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2024年02月26日13:54

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2/24 生誕300年記念 池大雅ー陽光の山水@出光美術館

始まったばかりでそんなに急ぐことはなかったのだが、国宝《楼閣山水図屏風》が2月25日までの公開なので行ってきた。東博所蔵の国宝だから、一昨年の「国宝展」には出ていたのだが、とにかく混んでいて六曲一双の屏風の全体像が見渡せなかったのが心残りだったのだ。いや、それ以前にも見ていたかもしれないが、文人画、南画ってものの良さがわかってきたのがつい最近、昔は興味なかったのよね。我ながら歳を重ねてきたということだ。

土曜日のせいか、そこそこの入り。碧眼の観覧者もいらした。
写真撮影は全面不可。
展示は細かく4期に分かれている。国宝2点、重文8点と重要美術品1点で、場面替えも多い。国宝《十便十宜図》は画帖なので全ページ10回の場面替えが計画されている。1場面3日、長くて6日の展示だ。どれに当たるかはお楽しみ?!

池大雅…その名は有名で、テレビ「なんでも鑑定団」では出るものほとんどが贋作だったという記憶があるが、まとまって見たのは初めて。副題に「陽光の山水」とあるように、おおらかで、緩く丸い筆線、濁りのない点描、色彩の明るい、肩肘の張らない画風で、楽しかった。

https://idemitsu-museum.or.jp/
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伊藤若冲や円山応挙ら、日本美術を変革する個性的な画家たちが輩出され、百花繚乱の様相を呈した江戸時代中期の京都画壇。その中でもひときわ多くの人々に愛された画家に、池大雅(いけのたいが)(1723 - 76)がいます。幼い頃から神童としてその名を知られた大雅は、当時中国より新たに紹介された文人文化に深い憧れを抱き、かの地の絵画を典範とした作品を数多く描きました。一方で自然の光の中で描くことで培った抜群の色彩感覚と大らかな筆致、そして彼がこよなく愛した旅で得た経験によって、本場中国とは異なる、日本人の感性に合致した独自の文人画を創り上げたのです。
本展では、大雅が描いた作品の中から、山水画を中心とする代表作をピックアップして展示いたします。特に大雅が憧れた瀟湘八景、西湖といった中国の名勝と、自身がその足で訪れた日本の名所とを比較しながら、そのたぐいまれなる画業の変遷を追います。
晴れた日には戸外の白砂の上に屏風をひろげて絵筆をふるったという大雅の逸話の通り、その作品の前に立つと、きらめきに満ちた光や爽快な空気に包まれ、遠い中国の地でありながら、その風光の中に立っているかのような錯覚すら感じさせてくれます。厳選された名品を通して、「陽光の山水」と呼ぶにふさわしい大雅芸術の真骨頂を、心ゆくまでお楽しみください。



第1章 光との戯れー色と墨の競演


《山邨千馬図》
酔った友人に千頭の馬を描いてくれと頼まれ描いたもの。村の馬市の様子だが、村中馬がひしめき合っている。淡い彩色だがカラフルで可愛い。3年前に見たら「密です!」と警告しそう。
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《柳下童子図屏風》
橋で童子が二人、川をのぞき込んで蝦を取ろうとしている、のどかな情景。
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「擬如拙道人筆」とあり、如拙の《瓢鯰(鮎)図》を基にしているとあるので、如拙のそれを調べてみた。この絵↓
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ツルツルの瓢箪でヌルヌルの鯰が獲れるかという禅問答らしい。
《瓢鯰図》という作品には、禅僧で詩人の大典の讃があり、こちらも禅画のようなユーモアがある。
他にも、売茶翁や白隠の賛がある作品があって、池大雅の交友関係の広さ、深さを知る。

