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2023年11月09日23:44

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創価学会は復活する!? 島田 裕巳, 小川 寛大 ビジネス社 2023年03月17日

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p.59
 やはり創価学会というのは、学歴もなく、貧しい人たちが多かったから、日本社会全体のなかでは恵まれない立場にあった。だから世間に対する反発心が会員の間には強かったんですが、そういう気持ちを聖教新聞が代弁してくれていたようなところがあったわけですね。
p.60
 そういう感じで、創価学会という宗教団体は、常に何かと激しく戦っていたんですよ。
p.61
しかし、それゆえに常に目の前に明確な目標があったんですよね。「あいつらをぶっ潰す」みたいな。
 でも、今はもうそんな相手もいない。そういうところも、今の創価学会に勢いがなくなっている理由のひとつだとは思うんですが。
p.67
小川 本当にそのころ、創価学会は外部の仏教学者などにも接触して、葬式仏教批判の本などをつくったりしていたんですよ。それでいま、「葬式仏教は間違っている」「葬式に坊主は呼ばなくていい」みたいな風潮は、社会全体でも強まっていますよね。
 この背景には、間違いなく創価学会の思惑というものも存在しているんです。もちろん、創価学会の目的とは「どう日蓮正宗とうまく訣別するか」にあったのであり、別に彼らとして葬式仏教の、つまり日本の伝統仏教全般のあり方について真剣に考えていたわけではありません。
 しかし、こういう意外なところに、日本の社会に対する創価学会の影響力の一端を見ることもできるわけです。
p.83
島田 旧統一教会とか、問題のある宗教団体をめぐる議論のなかでよく、「教団による締め付けが……」みたいな話が出てきますが、実はそんな厳しい統制はあまりきかないんですね。
 宗教団体というのは基本的に、それぞれの信者が勝手に活動してるわけです。教団側が何を言ったって、信者たちが納得して自発的に動いてくれない限り、何にもできない。この点についても、会社組織みたいなものと混同されているところがある。
 別に教団がお金を払って信者を雇っているわけではないんです。むしろ信者のほうがスポンサーなわけですよ。教団にお金を出す側だから。それが教団によって簡単に動かされることはない。
 だからこそ、どう信者たちに活動について納得してもらうか、教祖や幹部たちの手腕が問われてくるわけで、池田大作氏はそういうことが抜群にうまかった。
p.88
 ところが牧口の日蓮正宗信仰は非常に熱くて、戦前の国家神道体制の中で、伊勢神宮のお札に対して、「こんなものは信仰するに値しない」と言って焼却してしまうようなことをしたんです。それで牧口は警察に逮捕されて、獄死してしまう。
p.94
 一方で伝統宗教はどうだったのかというと、神道のみならず仏教もキリスト教も、基本的に全面的な戦争礼賛なんです。
 このときの彼らの態度を「戦時教学」と言って、いまでは触れることがタブーになっているような面もあるんでが、もう本当に大日本帝国のやり方を全肯定していた。
p.95
 例えば「座禅をすると特殊な力がついて、アメリカ兵が死ぬ」とか、「南無阿弥陀仏と唱えるよりも、突撃して敵弾に当たるのが極楽に行く一番の道」だとか、いま聞くと本当にめちゃくちゃなんですけど、戦前の伝統宗教は、こういうことを真面目に言っていたわけなんです。
 当然戦争が終わると、「これは何だったんだ」みたいな話になって、教団機構として大きく動揺することになります。
p.98
 「選挙に信者を駆り出すと、みんな団結するし、面白がる。これは政治権力どうこうに関係なくとも、非常にいいことである」と、戸田は生前、かなりはっきりと言っています。
p.100
それでお互いが動員をかけて、大変な騒ぎになった。まあ、創価学会が動員した人数のほうが多かったんですけれど。
…そして両方とも、相手の弱点を突くだけというか、そんな態度に終始してしまったので、どっちが勝ったのかは客観的に見るとよくわからない。勝負を判定する人も用意していなかったですし。
 ところが論争の最後に創価学会側の司会をしていた池田大作氏が会場に向かって、「いままでの結果から、もう創価学会が勝ったのは明らかですね」と勝利宣言するんですすると会場にいた大量の創価学会員がワーッと歓声をあげて、日蓮宗の側はそれに対応できなかった。それで創価学会が日蓮宗に勝ったと、そういう話になってしまったんです。
 戸田城聖と池田大作氏というのは実業界の人でもあって、非常に組織を運営する手腕に秀でていた。
p.101
それでこういった作戦みたいなものも実にうまいんですね。
…そういう戦闘的な集団がかつての創価学会で、言ってみれば後の学生運動の、ある種の原型みたいなものなんです。人間は戦うことが好きなんだなと、感じさせます。そのノリで、選挙活動もやったんですね
p.104
 その地方議員の活動で一番の中心になるのは、住民相談というものです。これを公明党は草創期から非常に積極的にやっているわけです。地域の住民が困ったときに、公明党の議員に頼むと動いてくれる。これは別に創価学会員でなくとも、一般の人が頼んでもやってくれます。
p.105
それはやはり、創価学会に集まってくるのは、福祉の対象になるような人たちが多かったからです。
…だから公明党が政権に入った最初の時点では、厚生労働大臣をやっていた。

