先日「最高の人生の見つけ方」という映画の舞台挨拶に吉永小百合と天海祐希が登場しているのをテレビで見た。
映画はハリウッド版のリメイク。
それをご覧になった方も多いかと思うが、大金持ちの男と貧しい黒人の男が癌と宣告されて入院し、ひょんなことから同室になり意気投合。
そこで死ぬまでにやりたいことをやり尽くそうとばかり、二人で旅をしたりスカイダイビングをしたりと、いろんなことにチャレンジするという物語だ。
10年前にハリウッド版のこの映画を見たとき私は冷ややかに思った。
「やりたいことが全て叶えられるのはお金があってこそ」だよね。
結局、幸せはお金で買えるってことじゃない。
けれど友人のひとりは金持ちの男が「お金が全てではない」と悟っていく視点でこの映画を見ていた。
もちろん彼女の見方の方が正しい。
子供の頃、私の世界は単純だった。
世界には月光仮面や、鉄腕アトムのような正義のヒーローと悪者しかいなかったし、金持ちの意地悪な女の子と、貧しくて心優しい女の子しかいなかった。
金持ちは悪人で、貧しい人は善人だった。
「この世には二種類の人間がいる」という言い方があるが、私は常に黒か白のどっちかに周りの人を分類していた。
そして貧しかった私は貧しいゆえに自分は心優しい少女だろうと単純に思い込んでいた。
ただ大抵の場合そういう女の子はみんなとても可愛かったから、自分が可愛くなかったのが不思議だったし、不満だったが。
大きくなると嫌でも悟る。
必ずしも貧しい人が善で金持ちが悪ではないということを。
貧しい者の落とし穴は意外と多く、この映画の私の見方もその一つだった。
どうやら私はとても僻みっぽく、ひねくれて育ったようだ。
舞台挨拶の会場には天海祐希のファンも駆けつけていた。
その中には「ずっと、ファンでした」と言って感動のあまり泣き出した女性がいた。
その時、天海祐希は「有り難う御座います」と言いながら感涙しているそのファンに言った。
「私のことなんかより自分をもっと好きになってください」と。
そのファンにとってはきっと心に響いた言葉だったと思うが、私も、あっと思った。
人生を総括する年齢になってみると後悔することは多く、私は今、自己嫌悪の真っ只中にいたからである。
でも人はそんな負の自分を知ってこそ、他者を幾分理解できるようになるのではないだろうか。
自己嫌悪を乗り越え、自分を好きになった先にこそ他者を思いやれる次のステージに行けるということに、私はこの時やっと気づいた。
残された人生が短いと焦るのはこういう時だ。
学ばなければいけないことがこんなにもあるのに、私はなんて未熟なままなんだろうと。
救いは課題があれば生きる意味や価値もあると思えることなんだろうか…
日の短さが今年はより堪える師走である。
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