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2016年09月27日13:11

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聴覚障碍を持つK氏の個性と、日本の聴覚障碍者の歴史

  77、8年当時のK氏は日本史を学ぶ学生だった。日本の多くの古典書から聴覚障碍者関係の史料を調べて、聴覚障碍者の昔の置かれた状況を調べていた。大昔から日本では耳の聞えない人たちは「聞く耳を持たない人たち」と思われて、非常にバカにされていた。各種障碍者の中では、精神障碍関係の次くらいに虐げられていた。近代になっても、例えば、俳句の正岡子規と高浜虚子の弟子に、村上鬼城という耳の聞えない人がいたが、内、高浜虚子たちの弟子たちは耳が聞こえない事を理由に村上鬼城をバカにして、その度に高浜虚子は「バカにしてはいけない」と叱った事が文献に残されている。又、耳の聞えない生徒たちの学校で、第二次世界大戦の時の軍事教練で軍事教官が号令を掛けても反応がないので、「聞こえないのは心がたるんでいるからだ」と生徒を叱った事もあったそうだし。とにかく、僕もその一部しか知らないが、日本の聴覚障碍者たちの歴史は非常に悲惨だった。


  ならば、それらをコツコツ調べたK氏の気持ちはいかがものだっただろうか。猛烈な怒り、悲しみ、恐怖感で心が一杯になったはずだ。常に絶望していたと。しかも、当時は日本でも聴覚障碍者たちには世間は無関心だったし、福祉関係も児童や身障者、盲人関係には目が向いても、聴覚障碍者関係には冷たかった。そのような背景もあった所に、遊びで手話をする学生たちが現れた。激怒したわけだと。K氏が「悲惨な話ばかりした」も理由の大きな一つは、以上の歴史研究から来ていたと思わる。氏は物事を狭く、深く極める面があったようだし。氏の個性ですね。

  例えば、耳の聞えない人でも、聴覚障碍関係の歴史を研究していない人ならば、深刻なケンカは起きなかったかもしれないと思うわけです。耳の聞えない人たちも一人一人発想が違うから。中には、学生たちと一緒に遊ぶ聴覚障碍者もいると思います。先の僕が書いたブログでは、聴覚障碍者へのステレオ・タイプ的な見方も生まれかねないので、K氏の持つ個別性を徹底的に思い出して、書いてみたわけです。やはり、脳性まひの人のステレオ・タイプ的な見方をされたら、僕はたまらないわけですし。

  77、8年当時にK氏と付き合っていたほとんどの人たちは日本の聴覚障碍者の歴史の事は知らなかったでしょう。それゆえ、彼らの多くは戸惑ったはずだし、K氏の話も理解が難しかったようです。僕もごく一部ですが、次第に聴覚障碍者の歴史を知り、だんだんK氏の述べたい事が判っていったわけです。そんなものかもしれません。日韓や日中にしろ、歴史が絡む問題は難しいものがありますし。歴史を学ぶことはどのような人でも、必要ですね。




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