それは世田谷の人たちをS園や全生園に連れていくものだった。そうすれば、互いに非常に刺激的になり、両園共、生き方もがらりと変わったと思われる。でも、あの通り、内紛が起きた以上は計画を断念。あるいは、福祉の歴史を変える可能性もあったような事を潰した。それだけ、ボランティア同士の対立は激しかったわけである。
そして、世田谷関係に代わる活動場所を求めて、僕は高島平子供会に行き、今も子供向け文を通して、身障会で得た精神はつながっているわけである。
でも、僕の場合はその身障会の役員でもなく、一緒に飲んだわけでもないから、「バカヤロー」の件も客観的に見る事ができ、当時も僕はそのように言わなかった。もし、僕も「バカヤロー」と言っていたら、流れに流されて、大変な事になったね。今の僕はないと。子供会に行く機転も出なかった。何したか、判らない。
僕にとっても「バカヤロー」はエポックであり、運命の分岐点には違いなかったが。恐らくは世田谷のボランティア運動が崩れ始めた時点でもあったと。
話を戻し、もし、その計画がかなっていたら、僕も全生園にはしっかりした目的を持って行けたのにとも思う。それにしても、「気に入らない人をおとしめる」。そのようなボランティアの活動目的は何だったのか。判らない。
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