 ただ、国道交通大臣を公明党から出すようになった背景には、1990年代に頻発したゼネコン汚職の問題もあると聞いています。
p.106
 もちろん中には汚職をする人もいますが、発生確率のようなことを考えたら、はるかに自民党の政治家より低い。だからそういう公明党の政治家のクリーンさに期待して、自民党側もちょっと、公明党に頼んだようなところがあったらしいんですよ。

小川 それでは、なぜ公明党の議員が基本的に汚職をしないのかというと、これはある元公明党国会議員に聞いたことがあるんですが、本当に選挙活動であまり苦労しなくていいからなんだと。
 その人が最初に選挙に出た際、割り当てられた選挙区に行くと、もう地域の創価学会員たちが勢ぞろいして、すごいちゃんとした選挙対策本部をつくっていて、自分はようするにお神輿に乗っているだけ。
p.107
よくも悪くも議員個人のカラーなど出しようがなく、党本部の方針に従い続けるしかない。これでは汚職なんかやりようがないと。
 そもそも政治家の汚職とは、票を権力やカネで買うような性格が少なからずあるわけですが、そういうことをする必要さえないわけですから。ただ、その人は言っていましたけど、「これでは議員にはなれても、政治家にはなれない」と。まあ、それが公明党議員の偽らざる実態なんでしょうね。
p.108
それによって何が起こったかというと、公明党の議員は他党の議員に比べ、非常に熱心に勉強している。選挙対策を自分でしなくていいから、勉強する時間があるわけです。
 だから官僚が何か新しいことをやろうとしたときに、自民党の議員よりもまず公明党の議員に話をしに行くと聞きました。公明党の議員のほうが、ちゃんと勉強してうごいてくれるらしいんです。世襲議員もいないし、非常に真面目なんだと。
p.109
 実はそういう創価学会側の要望をよく聞いて、熱心に自分の足で歩き回っていた代表的な公明党の議員が、2022年に貸金業法違反で有罪判決を受けた遠山清彦元衆議院議員だったらしいんですよ。
 あの遠山事件の構図って、自民党の政治家たちが、「いまどき、自民党でもあんな無茶なことをするやつはいない」と言って驚いていたほどのもので、ある意味では遅れてきた理研政治家ですよ。
 しかし、創価学会の衰退というものが、ああしたおかしな政治家を公明党に出現させる契機になっているのだとしたら、なかなか興味深いことだとは思うんですが。
p.120
 それで公明党のほうは一応政党ですし、それは政権を目指すというのが本来の姿ですから、なんとかその方向へ行こうという形でやるわけですけれど、その結果、1970年代中ごろなどは、社会党に寄っていくんです。
p.121
 しかし、その中身はもう完全に社会党寄りでした。日米安保の即時破棄、反大資本みたいな。そして公明党の党大会には社会主義国の大使とかが来て、労働組合の人たちも来てというような、社会党とあまり変わらないような状況になるわけですね。
 ただ、それは創価学会の側が立てた方針であるかと言えば、まったくそういうものではなかった。この時期、創価学会が左翼的な方向に転換したというようなことはまったくありませんでしたから。公明党としては、社会党などとの連携に活路を見出すしかなかった。そうした方向性を考え、創価学会の了解を得ないままやったんではないでしょうか。
p.123
 これを例に取り、「公明党はこれからの時代、この蜀の立場を目指すんだ」というような話をしたらしいんです。…
…しかし、その後の公明党の歩みとも合わせて考えてみると、よくも悪くも策謀的な立ち回りが優先で、大義というか理想というか、党として本当は何がやりたいのかということが、ますますよくわからなくなっていくわけです。
島田 池田大作氏が『三国志』や『水滸伝』が好きだということですが、実は横山光輝の漫画『三国志』は、創価学会の関連企業である潮出版社から出ているわけなんです。また、創価学会が運営元である東京富士美術館でも、2008年に、「大三国志展」というのが開かれたことがあった。私も見に行ったんですけれど、これには創価学会の人だけではなく、一般の三国志ファンもたくさん詰めかけていて、結構盛況でした。
p.126
 しかし、安保法制が成立した後に初めて行われた国政選挙だった2016年の参議院議員選挙で、公明党はむしろ全国から集めた比例票の票数を、前回選挙の時よりも増やしているんです。これは最近では非常に珍しい現象だった。
