突に
  雀が 這入った

  煙の 出ぬ
  午後二時の煙突――

  いくら待っても 雀は
  出て来なかった

 1921年作のごく初期の作だが、すでに読者を十分感銘させるに足る、出来栄えの詩となっている。
 煙突のなかへ入っていった雀。重吉は雀の出てくるのをずっと待っていたが、結局雀は出て来ない。雀はどうなったのか、詩は語らない。この、心のゆれが、すでに〈詩〉である。

  もの足らぬ日であるゆえ
  庭におりたって
  金鎚で土をたたいた
  それでもまださびしいゆえ
  堅い石をたたいてみた
  するときなくさいにおいが
  白白とたちのぼってくる

 1923年4月編の詩である。
 つまらなく、物足りない日なので、鬱屈とした心を晴らそうと、重吉は金鎚で土を叩いたのだ。それでも淋しいので、堅い石を叩いた。するとキンと鋭い音がしたのだろう、きな臭い匂いが立ちのぼってきた。こんな匂いを嗅ぎたくて叩いたのではないのだが、つらい思いに何らかの反応が得られた。自分の内面に向きあおうとする重吉の〈心の悶え〉のようなものが感じられる。

  古い 井戸をのぞきこんだら
  わたしは
  古いものになるらしかった

 1923年6月編の詩である。
 古い、もう使われていないような井戸なのだろう。覗き込んだら、もよもよと怪しいものが蠢いていそうな気がする。覗き込んでいる重吉は、自分が〈古いもの〉になるらしく感じられたという。この詩の佳さをうまく言い表せないのがもどかしいが、非常にすぐれたものであることはわかる。

葬列

  陽はしずもうとしている
  わたしは
  葬列のしりっぽだけをみている

 1923年編の詩である。
 太陽がいままさに沈んでゆこうとしている。重吉はそこで、葬列のうしろ姿を見送っている。もうすぐ夕闇がすべてをつつみこむその時、彼はものがなしいこの風景を、胸に焼きつけているのだ。ある種の荘厳で、なおかつ寂しくしめやかな景色を、まるで自分の死を見送るように見送っている、重吉のすがたがある。

  いても
  たってもいられない
  はなしてもだめ
  ひとりぼっちでもだめ
  なにかに
  あぐんと食われてしまいそうだ

 1924年6月18日編。重吉詩稿の中でも有名な「鞠とぶりきの独楽」のなかの1篇である。
 心のなかで鞠を突いたり、独楽をまわしたりしてあそぶ重吉。そのうちに、胸のうちにほぐれてくる想いがあって、それでこんな詩をつづることができたのだろう。〈いても/たってもいられない〉。うずうずからだが疼いてしようがないのだ。はなしても、とは何だろう。〈話しても〉だろうか。〈放しても〉だろうか。その両方だろうか。重吉は物欲から離れたい意味の詩をよくつづったから、〈放しても〉かもしれない。物欲を離れ、孤独になりきってもいられない。しまいにはなにものか、大きなものにあぐんと食われてしまうと書いている。こういうものごとを極めてゆく過程で、悶えるような想いに陥るのはよくあることかも知れないから、そのことを言ったのかも知れない。どっちにしても気にかかる、見過ごすことのできない詩である。

  ゆうぐれ
  まっ青なはらっぱで
  狂人(きちがい)がすわりこんで
  たばこをふかしていた
  空気までまっさおなはらっぱだった

 同じく「鞠とぶりきの独楽」より。真っ青な原っぱ。そこに狂人がひとり坐りこんで煙草を吸っている。狂人は狂っているが、真っ青な原っぱも狂って見える。空気の青さまで狂って見えるのだ。なのにこの爽やかな読後感はどうだろう。まったく混沌としておらず澄みきっている。重吉にとって狂気とは澄みきった世界なのかも知れない。

