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2024年01月17日10:14

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1/14 和食@国立科学博物館

和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのを機に企画され、コロナで延期となった展覧会。科博にはこれまであまり日曜日に行ったことがなかったのだが、いやぁ〜混んでいた。老若男女、ファミリー、カップル、友人、一人…さまざま。同じく科博の「宝石展」くらいの人気。
一部(「とらや」提供の資料)を除いて写真撮影可。内容盛りだくさん、勉強になりました。

https://washoku2023.exhibit.jp/
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「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されて10年 。世界中でますます注目の高まる和食を、バラエティ豊かな標本や資料とともに、科学や歴史などの多角的な視点から紹介します。日本列島の自然が育んだ多様な食材や、人々の知恵や工夫が生み出した技術、歴史的変遷、そして未来まで、身近なようで意外と知らない和食の魅力に迫ります。
※本展は2020年に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止となり、改めて開催するものです。


1章 「和食」とは? 

2章 列島が育む食材

【水】
水の中に成分が溶け出しやすい軟水が、出汁を使う和食に適していること、日本の地形が急峻で多雨であることから雨水が軟水になりやすいことなどは知っていたが、この水道水硬度分類地図には少しショック。沖縄、熊本、関東南部の硬度が高いのだ。
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【キノコ】
世界のキノコは約2万種ありが、そのうち日本は3000種以上、かなり多い方だ。
面白のは、欧米において高級食材とされる野生キノコのトリュフ、ポルチーニ、モリーユは日本にも分布しているのに和食の材料として使われてこなかったということ。日本では採れないのかと思っていた。食べられるキノコが食べたいキノコとは限らない、地域によって違うのが面白い。

【山菜】
日本には約7500種類の植物が自生、そのうち可食のものは1000種類以上、その中で、美味・珍味な食材「山菜」は約100種類。そういえば、中国料理研究家と中国に旅行した時高級レストランで「珍味・南京三草」の炒め物が出てきたが、あれは日本の土手にも生えているクローバーかなんかだったな(笑)

【野菜】
人類が穀物を栽培したのが約1万年前なのに対し、現在利用されている野菜の多くは約3000年前に誕生。遅い。日本の野菜の多くは、日本には自生しておらず、外国から持ち込まれた植物であるとは意外。
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日本は世界で最も大根の品種が多く、800種以上存在するが、1970年代以降「青首大根」が市場流通のほとんどを占めるようになった。
いろんな種類の大根
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愛知県の宮重大根が青首大根の元。
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東京は大根の品種が多いみたい。
練馬大根、亀戸大根、美濃早生大根、二年子大根、それから世田谷の大蔵大根。我が家の目の前の畑でも栽培を復活させて販売している。かなり大きくて太い。おろしより煮物が美味しかった。
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【米と大豆】
明治時代に入ると富国強兵の政策により米の飛躍的増産が図られる。今のブランド米の元となった品種の名前「旭」「神力」「愛国」「亀ノ尾」、いかにも時代を感じる。

【魚介】【海藻】
食用にする魚介の標本がずらり!これをみてお寿司が食べたくなるのは日本人だけか。よくよく考えれば、軟体動物や貝類はかなりグロテスクだし。
そして、日本ほど海藻を食べる国はないらしい。
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【発酵】しょうゆ・みそ かび
【うま味・出汁】昆布・かつお節


3章 和食の成り立ち


和食のルーツは、縄文時代まで遡ることができ、弥生時代には「米と魚」の食文化が形成される。
大きな転換期の一つが、鎌倉時代に禅僧が中国から持ち帰った料理技術。動物性食材を忌避し、出汁や発酵調味料で味づけをする方法が現在の和食に反映されている。
開国によって西洋料理が流入すると日本独自の「洋食」が生まれ、戦後は台所の近代化によって食生活は大きく変容する。

