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2022年07月29日21:19

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国家その2

ひるがえって日本はどうなのか。日本の近代国家の始まりは明治維新からである。それまでは日本は藩に分割され、藩主がその藩を経営し、江戸時代は徳川幕府が藩主を統括していた。
徳川幕府が弱体化してくると長州や薩摩が取って代わろうとして徳川幕府を滅ぼす。その時天皇(朝廷)を担ぎ上げ徳川を天皇に対する逆臣とすることを大義名分とした。
新政府を樹立し、幕藩体制を廃止して(廃藩置県)中央集権制を敷いた。
天皇を国家元首として国民を統治する。薩摩や長州も天皇をうやまい臣下となる。つまり天皇 → 政府、官僚 → 国民 という構図を作り上げていく。(天皇制)
この構図は絶対化していき天皇は神(現人神)となる。
日本の国家を支えているものは何だろうか? 「国体論」によると戦前においてはそれは天皇制である。大日本帝国憲法で天皇は「神聖不可侵」な「統治権総攬者」とされ、日本国家とは”万世一系の天皇を頂点に戴いた「君臣相むつみ合う家族国家を理念として全国民に強制する体制であった。”となっている。
国家は実体化するとすぐに戦争を始める。江戸時代はただの1回も他国との戦争はなかったが、明治になると日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、と矢継ぎ早に戦争をはじめ、ついには太平洋戦争で国家そのものを破壊し、300万人の国民を死に至らしめる。
なぜ戦争をしたのか、それは領土拡張をめざしたもので、日清戦争で遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得するが遼東半島は後に三国干渉で返還させられた。
日露戦争では樺太の半分と千島列島を獲得した。またこれにより満州と朝鮮半島を侵略しようとしていたロシアに日本が取って代わった。日本は朝鮮半島を併合し日本領土とした。
日本は”富国強兵”政策で軍事国家となり、当時東南アジア諸国は西洋の植民地であったが西洋に取って代わるべく南方を侵略する。軍部が力を握り、さらに領土を拡張すべく日中戦争を始め太平洋戦争へ突き進み、結局は負けてすべてを失い国を崩壊させた。

戦争を始めた権力者たちは”自由””民主主義”という言葉を毛嫌いし、一言でもその言葉を口にすると特高警察を差し向けて捕縛しその日のうちに拷問、殺害した。
そういう権力者たちが戦後作った政党が自由民主党(自由党、民主党)とはあまりにもおぞましい。
今の自民党はそういう連中の後継者だ。とくに安倍晋三は戦前の戦争を始めた一人である岸信介の孫でもある上、戦後民主主義を否定し戦前の権力構造を目指すことを己の政治信条としていた。

8月15日に日本は戦争に負けてポツダム宣言を受諾した。
”日本の一番長い日”という映画は”その日”のことをドキュメンタリータッチで製作したものだ。御前会議で降伏するかどうかを検討するとき唯一の条件が「国体護持」である。国民の救済ということは一言もなく、連合国側にポツダム宣言受諾の条件として「国体護持」を申し入れたが連合国側が認めるわけはなく返事は”占領軍が指示する”となっている。
日本はこの後本土決戦や原爆の追加使用が予想されるためポツダム宣言受諾せざるを得ない。
しかし日本は国民向けには玉音放送で国体護持が認められたと言う。
ポツダム宣言を受諾したことでそれまでに得た植民地や領土はすべて返還させられた。

アメリカは日本が天皇の命令で戦争を始め、天皇の命令で反乱もなく戦争を辞めたことで、日本を占領統治するためには天皇制が必要だと思い天皇の戦争責任を問わないことを決めた。日本がアメリカの原爆投下を不問にする代わりに、南京大虐殺や天皇の責任を不問にする。これは映画「東京裁判」でも出てくる。
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国家とは戦後はどうなったのだろうか?天皇は”現人神”から”人間天皇”となり、統治権はなくなり国民統合の象徴というなんだかよくわからない立場になっている。

続く

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