  さむかぜのそらに
  みか月がかかっている
  くろいよる
  頬にきずをつけて
  こころよいいたさをかんずるようなつき

 1924年11月4日編。
 寒い風が吹いている空にかかった三日月。それを見た重吉は匕首のような刃物で頬に傷をつけ、傷の痛さを感ずるような月だと思ったのだ。この詩の主眼は後半3行にある。これら重吉詩によくある描写は、〈大自然と自分自身との同一化〉である。この詩のラスト3行も、痛いような月だと感じ、それを自分自身の痛みと同一化させ、冬の月の美しさとはそういう身体感覚に置き換え、表現してもじゅうぶんその美しさは言い得ることができると、言っているように感じられる。

  おんなには
  こころはない
  ことに若いおんなにはない
  かれらの肉たいは
  そのまんまでこころである
  だから男よりは神にちかい

 同じく1924年11月4日編の詩。
 この詩。〈おんなには/こころはない〉とあるから、女性蔑視の詩と勘違いされる方があるかも知れない。実際には正反対。大違いである。この詩における〈心〉とはウィリアム・ブレイクの詩における〈有心〉と同じくで、〈雑念/邪心〉あるいは〈分別〉のこと。つまりこの詩は、女性礼賛の詩である。女、ことに少女のような若い女には男のような邪心がない。無心でものをみる。そしてかれらの肉体は曲線美の極みであり、あのうつくしさは神の愛を体現したものととってもいいくらいに優美であり完璧である。あんなうつくしいものは神に限りなくちかく尊いというのである。

  あきのまっぴるま
  なんだよ ぶつぶついってるのは
  どこの お百姓さんだい
  ゆうべのまに
  ねぎをはたけからぬかれたのかい
  わたしはどてにねころがっている
  からっとはれてる

 1924年11月15日〜23日編。
 この詩は始めの5行とラスト2行の対比が鮮やかである。つまり俗世間の煩わしい泥棒騒ぎと、そこから距離を置いて、そんなことはどうでもよいと思っている重吉が、土手に寝ころんで真っ青な空を見ている、この対照的な二つのことをさりげなく並べて見せたところに価値がある。葱を抜かれた農民からすれば、土手に寝ころがる重吉を、下らない奴だと思っているだろうが、詩人からすれば、葱を盗まれようと、大根を盗まれようとそんなことより、土手に寝ころがり、大自然にからだをまかせていることが尊く、今日の空がよく晴れていることの方が重要なのだ。

  そんなにひろくない路で
  ずっと海のほうへつづいていて
  てんきぐあいも こんなにいいなら
  こんなみちをいつまでもあるいていたい
  りょうがわには しばくさがかれかかっており
  みちのすえには 海がねむっている
  いきどおりをもつもののゆくべきみちではない

 同じ詩稿より。
 この詩、あくまで〈こう仮定して〉というように記されてはいるが、重吉の家の近所にまさにこのような路があったであろうことが想像される。というのは、枯芝や穏やかな海が目に見えるように描写されているからだ。そして最後に〈いきどおりをもつもののゆくべきみちではない〉としめくくられる。朗らかでやさしいみち。こういう風景を思いえがくのは、重吉が人生に疲れたひとだからということもできるが、彼ののぞむのは心の平和だと思えばいいという気がする。

  か ら
  か ら か ら
  かるい
  きしゃだ
  はるだ

 1925年4月29日編。
 たったこれだけの詩である。が、おもしろい。主眼は〈か ら/か ら か ら〉というオノマトペだ。何も荷を積んでいない、貨物列車であろうとぼくは思った。春の日永を軽い貨物列車が通りすぎてゆくのだ。それを快いものを見るように、重吉は遥か彼方から眺めているのだろう。愉快な詩だ。

  かなしみを
  しきものにして
  しじゅうすわってると
  かなしみのないような
  いいかおになってくる
  わたしのかおが

 同じ詩稿より。
 〈しきもの〉とは座布団だろうか。それをそこに敷いて、始終坐っていると、悲しみがお尻の下にかくれて、きっと楽になってくるのだろう。悲しみの無いようないい貌になる。この表現には説得力を感ずる。

  えりあしのしろい しなやかなあしの
  えんぜるがあって
  まいあさ ひとつの花をにわにおいてゆけばいいな
  つぎの あさは あたらしいのと植えかえて
  ねんじゅう わかわかしい わたしであらせてくれ

