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2019年12月05日00:57

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八事山興正寺で岐阜から移築された旧日下部邸を観る

 岐阜県には日下部邸と名のつく建築物が二つあった。
 ひとつは、重文に指定されていて、飛騨の民芸資料館にもなっている高山のそれで、いまもなお、連日、観光客で賑わっている。

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             かつて岐阜にあった頃の旧日下部邸
 
 もうひとつのそれは、岐阜市にあったもので、半分洋風、半分和風の取り合わせで、桑名の六華苑とやや似ているが、多少違って道路に面して、左半分は洋風、右半分は和風とはっきり別れていた。それだけにそれは容易に分離でき、もう10年以上前にその和風部分が取り壊され移築されることとなった。
 この双方とも、築100年近く、岐阜市の重要景観物指定建造物となっていて、和風部分は大正時代に建て替えられたものの、それ以前は徳川幕府時代の岐阜本陣の跡地であることから市民の愛着もあり、保存運動も起こったが、移築が決定されてしまった。
 その日下部邸の前は何度も通ったことがあるが、いずれも車で、そこへ立ち寄ったことはなかった。そして、結局それがどこへどう移築されたかも確かめないままで過ぎてきたのだった。

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              参道の柳の豊かな風情がいい

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 それが、名古屋は八事の興正寺の境内にあると聞いたのはつい最近のことで、近場の紅葉狩りも兼ねて、じゃぁ行こうかと岐阜の友人とともに訪れたのは11月の終わりであった。
 ところで、この八事山興正寺といえば、私の盟友にして同人誌などでご一緒しているYさんの縄張りうちである。彼女の小説の最新作、『サダと二人の女』の冒頭シーンは、この八事興正寺である。
 断りもなくその縄張りうちに出向いたりしたら、「おんどれ、ひとの縄張りうちで、なに大きな顔してけつかるネン!」とヤキを入れられそうだが、そこんとこは事後の了承をいただくとして、まずは山門をくぐる。

 じつはここは、やはり前は通ったことは何度かあるものの、境内にまで入るのは実に半世紀ぶりぐらいなのだ。
 山門を入って驚いた。な、何だこれは。重文に指定されている五重の塔の前に、でんと大仏が鎮座しているではないか!こんなものは確かなかったはずだと近寄って確かめると、「平成大仏」とある。なぜ、この場所に大仏なのかがよくわからない。均整がとれた五重の塔の景観が損なわれているような気がするのだ。
 だいたい、名古屋の新しい大仏というのはキッチュでいけない。本山の桃巌寺にある緑の大仏も、なんかグロテスクでありがたみがまったく感じられない。つい先だって、湖北方面で、集落の檀家衆に護られた年代物の仏像を見てきただけに、余計それが気になる。

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              これは本山桃巌寺の緑の大仏

 勝手にやってきてぶつくさ言うのはよそうと思い、境内を回る。所々に今を盛りと燃え上がる紅葉が目につく。以前ともう一つの大きな違いは、境内左手の墓所などに向かう斜面の階段横に、昇降用のエスカレーターがついたことである。これは景観的にはいまいちといえるが、こうした場所を訪れる善男善女は、私のような高齢者が圧倒的に多いことからして、心配りの範囲内であろう。

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        本堂内部を隙間から 良い子の皆さんは真似をしないでね

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 ツワブキやドウダンツツジの庭園があり、ところどころに燃えるようなモミジが映え、奥へ進むほど都市の寺院とは思えない静寂が訪れる。あの、キッチュな大仏で動揺した気分が序々に癒やされる。

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 さらに進むと、凛とした竹林に囲まれた一角があり、それがどうやら日下部邸らしいのだが、表示には「竹翠亭」とあり、いまいち確信がもてない。
 するとなかから、和服姿の女性が現れ、「お抹茶など一服いかがですか」と誘う。確認すると、まさにこれが日下部邸を移築したものであり、お抹茶とお菓子付500円でその内部や付帯するお庭などを散策できるという。

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 渡りに船、願ったり叶ったりで入れていただく。旧日下部邸の各部屋は、無駄な装飾がなく、一見簡素だが、柱や欄間、建具の取り合わせがじつに気品ある調和を保っている。雪見障子風に、上下は磨りガラスで中央のみ透明な窓から、程よく色づいた紅葉を見ながらのお茶はまた格別であった。添えられたお菓子は名前は忘れたが、霜の降りた野をイメージした重ね菓子で、まさに霜月の風情を満喫できるものだった。

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 その後、各部屋とお庭、渡り廊下などを散策したが、それらは旧日下部邸とこの寺を結ぶ後からの増築とはわかっていても、全体の調和を壊さずにいて素敵だった。
 折から、早い秋の夕べの訪れで、傾きかけた陽のなか、ここかしこで烏の鳴き声が聞こえるのだが、日ごろ不吉に感じるそれが、この雰囲気の中では、まさに秋の夕べにふさわしい野趣あふれるものに感じられるのだから、人間の感覚も身勝手なものだ。

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 思いがけなく見どころが多く、長居をした旧日下部邸であったが、その趣を十分満喫できた。この邸宅が、岐阜を離れる際、いささか寂しい思いがしたものだが、いまやここで、それを愛おしむ見学者たちの視線のなか、その余生を送るのはいいことだったのではと思ったりもした。

 キッチュな大仏と旧日下部邸の落ち着いた風格、その両極に私の八事山興正寺への印象は引き裂かれたのだった。





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