《怪鬼弾琴図》
これは、府中市美の春の江戸まつりでも紹介されていた面白い絵。厳しいはずなのにどこか飄々とした鬼たち。これは「指墨」といって、筆を使わず、指に墨をつけてささっと描くのだ。
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《騰雲飛濤図》
湧き上がる雲と荒々しい波濤で龍そのものを表す。躍動的な作品。上に描かれた文字もまたいい、全体を引き締めている。以前、書はまるでわからずにいたが「本阿弥光悦の大宇宙」展で、造形の面白さに開眼、同時に「呉昌碩展」で、絵と書は切っても切れない関係を知る。
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《楼閣山水図屏風》
国宝である。一橋徳川家の伝来の作品なので、一際豪華でもある。
総金地に群青、朱、青緑、金泥などの鮮やかな彩色が施されている。
右隻は岳陽楼、左隻は酔翁亭、幸福な楽園世界だ。
原本は清代《祝寿画冊》で、屏風にするにあたり池大雅らしい工夫がなされているという。
よく見ると、人の衣服だけに青、赤、緑の濃彩を使っていてアクセントになっている。風景に対し人物が大きいのも特徴だ。人々がのどかに楽しんでいる様子を強調したのだろう。
出光の一段低くなった屏風用の横長展示ケースに入っており、スロープの途中から立って、あるいはケースの正面にあるソファに腰掛けて、思う存分堪能できた。国宝展の時は全体を見ることは叶わなかったからね。
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第2章 大雅のユートピアー憧れの中国へ

雪舟は中国に留学し実際の中国の景色を見てきたが、鎖国江戸中期に生まれた大雅はそれは夢のまた夢。友人・木村蒹葭堂から中国の絵画や書物を借りて名勝の地を知り、琵琶湖の風景を観察写生してリアリティを持たせ、独自の中国名勝画を完成させている。
《前後赤壁図屏風》
27歳の作。構成の上手さに驚嘆
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《餘杭幽勝図屏風》
昭和8年以来90年ぶりの展示。杭州西湖は、好きな観光地で90年代前半に3度くらい訪れている。西湖十景の正確な配置など覚えていないが、柳の木が揺れ、水温み、白堤と蘇堤が微かに霞んだ、ゆったりした温暖な地の雰囲気が、この絵を見ていると思い起こされる。
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《瀟湘勝概図屏風》
こちらは洞庭湖。金地に柔らかい墨の線と淡い着彩、まさに「陽光の山水」だ。日本文人画の印象派か(ちょっと違うか・笑)
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第3章 行道千里ー日本の風光に学ぶ


大雅は旅が好きだったようで、日本各地を旅した。宝暦10年には、高芙蓉と韓天寿と三人で白山、立山、富士山を登頂した。画家にはとんでもない健脚、登山家がいたりするよね。

《浅間山真景図》
画像ではわからないが、恐ろしく細かい。麓の人家や遠くの川の流れまで、雲海の下に見える。想像でしか描けなかった中国の風景も、描いていて楽しかっただろうが、こうして実際の目で見た景色を描くのはまた格別だろう。
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《日本十二景図》(画像なし)
12幅対。淡墨と焦墨でさらっと描いている。かなり好み。松島や錦帯橋などの実際の風景もあれば、特定できない風景もある。元は六曲の屏風だったそうだ。


第4章 四季と八景の庭園ー大雅芸術の原点


《十便十宜図》
清初の文人李漁が伊園での生活の便利さ,良さを賞賛した詩《十便十二宜詩》を元に,十便を大雅が,十二宜のうちの十宜を与謝蕪村が描いている。
見に行った時は、大雅《灌園便》、蕪村《宜冬》が展示。
爺さんが、畑に水を撒いている図だが、なんとものんびり。世俗を断ち切り、無農薬野菜をつくり自給自足。これぞ隠遁生活の醍醐味と言わんばかり。
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《寿老四季山水図》
離合山水図というのは、1幅ずつ単独でみても、2幅をつなぎわせてみても、どちらでも鑑賞にたえる構図をもっている絵で、北宋の画家・米芾が始めたと言われている。
この作品は、寿老人を中心にして、右から春夏秋冬の5幅の掛幅となっているが、3幅対にしてもまた良しなのである。
気になったのは文字。春が篆書、夏が草書、秋が隷書、冬が楷書になっている。光悦が一つの書(経)に気持ちの有り様に合わせて複数の書体を混ぜて使ったのを思い出す。
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《十二ヶ月離合山水図屏風》
離合山水図は、中国では3幅対の形式が一般的だが、大雅は1月から12月までのそれぞれの画面を屏風に貼り付け、屏風全体としても壮大なひとつの景観を創り出している。
広大でのどかな春の湖から始まって、季節が進むにつれ、まるで生きているようにもくもくと湧き立ってくるような岩山が面白い。明るい色彩の点描は濁りなく、キラキラと陽光に輝いているようだ。
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3月24日まで。4期の入れ替えあります。
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