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2023年05月03日10:23

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日記4

最近までの、私の人生の半分ぐらいは、以下の要素で構成されていた。





⓵楽しく充実した時間を過ごしたいはずが、肝心のスタートダッシュで、俺に「ババ」を積ませるヤツと、関わらざるを得なくなった。


そのクラスという「組織」の中で、男に限れば、人数が多ければ、より一緒にいる人間を「選ぶ」事ができる。よって、当人が所属するコミュニティというものは、より画一化するのであった。だが、男が少人数であるという事は、必然的に「関わらざるを得なくなる」機会が増える事を意味していた。では、その場面で、例えば現在の職場のハゲの如き偏屈ジジイの「男の一人っ子」と、関わらざるを得ない状況になれば、どうであろう。彼の如き手合いは、往々にして「自分より下の人間を作らなければ死ぬ病」というぐらい病気である。これが、「おい、あんな笑えない真似する奴なんかに、関わりたくねえ、皆、あいつをハブらせよう」と向かえば良かっただろう。だが、これ概して、「不安」というものは伝染するのだ。「こいつのやっている子移動に便乗すれば、加担すれば、俺は孤立せずに済む」と考えた同類が、徒党を組むことは必然であった。そして、「不安」を覚えた連中が、自分たちよりももっと「下の存在」を作って安心する、という事は、洋の東西を問わない。そして、それが帰結する所というのは、畢竟、「いじめ」に他ならないのでった。





そして、そういう真似をする奴らに、女子が関わりたいと思うのか?





カトー、お前に正直に聞きたい。「こんな連中」と関わりたいと思ったか?


手前らがいなくても、このクラスには何も困らず、平和な時間が訪れるだろう。このクラスって状況で「笑えない」という意味では、いじめ連中が固まることができるのは、「その状況限定」である。


だが、当時はどうして、そのような状況が起きるのか、という事が理解できなかった。


「人は立ち止まっていると、過去が襲ってくる」という心理があるそうである。それに即して言えば、いじめの発端の人間が、「誰かをダシに使う」という方法を「止めて」
しまったら、過去が襲ってくるのだろう。「暇」で「孤立」して、「相手にされない」という、文字通り「惨め」な自分に向き合うなんて、そんな事、「可哀そうな僕」には耐えられませーーん!といった所であろうか。




もちろん、俺は当時関わる人間を選ぶことは出来なかっただろう。それでも、これから前を向いていくためには、やはり過去の「しがらみ」を断ち切らなくてはならないのである。


⓶連綿と続く、悪縁


関わる人間という者を、俺は選ぶことができなかった。もちろん、俺自身のスペックなり、パーソナリティーといったものはあるが、率直に言えば、どれだけ献身的な性格であっても、換言すれば先ほどの「男の一人っ子」の如く、「自分よりも下の人間を作らなければ死ぬ病」というクソ阿保に、ターゲットとしてロックオンされてしまえば、もはや一巻の終わりである。そこに、被差別部落や同和地区といった、外的要因も絡んではくるものの、やはり、「関わらざるを得ない状況で、関わらざるを得ない人間」がいるなどといった事態は、断固として避けなければならないのであった。






普通に考えれば、こいつが「信用も人望も、そして友達もいない」という事実には疑いようがなく、だからこそ「自分よりも下の人間」を作らずにはいられないのである。何というか、ドラえもんの「ぼくより、もっとダメなやつがやってきた」であったり、「なにわ友あれ」のベンキや「ファブル」の貝沼、そして伊崎といったキャラクターの如く、「自分よりも下の人間を身代わりにする」「(ベンキで言えば)ターゲットの女を次々にロックオンする、そして女自身に、恐怖や不安を伝染させ、警察への通報を免れるといった、一番確実であり、かつ、最低に卑怯な方法を、何の罪悪感もなく使う」「ミサキの事をこんなに思っているのに、俺に向かないのはミサキが悪い、周りは悪い、僕は悪くない」「ウツボの計画の雲行きが怪しければ、ヘマをしたこともあり、トンズラする(逃げる)」




そういう手合いの、末路には、少なくとも筆者の匙加減ではあるが、ドラえもんでは、のび太は自らの「卑怯さ」に悔い、自らジャイアンたちかボコられるという「ケジメ」に向き合った。そして決して「逃げる」事はなかった。ある意味でハッピーエンドである。だが言うまでもなく、南勝久氏が「やってはならないことを正当化し続けた」人間に対して、どういった結末を用意していたのかは、言うまでもない。グリム童話の「白雪姫」のお妃や、「ガチョウ番の娘」の待女が、どういった末路を辿ったのかは言うまでもないだろう。史実、フランス革命より恐怖政治を断行したロベスピエールが、自身がギロチンの羽の露に消えた事は、有名な事であった。アメリカの作家「マークトウェイン」が、「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」と言っていたが、まさに正鵠である。




と、そいのような人生を歩みたくはない、と切実に感じていたのである。

















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