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2023年12月24日21:04

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12/23 石川真生 私に何ができるか@東京オペラシティアートギャラリー

すごく気になっていたが、すごく気が重くてなかなか行かれなかった。ぐずぐずしているうちに、あっという間に年末、あっという間に会期末。沖縄写真家・石川真生氏がはじめて東京で行う大展覧会だ、見ておかないと後悔するかも…心身ともに不調であったが、我が家から近いこともあって出かけた。

https://www.operacity.jp/ag/exh267/
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沖縄を拠点としながら精力的な制作活動を続ける写真家・石川真生(いしかわ まお 1953-)の初期からの主要な作品を始め、とりわけ2014年から取り組んでいる「大琉球写真絵巻」の新作を中心に展示し、石川真生の実像に迫る個展を開催します。
石川の作品は、2004年の横浜美術館でのグループ展「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」において、沖縄以外の美術館で初めて紹介されました。以来、国内外での数多くの展覧会を経て、2021年には沖縄県立博物館・美術館にて回顧展「石川真生:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」が開催されました。本展は回顧展で示された成果も踏まえつつ、東京で初めての個展として開催します。
石川の写真は、国内外にパブリックコレクションがあり、その活動も広く知られているにもかかわらず、これまで発表された作品の流れを紹介する機会が多くありませんでした。本展では、初期の作品から最新作に至るまで、石川の作歴を概観することができると同時に、昨年沖縄の本土返還50周年を迎えるもなお、困難な状況に置かれている現代の沖縄という地政学的な最前線で撮影を続けている石川の活動をご覧いただく好機にもなります。


ロッカーに荷物を預け、トイレに行った夫を会場入り口で待っていると、大看板の前に車椅子に座った老婆がいた。スタッフと思われる若い女性が甲斐甲斐しく?何やらしていたので、目をやると…んんん?石川真生氏???写真で見たことのある石川氏は、奔放ですごくパワフルなおばさんというイメージだったが、実際はものすごく小さくて、痩せていて、車椅子に座っているのもやっと、という痛々しいくらいの老婆だった。チケットを買った観客は、気づかないのかその前を素通りして会場に入っていく。
私の勘違い???耳をそばだてたが、聞こえてくる喋りは、沖縄訛りのおばあの喋りだ。そして間違いなく、あの威勢のいい喋りだ。スタッフと思われる女性は何故か(スタッフじゃないの?)そこで堂々と図録にサインを求めていた。えええ?私も話しかけていい?握手求めていい?サインもらっていい?一緒に写真撮っていい?…でも、勇気が出なくて「とても楽しみにしてきました。拝見させていただきます」とだけやっと言って会釈して入場した。

最初のコーナーを除いて全て写真撮影可。壁面にキャプションはないが、作品リストに石川氏の言葉や解説が載っているので読みながら見る。

まずは初期からの主要作品を。各シリーズから数点ずつ。

1975ー1977《赤花 アカバナー沖縄の女》だけ撮影不可。
沖縄在米兵の黒人のためのバーに勤めながら、同僚たちの女性とその奔放な生活を撮影した。

1977ー1992《沖縄芝居ー仲田幸子一行物語》
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1989ー1992《沖縄芝居ー名優たち》
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1983ー1986《港町エレジー》
離婚後、那覇にある港町で居酒屋を経営。労働者たちを撮った。
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1986《Life in Philly》
「貧乏な家の男たちが兵隊になって沖縄に来ているというルーツを見たいんだ」と黒人兵の故郷を訪ねた。
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被写体となる人たちとの距離感がすごく近くて(というか入り込んでいる?)濃密。