p.130
 今の若い人にとって、議員というのは特に魅力ある仕事でもなんでもない。公明党でも、地域の若い創価学会員にものすごく頼み込んで、やっと出てもらうようなかんじだそうです。
p.133
今、創価学会員が唯一増えているのは沖縄方面です。その沖縄の中でも本島ではなくて離島、そういうところで増えているんですよ。それは選挙の結果などから見ても明白です。南大東島では、衆議院議員選挙での公明党の得票数が、全体の過半数に達しているんですね。
p.140
 本当にポピュリズム優先で、学問的な立場から見て意味があるのかどうかもわからず、突っ走っている。やはりこれは、あまりいいことではないんじゃないでしょうか。
p.147
最近の創価学会は、地域の町内会などにすごく入り込んでいる。
p.148
ほかにもやはり、地方のほうでは創価学会の助けがないと、お祭りの神輿を担ぐ人手を確保できないなど、そういう神社もすでに珍しくなくなっていると聞いています。
p.149
自民党の党員数はかつて500万人くらいいたんですが、それが今では100万人ほどしかいない。
p150
 例えば2022年の参議院議員選挙で、立正佼成会は比例で推薦していた候補を1人も当選させることができませんでした。これは参議院が現行制度になってから初めてのことです。また宗教団体のみならず、労働組合や郵便局といった業界団体なども、本当に弱体化が著しい。
p.154
 まず日蓮本仏論といって、日蓮という人はお釈迦様より偉いと、そういう考え方を取ります。それはちょっと、ほかの仏教の衆はではありえない。何宗であっても、基本的にお釈迦様というのは非常に偉いんですよ。少なくとも、お釈迦様はその宗派の開祖より格下だなどと言っている教団は、原則としてありません。そしてこの日蓮本仏論は、日蓮自体がそんなことを言った形跡のない考え方なんです。
p.166
 日蓮正宗の場合には、そういう日蓮の、彼が言う御書も大切にしているんですが、それ以上に、弟子の日興が日蓮から聞いた話を書いたとする文書も、重視するんです。その代表的なものに『御義口伝』というものがあって、日蓮正宗や創価学会はこれをかなり大事にしている。
p.167
そして、日蓮正宗以外の研究者はほとんど全員、これは偽書だと言っていて、それが通説です。
p.168
小川 先ほど話が出た板曼荼羅などの話とも共通しますが、現時点ではおおむね「これは偽物ですよ」という学問的な結論が出ているものを、創価学会は今なお平気でズラズラと機関紙類に載せていて、全然改訂されていない。その基準は、日蓮正宗ではそれを本物とみなしているからです
 こうなると、「いったい何のために創価学会は日蓮正宗と分かれているんですか」と問いたくなるのは、私だけではないでしょう。離れているんだったら、もっとフリーな立場で、ちゃんと外部の仏教学者なども呼んで、創価学会なりの教学を再編成するとか、そういうことをやるべきなんじゃないでしょうか。
島田 それで日蓮正宗の場合は確かに偽書を使っているんですが、結構難しいことをいろいろと言うわけです。
p.169
難解な仏教用語を用いながら、それによって何とか自分たちなりの理論武装をしようとする傾向がある。
p.171
小川 繰り返しになりますが、やはりちゃんと偽書みたいなものを整理して、使う経典類を洗練させて、創価学会をきちんとした日蓮主義的な団体に再脱皮させる。
 いい意味でも悪い意味でも、もう日蓮正宗とは関係がないんだから。これが組織を立て直す正攻法だと思うんです。
p.175
 文字通り、「いま諸外国に会員が広がっているんだ」という主張で、公称によれば現在、創価学会の海外信者はすでに280万人に上っているそうです。
p.176
 何より彼女はユダヤ人で、SGIの会員でありながら、ごく普通にユダヤ教の教会にも通っているんです。
 どういうことなのかと聞いたら、「日本人は神社にも行くし、お寺にも行くでしょう。私にとってユダヤ教は生まれながらの宗教で、神道みたいなもの。SGIは自分で選んだ仏教だ」みたいなことをサラリと言ってくる。
p.185
 もちろん、日本にもいろいろな宗教団体があるわけですが、やはり創価学会というのはポテンシャル的な意味では大きなものを持っている教団だと思うんですよ。
