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2016年07月19日10:39

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晩年の西郷隆盛の謎と日本



  1969年、僕が中学2年の時に習った社会科・歴史の教科書にはこのように書かれていた。詳しい年数は忘れたので、省略するが。1870年代である。

  「西郷隆盛は『征韓論』、つまり、朝鮮王国を武力で討ち、開国させる事を求めた。でも、意見が通らなかったので、下野して、鹿児島に帰り、不平士族たちと反乱して、西南戦争を起こした」。

  はっきりと僕は記憶した。西郷は過激で、頭の悪い人だと当時は思ったし、戦前生まれの人の中にもそのように言っていた人がいた。

  でも、2000年ごろのその頃を描いた歴史ドラマでは、政府内に征韓論が出てきた事に対して「朝鮮は悪くない」と言って、むしろ、反対するセリフがあり、習った事とは違うと感じた。また、西郷の人柄も思慮深いものになっていた。変に思った。因みに、その征韓論は西郷を落とし入れる罠みたいなもので、それにうまく西郷は乗せられて、追い詰められ、下野した姿が描かれていた。当時の日本政府は朝鮮と戦争する気はなかったそうである。

  その歴史ドラマの方が正しいかもしれない。大体、明治維新直後は日本は軍事・経済力も弱く、戦争できる状態ではなかったし、また、朝鮮と戦う理由もなかったはずだ。詳しい様子はまだ解明されていないようだが、明治初期になり、西郷は政府内で深刻な対立を他の者たちと深めていったようである。

  やはり、「敬天愛人」の思想を持つ西郷は、官僚主義になりつつあった明治政府の人たちと合わなかったのだろう。天を第一に人民が思うようならば、西郷の思想が人民に広まるようになるならば、人民は政府に忠誠を尽くさなくなり、果ては第二、第三の維新・革命が起きかねないから。政府の立場としては西郷を陰で葬り去る必要があったとしてもおかしくない。

  そのドラマはNHKで行なわれて、西郷隆盛は西田敏行が演じたが、西南戦争からかなり経った後、上野で西郷隆盛の記念銅像が建てられるシーンがあるが、西郷の遺族の一人が「これは隆盛の姿とは違う。何か違う」と独り言を述べたセリフも印象的だった。子犬と散歩する西郷隆盛の姿だが、激変続きの生涯を送った西郷に、子犬とのんびり散歩する時があっただろうか。なかったと思われるし、その銅像は穏やかな表情だが、実際はいつも厳しい表情をしていたわけである。従って、これも意図的に改ざんされていたのかもしれない。西郷の実像を伝えないために。いつの間にか、「西郷は征韓論を唱えて、朝鮮に出兵しようとした」というイメージが政府部内の他、世間でも広まり、定着化して、その果ての姿が僕が学んだ歴史教科書だったと考えられる。

  歴史に「もしも」は禁物だが、西郷が落とし入れられず、西南戦争もなく、生き続けていたら、日本の姿は大きく変わっていただろう。人々は政府や天皇の上に「天」を置き、一緒に穏やかに崇めるような発想が広まっていったかもしれない。結果的に、政府の役人に人々は是々非々の態度で臨み、同様に政党や軍部に対しても臨んだだろう。官僚支配も、昭和に入ってからの軍国主義化もなかったし、ナチス・ドイツに従う事もなかったのではないか。中国侵略や、朝鮮植民地化もない。次第に国民の間に人権意識も高まり、諸々の差別解消の動きや、障碍者などへの福祉も早くに進み、ハンセン氏病政策も全く別なものになったに違いない。又、人々の結びつきも強いため、結婚もお見合いもせずに簡単にでき、離婚もほとんどない社会になっていたと。高齢化社会にも楽に対応できた。そのような事も容易に想像できます。西郷隆盛を葬り去った事は非常に残念です。

  「敬天愛人」をこれからでも日本に復活させなければ、未来はないでしょう。

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