1991ー1995、2003ー《沖縄と自衛隊》
1992年自衛隊が初めてPKOで海外〜カンボジアに派遣された跡を辿りにカンジアに行く。自衛隊内部に入り撮影をする。
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1989ー《基地を取り巻く人々》
石川氏の話にたびたび出てくること:米軍の犯罪は憎んでいるけれど米兵一人一人に恨みはない。米軍は嫌いだけれど、米兵一人一人を愛している。
彼女のスタンスが写真に表れている。
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1996ー《ヘリ基地建設に揺れるシマ》
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2001−2005《私の家族》
石川氏は、2000年に腎臓がんを手術、2001年に直腸がんの手術をし、人工肛門になった。この時リンパ節の転移を告げられたが写真撮影続行のため抗がん剤治療を拒否した。
変化した自分の体を撮る、末期がんの母の写真も。「写真家のものすごく嫌なところ」「だから写真家は冷たいんだよ」の言葉、重くのしかかる…。
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1993ー2011《日の丸を視る目》
2012ー2013《森花ー夢の世界》
スナップではなく作り込んだ写真群。
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日の丸に対する思い…沖縄人でなくとも、私が若かった頃は多くの人がそれぞれの考えを語っていた。現代は「普通の人」で日の丸の是非を語る人が少なくなったように思う。それは、危険な兆候なんじゃないか。

ここからは、2014ー《大琉球写真絵巻》
2014年に作られたパート1は、琉球国に薩摩が乗り込んでくる直前から始まる。沖縄の人が扮装した創作絵巻。
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次の会場では、沖縄以外では初展示となる2020ー2022のパート8と9、今年2023の最新作パート10が展示される。この辺りでは、もう過去の歴史を扮する必要がなく、それぞれご本人たちが登場する、沖縄の今なのだ。
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馬の写真には特に胸を打たれた。
与那国島の馬たちは、すでに純血種の与那国馬ではない。以前、人間の都合で食用にしようと他の種類と掛け合わされた。が、計画は中断、島に純血種の馬はいなくなり、食用馬ともならずに売れ残った。それでも放置された馬は静かに暮らしていた。しかし、その牧場に自衛隊基地が作られた。馬は住むところを狭められ、餌の芝地も減った。毎日のように10tトラックが通る。馬は避けることもあれば、退かない時もある。馬は人に刃向かわない、相手にしないから争いにならないという。
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2019年4月13日に起きた「北谷町女性殺害事件」
「米軍憲兵隊 (MP) と県警の対応、さらに女性側からのストーカーとレイプの訴えによる接近禁止の軍事保護命令やリバティー制度が徹底されることなく、海兵隊が男に外泊許可を出していたことが問題となった。(wikiより)」が、情けないことに忘れていた。左の写真は遺族、右の写真は、コロナ禍で思うように集会開催ができない中続けられている「サイレントスタンディング」
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沖縄のこと、沖縄の人のこと、本当に知っていないなぁ…と情けなく恥ずかしく思った。
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石川真生氏はジャーナリストではない、沖縄のことを公平に取材しているわけではない、でも、沖縄で生まれ育った人だから、それでいて、自衛隊員とも結婚したし、黒人米兵とも同棲していたから、撮れる写真があるんだな。

そして、最後に年表を見て驚いた。
1953年生まれ。え?昭和28年生まれってこと?夫と3つしか違わない義兄と同い年だ。70歳。さっき80歳ぐらいの老婆に見えたのは、再三癌が再発転移し、今ステージ4の病体だったからなのだ。

まさに命を削っての撮影。すごいこと。

先月、屋久島沖でオスプレイの墜落事故があった。
また、今月は、辺野古沖の地盤改良工事をめぐり、国が移設に反対する沖縄県に代わって工事を承認する「代執行」に向けて起こした裁判の判決があった。

石川真生の《大琉球写真絵巻》はまだまだ続くのだろう。尊敬する。


12月24日まで

常設展は「Faces ひとの顔」
いつもながらにここの常設展は面白い。

projectNは「土井沙織」
これがすごくよかった。おのれと自然との原始的で力強い対峙。

アルバムあります。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121022227&owner_id=2083345

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