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2021年06月01日14:59

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仲間関係や意識の内輪性と日本人

仲間問題を書いたら、フェイスブックのコミニティで仲間関係がダメな理由のさらに一つに「内輪性」をコメントして下さった方がいた。その通りである。歴史にも例は多いが、今のイスラエル国と軍がしている事は典型例だろう。彼らの信じているはずの旧約聖書には「殺すな」とある以上はユダヤ教のせいではないはず。又、共同経済開発すれば、イスラエル・パレスチナの双方の利益になるわけで、あえてそれをしないのは、経済問題でも根はないようだ。放送大学の高橋和夫教授は「1910年代のイギリスの二枚舌外交」を挙げているから、そのせいもあると思うし、興味のある方は高橋教授の中東関係の本を読まれると良いが、その他に「イスラエル人たちの仲間意識」のせいもあると思います。内輪は仲良く助け合い、外の国の人たちには無関心で、利害が絡むと敵視もしてしまうという。中にはパレスチナ人の人権にも目を向けるイスラエル人もいますが、多数は信仰心や愛と仲間意識を混同しているわけですね。


  日本はどうなのでしょうか。僕の小学から高等部までを思い出してみると、友人は多かったし、友情なるものも自我が育った中学以降は生じて、哲学や宗教、何かの時事問題の話も学年の枠を超えてしたわけです。各自が個人個人していた。誰も仲間とか仲間意識という言葉は使わなかった。入学式と卒業式には、国家「君が代」は歌いましたが、社会のルールとして歌うと当時の僕は解釈していた。日本の優れた文化には興味を持っても、「君が代」の歌から日本人の仲間意識が生まれるとは思わなかった。仲間という言葉もよく知らなかったわけです。また、若かった原一男氏などもボランティアとして来ていましたが、それも個人付き合いが主でした。

  戦前生まれの父母は「学校で歴代天皇の名前を暗唱させられた」と聞きました。特に父は「歴史の時間は歴代天皇の名の暗記ばかり」と言って、僕の歴史の教科書を見て「うらやましい」と言っていたわけです。そうして、天皇を通して日本人の仲間意識を作って、外国に対抗しようとしたわけですね。学校を仲間意識作りの拠点として。それで天皇愛好者になった人達は多かったかもしれませんが、戦後のイスラエル人のような国としての仲間意識は生じたのか。検証はできないから何とも言えませんが、鬼畜米英と叫んでいたのに、終戦直後から急にアメリカ大好きに世相が変わった。そこが面白いと僕は思うし、案外、日本人の仲間意識は弱いかもしれない。戦後は経済に意識が向きましたが、石油危機や福島原発事故でたびたび揺らいでいます。ポスト資本主義が言われる今後はどうなるのでしょうか。予測はできませんが、僕の希望としては仲間主義ではなく、外向きで無限の広がりを持つ広い広い意識を持ってほしいです。どこか一国でもそのような発想が出れば、たちまち世界に広まり、イスラエルの問題も解決しますし、福祉面でも仲間外に関わるヘルパーも増えて、障碍者や高齢者も非常に良くなると思います。外向きの意識ならば見下す事もないから、マイノリティも差別される事もないわけです。

  僕の学校時代は仲間と非仲間は分けず、個人で友人になっていった。1978年にサポーターを経験した高島平団地の子供会の子供たちもそうでした。誰でも子供の時は広い心があるのかもしれません。それを我々は思い出せば良いのかもしれないですね。


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