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2016年10月07日14:18

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伊藤まつさんが僕などと付き合ってくれた根拠

   まず、このブログはフェイスブックにおり、1980年前後に僕と付き合った人たち向けのものである。政治家や外国人も読んで下さる僕のブログをこのように使う事は極めて異例である事をまず述べる。


 伊藤まつさんとは、1908年から1985年まで生きたハンセン氏病元患者のおばあさん。生涯の多くを東京・東村山にあるハンセン氏病療養所で過ごした。1977年、福祉団体でそこに僕も行き、知り合い、声を掛けられ、誘われるように僕も付き合い、1985年に昇天するまで、僕も行き続けた。若者たちには人気があり、多くのサポーターがそこに行った。一緒に東村山近辺の中華料理店に行き、ごちそうを食べた思い出もある。

  僕も77年限りでそこに行くのを止める予定だったが、何故か、行き続けてしまった。伊藤まつさんの誘われるがままに。求めたのは伊藤まつさんだから、当然、この付き合いの理由もまつさんにある。でも、何故、僕に声を掛けて、また、僕の他にも多くの若者に優しくしたのか、理由や根拠が判らなかった。やはり、そこに行き続けた一人が「まつさんは寂しいから、人を求めた」と言い、僕も請け売りをしてきた。でも、それはその人の憶測に過ぎず、根拠がない。請け売りした事は良くなかったと反省もしている。

  ところで、そこに行く人たちは訪問者。その言葉から大体わかった気がします。訪問者は聖書では「旅人」とも言います。その旅人を「もてなせ」と聖書には書いてあります。YMCAホテルの事で僕は知ったわけですが。それはともかく、ならば、まつさんから見て僕は旅人に当たり、それゆえ、あのように声を掛けて付き合いが始まったと言って間違いないでしょう。多くの訪問者に優しくしたのも。伊藤まつさんは強いキリスト教信仰を持つ人だから、そうしたと。聖書の証拠は物証の次に強いわけですし。

  でも、旅人は旅人。一緒に土地に住み込まない限りは友人や仲間になる事はあり得ません。伊藤まつさんが死ぬまで、僕も友人や仲間にはなれなかったわけだし、それゆえ、例のK氏とは違い、まつさんの事を細かく書く事もできないわけです。

  こんな想像もしてみました。僕にしろ、まつさんの所に行った多くの人たちにしろ、もし、ハンセン氏病にかかり、全生園に入院したり、職員になって共に生きた場合、打って変わって、伊藤まつさんは冷淡に接したのではないかと。実際、元患者仲間にはそうしていたと聞いた事もありますし。そうなったかもしれません。

  話を戻すと、本当に伊藤まつさんは「遠くから来た人には優しくしないとね」と何回も言っていました。まさに、聖書のその言葉そのものですね。

  まつさんは良いですが、訪問者の出来る事は本当に限られています。寅さんの映画を見ても判るでしょう。訪問先で奮闘努力もしますが、実際には関わり切れないし、見た事も限りがある。それ故、僕の立場からもそこの事は余り書けないわけです。その代り、仲間・友人のK氏の事はいろんな角度から書けた。これで良いと思いました。又、同様に訪問に過ぎないS園も、医学面しか僕は書けない。これも当然です。それらの事は今後は書く事もないでしょう。一種の区切りですね。例えば、光明養護学校の事とか、多くの友人たちの事など、書くべき事は他にもたくさんあるわけだし。

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