それぞれの種類が豊富なキノコ・野菜・魚介などの食材を用いて、精進料理から得た調味法で作り上げた多種多様な料理、それが和食ということなのね。

【卑弥呼の食卓】
かなり贅沢な食材。ショウサイフグの一夜干しがあるけれど、毒を除く方法を知っていたのかしら。
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【長屋王の食卓】
奈良時代の貴族の日常の食事。調理法はシンプルで味づけはされておらず、食べる人が醤や塩、酢などの調味料をつけて食べる。
かなり豪勢だが、味付けがされていないのが、健康に良さそう。素材本来の味を楽しめる。贅沢だなぁ。
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一方、こちらが【庶民の食卓】雲泥の差。
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平安時代【大饗料理】中国の影響を受けたというが、盛り付け方など独特。この頃の絵巻物を見てもご飯が山盛り。
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【大臣の御前】その時代の大臣の御膳がこちら。
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【大徳寺開山忌本膳】
平安末期〜鎌倉時代、禅僧たちが中国から、豆腐、湯葉、小麦の麺などの植物性食品や、こま油、味噌などを用いて食材に味付けをする高度な調理技術を持ち帰る。
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【織田信長の饗応膳】
天正10年5月、織田信長が安土城で徳川家康をもてなした時の料理。明智光秀饗応役解任事件が起こった時だ。これをきっかけに本能寺の変が起こるわけだが、この料理は、家康が到着してすぐに出された「十五日おちつき膳」
三膳に鶴の汁があるが、野鳥の中で白鳥を抜いて一番ランクが高い。それにしても肉か魚介ばかりで、野菜は少ない。
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【懐石料理】
享保10年12月5日の茶会席から再現した懐石料理(近衛家煕の言動を書き留めた「槐記」より)
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江戸時代の庶民の食事で欠かせないのが、外食。蕎麦、天ぷら、すしは江戸っ子のファストフード。そこまでは常識だが、明暦の大火(1657年)後の復興に大量の労働者が流入したため、調理済み食品を売る店が急速に広まったのだとは知らなかった。

すしも、実は日本発祥ではなく、東南アジアから伝来したと。なるほど寿司の最も古いものは「なれずし」であった。室町時代になると発酵度合いが浅い「なまなれずし」が登場し、江戸中期になって現代の原型の酢を使った「早すし」が登場。その後、ちらし寿司、巻き寿司、いなり寿司が生まれ、1820年ごろに江戸の職人が握り寿司を考案。その江戸の握り寿司が全国区になったのは第二次大戦後だという。

なんでも番付にしてしまう江戸っ子、想像通り料理屋番付もあったが、【日用倹約料理仕方角力番付】が面白かった。八杯豆腐と目指しいわしが東西大関で、きんぴらや煮豆などが並ぶ。現代でも通用しそう。
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そのあとは、江戸時代に流行った料理書の料理を再現したサンプルがQRコードのレシピ付きで並ぶ。【豆腐百珍】で思い出したのが昔よく行った根岸の「笹乃雪」というお店。

【ペリー提督の饗応膳】
嘉永7(1854)年二度目に来日したペリー提督を横浜の応接所でもてなした記録から。料理は、高級料亭「百川」が請け負った。見た目も綺麗で、いかにも美味しそう。
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【天皇の午餐会】
明治20(1887)年5月13日に明治天皇と昭憲皇太后はドイツの賓客をもてなした料理。フランス料理が宮中晩餐会の正式料理に採用される。
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明治時代には、一般向けの西洋料理本も刊行された。「西洋料理通」は文章・仮名垣魯文、図解・河鍋暁斎なんだって。
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大正時代の日本の中華や戦後サザエさんの漫画に見る庶民の食卓やらが紹介され
4章 和食の真善美
5章 私の和食
6章 和食のこれから

に続く。

面白かったのは、これらは和食かどうかのアンケート。HPで投票でき、結果も見られる。
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都道府県別人気検索ワードTOP5や郷土料理紹介レシピもあって内容盛りだくさん。疲れ果てて、誰か夕飯作ってーと言いたくなりました。

2月25日まで

最後に掲示されている「謝辞一覧」に、私が非常勤講師で勤めていた調理師専門学校で同僚だった先生のお名前がありました。もう20年も30年も前のことですが、講師をしながら食文化史を熱心に研究されていました。H先生、すごいです!

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