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2016年09月24日13:49

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大村益次郎の書いた英語と、その後の日本の英語教育や手話

  日本の皆様は御覧になった人もいるでしょうが、9月16日にNHKで放送された「歴史ひすとりあ」というTV番組で、幕末から明治初め(19世紀後半)に活躍した大村益次郎の書いた英語が出ていました。イギリス人に英語を直されていた。放送では説明しなかったですが、複数形で書くべき所を単数形で書いたから、直されたわけです。フェイスブックでは僕は外国人たちと付き合い、コメント欄に簡単な英語を時々書きますが、同じ失敗もして、気が付き、すぐ手直しする事もあるから、それも判ったわけです。英語などでは単数形と複数形の違いが明確ですが、日本語は元々それは不明確なので、日本語で述べる感じで英語を書き、そのような間違いも度々起こすわけですね。でも、大村益次郎は一生懸命イギリス人やアメリカ人に自分の意志を伝えたくて、英文を書いたわけです。英語に限らず、外国語をする目的は「意思疎通」ですからね。大体、言語は意思疎通の目的で太古に自然に作られたわけだから。


  ところが、いつの間にか、日本の、特に中学の英語の授業は単語のスペル記憶や、文法みたいな事にこだわるものになってしまった。今は英会話にも重きを置くものに改善されているようですが、僕の中学の頃(1968年から70年)は暗記科目みたいで、試験も英語のスペル筆記が出ました。外国語のスペルは簡単に記憶できるものではないし、僕も出来なくて困った思い出があります。スペルを忘れれば、辞書で調べれば済む事なので、記憶する必要もないと思いますが。それゆえ、僕も中学・高校時代は英語学習の目的も理解できませんでした。同様の日本人も多いでしょう。

  そう言えば、一人の聴覚障碍を持つ大学生が発起人となり、東京の某大学で手話会が1977年に開かれ、テキストを使って手話会が開かれました。その学生の友人だったので、僕も行きましたが、会員は手話を覚えようとしていましたし、「手話を覚える」という言葉を使っていたように記憶しています。元々僕は手が不自由で手話は困難だし、それを覚える必要性にも疑問を感じて、すぐに退会しましたが、思い出し、その手話会は変だったと思います。手話は文字通り、耳の聞えない人たちに話し掛けるもので、「覚える」ものではないでしょう。今思い出すと、当時の中学の英語の授業風にしていたわけです。会員のどの程度がその耳の聞えない人に手話で話し掛けたのか、後で思うと疑問に感じますね。更に、僕みたいに手の関係で手話のできない人は、例えば、筆談など、別の方法もあるわけだし。今思うと、手話会はやめずに、その耳の聞えない人と相談して、僕なりの彼との意思疎通方法を模索し合うべきでしたね。それをしなくて、今は残念に思います。

  耳の不自由な人とか、外国人に話し掛ける事は物凄いエネルギーを使う反面、自己伝達と表現力の最大級の訓練にもなります。1977年の手話会でそれをしていたら、僕の人生も変わったと今は思っていますし、そこですべきだった事を今になり、フェイスブックでしているのかなとも思います。その手話会には問題もあったようですが、話がずれるので、少なくとも、今日は書きません。いずれにしろ、意思疎通は非常に大切ですね。

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