 同じ詩稿より。
 美しいえんぜるが毎日花を置いていってくれる。次の朝は新しいのと植え替えて、自分が毎日生まれかわるように、何でも行ったらなあ。重吉のささやかな希望である。綺麗な詩。


雲雀

  畑道のふちの枯芝に腰をかけ
  桃子と並んで
  雲雀の鳴くのをきいていた

 1925年5月7日編。
 この詩は〈定本・八木重吉詩集〉のポートレイトの裏に生原稿が掲載されていた。そこには直す前の原稿があり、こう下のように記されていた。


雲雀

  畑道のふちの芝に並んで腰をかけ
  桃子と
  雲雀の鳴くのをきいてゐた


 完成原稿は直す前のリズム感の悪さや舌足らず感が解消され、直した後の方がはっきり佳くなっている。とても完成度の高い詩で、何故これが〈貧しき信徒〉に収録されなかったのか、不思議なくらいである。何がいいって、情景がリアルに浮かぶのだ。俳句の世界では、情景が浮かぶ句は例外なく佳句といわれる。詩だって同じではないだろうか。

金魚

  桃子は
  金魚のことを
  「ちんとん」という
  ほんものの金魚より
  もっと金魚らしくいう

 1925年6月7日編。
 これは読んでそのまんまだ。こどもの豊かな感性を瑞々しく描写した詩で、説得力の塊のような詩になっている(桃子はお月さまのことを〈おちいたぱ〉などと呼んでいた)。

  ああちゃん!
  むやみと
  はらっぱをあるきながら
  ああちゃん と
  よんでみた
  こいびとの名でもない
  ははの名でもない
  だれのでもない

 同じ詩稿より。
 誰でもないひとの名を、「ああちゃん!」と呼びながら原っぱを歩く重吉。何とも言い知れない人恋しさを感ずるのは何故なのだろう。ああちゃんとは、まだ出会わぬ誰かの名前じゃないだろうか。袖すり合うも他生の縁、という。めぐりあわせの不思議や、誰かを好きになりたくてたまらない、相手のない感情のほとばしりを感じた詩。

  柿の木のしたの
  にわとりのむれは
  かみくずのようでなければ
  花びらのようだ

 1925年6月12日編。
 田舎の、よくある風景、重吉の家の近所にもあったのだろう。まあ、それはともかく、にわとりの群の描写がおもしろい。紙屑(今風に言えば、ティッシュを丸めたようにも見えて仕方がない気がする)に譬えたり、花びら(八重咲きの白牡丹あたりだろうか)だと思ったり。それでも受け入れられるのは、情景がよく目に浮かぶ所為だ。



  雨が ぼしゃぼしゃふってる
  にごり水が ぐんぐん ながれる
  いい あんばいだとおもう
  のどのとこまで なんだかおしあげてくる

 1925年8月26日編。
 この詩の核は、4行目だ。〈のどのとこまで なんだかおしあげてくる〉。これも重吉の、雨との同一化を表した詩のように感じられる。自分のからだにも雨のような感覚があって、それが喉もとまでおしあげてくるのだ。土砂降りの雨も重吉にとっては快いものの一つなのだろう。

こども

  こどもが ふたり
  畑でぴたんぱたんころげてる
  素っぱだかで尻がどろだらけだ
  とっ組んだときなんか
  しどめがふたつくっついてるようだ

 1925年9月3日編。
 この詩は実景だろうか。幻想だろうか。わからないが、似たような風景は見たのかも知れない。気になるのは〈しどめ〉だが、確か以前解説文を読んだ気がするが、〈しどみ〉の訛りではないかということだった。草木瓜のことだ。その実のことを、重吉はたびたび詩に詠んでいる。〈ぴたんぱたん〉というオノマトペがおもしろく、情景がよく見える。