島田 私はそのポテンシャルの源が、やはり日蓮にあると考えます。日蓮という人は戦前、特に元寇を予言した経歴などから「国難を救う宗教家」と位置づけられていて、とても人気が高かったんです。
p.186
実は今の日蓮宗でも、僧侶たちはほかの宗派の基準からみると、僧侶とは言えない存在なのです。
 というのも、戒律を授かるという機会が日蓮宗の場合、ないんです。
p.189
そして、宗教者の役割というのはそういうものなんです。混乱した社会状況のなかにあって、人々にそれを読み解くカギを与えてくれる。
p.192
小川 そうした視座に立って、これからの日本社会に対するきちんとした提言をする宗教団体はあっていいし、私はむしろ今後、そういう存在は必要になると思いますよ。
 それは別に伝統仏教だろうが神社だろうがキリスト教だろうが、どこでもいいんです。ただ、繰り返しになりますが、創価学会にはポテンシャルはある。規模的な意味でも、青海との実際のかかわりという意味でも。そういう責任みたいなものを果たせる存在になってくれればな、とは思うんですが。
p.200
 同じように、日本文化の発信者としての担い手になっていくという役割も、宗教団体にはあるんじゃないでしょうか。
p.201
本島にああやって人をある種、無防備に入れていることで、むしろネットなどを見てると、イメージが上がってるような感じさえする。そういうのを創価学会も、長期的には見習っていったほうがいいんじゃないかと思います。
p.203
 池田氏は自分自身に対して自信もあるし、なんでも包み隠さずにやるという、そういう方針だった。それが組織として池田氏を過度に祀り上げて、それで池田氏自身が表に出なくなると、組織全体で一気に秘密主義化してしまった。そこは池田氏を「先生」と呼ぶんだったら、ちゃんと見習うべきですよね。
p.205
日蓮正宗の教えも正しい仏法に導くための方便であったととらえ、日蓮の教えそのものに戻ることを考えてはどうでしょうか。そのためには、日蓮の遺文をもう一度検討し、偽書と思われる教えについては、それを捨てていく必要があります。
 日蓮は、とても知的な宗教家で、日本では珍しく理論を組み立てることができる宗教家でした。しかも、二度の流罪の経験があり、特に佐渡流罪の思索では、仏法を相当に深いところまで極めていきました。
p.209
 いまにつながるような形の創価学会が実質的にできあがったのは終戦後のことで、それは初代会長・牧口常三郎を国家の弾圧によって失い、まったくゼロからの再建を余儀なくされた、苦難の出発であった。「戦争ほど、残酷なものはない」という語は、創価学会がそうした苦しみの中から立ち上がった際の、真実の心の叫びであったろう。
p.213
 宗教団体には、絶対の教義にしがみつき、それを強く護持していく、変化を嫌う集団とのイメージもあるが、それは正しくない。例えば釈迦の生きた時代に大乗仏教は存在しなかったし、イエス・キリストの生きた時代には、ローマ教皇もプロテスタントもなかった。宗教とは、実は以外に時代に合わせてその姿を柔軟に変えることのできる存在なのだ。
p.214
そういう意味で、好むと好まざるとにかかわらず、創価学会は日本社会のあり方に大きな影響力を持っている。外部から、さまざまな形での視線が向けられるのは当然だ。
 また宗教法人とは日本の法律上、「公益法人等」と規定される団体で、つまり公の利益のために活動する団体であるから、各種の税負担を免除されているというロジックなのだ。だからこそ、創価学会が「外部の人間はわれわれの内情に口を出すな」などと反発するのも、実は理屈が通らない。そして池田大作氏という人物は、意外に外部の人間と向き合うこともしていた。


■来年の活動方針決定=創価学会
(時事通信社 - 10月31日 16:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7618136

 創価学会は31日、総務会を開き、2024年の活動方針と平和・文化・教育運動の大綱を決めた。テーマは「世界青年学会 開幕の年」。戦争や被爆体験継承のための証言会開催や、キラーロボットなどの自律型兵器の禁止と法規制への議論への貢献、気候変動問題での国内NGOなどとの協働に取り組むとした。


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