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2023年05月16日21:44

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あちらにいる鬼

「あちらにいる鬼」という映画を見た。
内容はなんと先日”美は乱調にあり”で書いたばかりのことだ。
作家の瀬戸内晴美(寂聴)は作家の井上光晴と不倫をしていたと書いたが、まさにそのことを映画化したものだ。
監督=廣木隆一、長内みはる(瀬戸内晴美)=寺島しのぶ、白木篤郎(井上光晴)=豊川悦司、白木笙子(井上郁子)=広末涼子、
白木海里(井上荒野)=諏訪結衣
となっている。

物語は文化講演会でみはると白木篤郎が出会うところから始まる。時代は1960年代終わりごろからで、物語では白木徳郎はかなりいい加減な男として描かれている、彼にはそのときすでに愛人がいて、その愛人が自殺未遂を起こし病院に入院しているところへ妻の笙子が見舞いに行く。愛人は”夫の愛人の見舞いに行くなんて普通の妻じゃない”という。
みはるも年下の愛人と同棲している。篤郎はみはるの家に訪ねていき、3人で酒を飲みながら男と女の関係について話をする。
篤郎はみはるが福岡に講演に行ったとき、”自分も福岡で講演がある”と妻にうそを付き、後を追いかけ福岡に行き不倫をする。
みはるは年下の愛人と別れる。篤郎はみはるの家や仕事場に愛人として出入りするようになる。篤郎はその後も愛人を作ったり、別の愛人をみはるの仕事場に連れてきたりする。二人はだんだん気持ちが離れていく。
みはるは飲みに行ったバーで知り合った若者とホテルへ行ったりする。みはるは篤郎に”別の男と寝ても気がつかないのね、でもあなたとは死ぬまで別れられない、だから出家する、出家とは生きながら死ぬことでしょ”という。みはるは出家する。
篤郎はみはるの出家に立ち会うために岩手に行く。
妻の笙子は篤郎が出かけているとき、有る男と浮気をする。男はホテル(旅館?)で布団の中に入っている笙子にむかって裸の格好で”白木さんの奥さんだと思うとできない”という。帰り道で東北から戻った篤郎と出会う。その時の会話で篤郎は笙子が浮気したらしいことをさとる。
篤郎と笙子は紹介する人があって調布に家を建てる。
出家したみはるは篤郎の子供たちにお土産を持って訪ねる。篤郎の新居で皆で笙子の手料理を食べたりして家族同士のような付き合いをする。
篤郎はガンにかかり入院する。意識が無くなってきたとき笙子はみはるに電話する。みはるがやってきて2人の女に看取られながら篤郎は死んでいく。そのあと笙子は屋上でタバコを吸いながら泣く。みはるはタクシーで帰るが、タクシーの中で泣く。

この3人の関係はなんだろうか?白木篤郎の妻と愛人というだけの関係か?
原作は井上荒野(あれの)となっているが荒野は井上光晴の娘だ。調べてみるとたくさんの作品を出しているし、直木賞などいろいろ受賞している。私は井上光晴は知っていたが娘の荒野は知らなかった。読んだことはない。井上光晴はたぶん私よりいくつか年配の人には知られていると思う。私は彼が書いたものはいくつか読んだことがある。三島由紀夫の自殺について批判的な文を書いていたこともあった。
家内は井上荒野を知っていていくつか読んでいるらしいし、”あちらにいる鬼”も読んでいるようだ。
私は井上光晴は知っているが娘の井上荒野は知らない。家内は井上荒野は知っているが井上光晴は知らない。

井上荒野は1961年生まれで父の井上光晴と瀬戸内晴美が恋愛関係になったのは1966年〜1973年なので、荒野5歳から12歳ごろまでとなる。その荒野も今や60歳を過ぎている。この年になってようやく父母と愛人のことが書けるようになったのではないだろうか。瀬戸内寂聴は井上光晴とのことを書いているらしい。
荒野がこの小説を書くとき寂聴に取材したところ”問われたことはすべて話します”と全面的に協力したそうだ。しかしもう一方の当事者である父母はとうに亡くなっているので聞くことはできず、自分の思いだけしかない。
瀬戸内寂聴が話したことがすべて真実とは限らない。

井上光晴はかなりの嘘つきで、公表した経歴や学歴などにも相当嘘があるらしい。映画でも白木篤郎が嘘をつくところがいくつか出てくる。妻の祥子が”篤郎は嘘つきで嘘をつくことが生きがいになっている”と話すところもある。
映画は篤郎とみはるの関係がメインになっているが、妻の笙子はなにを思っていたのだろうか。彼女は篤郎の浮気をすべて認めていたのだろうか。こんなシーンがあった、篤郎が飲んでいるとき女にいつでも家へ来ていいよ。と話したため篤郎がいないとき、女が家へ訪ねてきて篤郎の帰りを待つ。そこへみはるのところから篤郎が帰ってくる。篤郎はびっくりして”なんだ君は勝手に着たら困る、すぐに出ていけ”と言うが女は”先生がいつでも来ていいと言ったので、夫と別れるつもりで置き手紙をして出てきた、もう帰るところがない”と言う。篤郎はおろおろと女の荷物を持って女を家の外に追い出す。その間妻の祥子は我関せずと一人しずかにお茶を飲んでいる。
笙子は浮気相手を認めるのではなく、そんなことはなかったようにふるまう。だから篤郎の愛人の見舞いに行ったりする。みはるも笙子にとっては無いことのように感じているのだろうか?それともみはると笙子は篤郎を愛して共用してたのだろうか?
普通ならば夫が愛人を作れば、”どちらを選ぶのか”といった争いになったり離婚ということになったりするはずである。
笙子は家庭を守り篤郎とは別れない。篤郎は家を建てたが笙子はそれを守る。篤郎もそれを期待する。ところがみはるにはそのようなことには全く関心がない。

長内みはるを演じた寺島しのぶは出家のシーンで本当に髪を切り剃り上げる。まさに一発勝負の演技だ。彼女の役者魂を見た思いがした。

荒野の子供のころの話だが、彼女はそのような関係をどう思っていたのだろうか。
題名の「あちらにいる鬼」のあちらとはどこだろう?鬼とはなんのことだろうか、瀬戸内寂聴のことだろうか。
小説を読めば少しはそういったことがわかるだろうか。


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