愛の家

  まことに 愛にあふれた家は
  のきばから 火をふいてるようだ

 同じ詩稿より。
 これも見事な詩である。愛情にあふれた家は、こどもの歓声や笑い声が聴こえたり、赤ちゃんの泣き声が聞こえたりするけれど、どれも平和で、軒下で声を聴いていても微笑ましく、うつくしい。それを〈のきばから 火をふいてるよう〉という比喩で見事に表現した。たった2行だが、これ以上何を語るのも蛇足に見える。

太陽

  太陽をひとつふところにいれていたい
  てのひらへのせてみたり
  ころがしてみたり
  腹がたったら投げつけたりしたい
  まるくなって
  あかくなって落ちてゆくのをみていたら
  太陽がひとつほしくなった

 1925年9月17日編。
 手に持ちたいような太陽が、夕日となって沈んでゆく。あの、ゴルフボールくらいの大きさの太陽。あれが手許にあったなら、いろんなことして遊びたい。放り投げたり、てのひらに転がしたり、ポケットに入れたり。確かに重吉の言うように、あんまり眩しくない、雲のむこうへ沈んでゆく夕日をみていると、太陽がひとつほしくなる。ひとつあったら毎日楽しいだろうなあ。なんて思ってしまうだろう。



  たまらなくなってくると
  さびしくなってくると

  さっと
  てのひらで わたしのまえを切る

  きられたところから
  花がこぼれる

 同じ詩稿より。
 さもないような詩にも見えるが、〈わたしのまえを切る〉と、〈きられたところから/花がこぼれる〉なんて。何て凄い詩なんだろうと思った一篇。そこには何もないはずなのに。目の前を手刀で切ると花がこぼれる。花は何故現れたんだろうと考える。ぼくは、この詩は〈重吉と神との、心のキャッチボール〉なのではないのかと思った。花をくれたのは神さまという考え方。もう一つの解釈は、切ったのがわたしのまえなのだから、自分の心・潜在意識が自分のために花をくれたのじゃないのかということ。あと、もう一つ考えられるのは、季節という考え。秋という季節が、そこを切ると花がこぼれる。いろんな解釈が成り立つと思う。詩の鑑賞に絶対的な正解がないのだとするなら、他の読者はどんな解釈をするだろう。



  ひろい川をみると
  かなしみがひろがるのでらくになるようなきがする

 1925年10月8日編。
 自分の自身のかなしみは狭いところで思っていると、閉塞感につつまれて、つらくなってくる。だからひろい川を見ると、自分で抱えていた悲しみも小さいことに思われて救われるような思いがしたのだろう。悲しみに答えが出なくとも、それだけでもういいという気になったのかも知れない。ひろい川は海のように広大で、自分の存在などほんのちっぽけなものに過ぎないことが、うれしくなるのかもしれない。



  秋になると
  心のなかに一つの影が横たわっているようなきがする

 1925年10月18日編。
 秋を愛した重吉。秋の光、秋の月、秋の錦、山々の彩り。すべてがうつくしい季節だが、その心のなかに一つの影が横たわっている。そんな気がするというのは何だろう。一つの影とは、心だろうか。見えない何かの影。それが何かはわからないが、この1925年の秋というのは、詩集〈貧しき信徒〉を編んでいた時期なので、その候補作品として作っていたことは明らかで、あの詩集のなかでも言おうとしていた、〈何かわからない何か〉というもの、それは秋の心、核のようなものだと推察される。

幼い私

  幼い私が
  まだわたしのまわりに生きていて
  美しく力づけてくれるようなきがする

 1926年1月4日編。
 当時はまだ重吉は肺結核を発症する前であるが、その前も彼はスペイン風邪を病み、永く病床にあった。そんな時彼のかたわらには〈幼い私〉がいて、弱っている自分を力づけてくれる気がしたのかも知れない。

天気

  天気のいい昼間
  日向へあるいて行って
  じっとしていると
  涙がにじんで来る

 1926年3月11日編。
 重吉が肺結核を病み、詩稿を原稿にまとめることができなくなったのであろう。この詩は〈ノートA〉に記された詩である。天気のいい日向へ歩いていってしゃがんでいるのだろうか。そうしていると自然に涙がにじんでくるのだ。意味なんかなくたっていい。ただ自分の行く末を想った詩。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する