mixiユーザー(id:8516077)

2019年04月10日08:24

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アフターケア

この地での最後のアフターケアを受けてきた。
事故から22年、症状は固定化していおり医療機関としての処置方法は無く
後は自己治癒力が駆使されて正常な方向に向かって行くかどうかだが
自己治癒力では、既にどうにかなる問題ではなく、日常生活の在り方や
日常生活における改善点を自分で見つけ、試行錯誤するしかなくなっている。

自らの健康について、自ら取り組み続けていた事が功を奏している部分がある。
とかく世の中は自らに降りかかった災いに対して他者に責任転嫁しがちだが
先天性以外は自ら招いた結果が本人の身体に現れたにすぎない。
例えば、水田で米作りに従事している方の場合、現在のような農機具が発達していない時代は
人力頼りで人体への負担が多く腰の曲がった方が多く見られたが、現在は機械化の恩恵で
腰の曲がった方を見かける事は、ほぼ見かけなくなっている。
その要因は何か?
現代医学では推測の域を出ていない為に腰曲がり改善の結果を傍観しているにすぎない。

科学的根拠(イビデンス)の身体臨床を長期間行った医療関係者はおられず
「もしかすると?」の希望的観測からの発表がなされようとしている。
痛みの物質は実験解析室で判明の方向に持って行かれたが、
対象方法は、数百億円(以上?)の費用を費やして薬剤の開発を行っている。
多くの費用を費やした結果は価格に転嫁されて受益者(患者)負担になっている。
私自身、成人後の「お多福風邪」「胆嚢炎」「尿管結石」で薬剤の恩恵を預かっており
薬剤の必要性には異を唱える気持ちは無い。

日頃の自らの行為から起こる疾患は多く、その疾患の責任転嫁を他者に持っていくのは
「考える葦」の人間として情けない限りでしかない。
先天性や難病は自らの意志では防ぎようも無いが、防げたであろう疾患は幾つもあり
後の祭りにするかしないかは本人の意思次第になる。
出来る限り身体に負荷のかからない方法を選択できれば、と施療の臨床を進めてきたが
これ以上はブレーンとなってくれる人達の協力が必要で、その中から模索して
新たな改善方法を見つけ出すのが使命の一つに思える。

ここまで知識・技術を磨き上げられたのは発端を作ってくれた友人のお蔭であり
主治医の指導・助言のお蔭でもある。
知人の中には「転居を撤回する気はないか?」「呼べば来てくれるか?」の声もあるが
転居を撤回する気はないし、1000キロ先から駆け付ける事もない。
ただ、主治医の協力要請だけには応えたい気持ちはある。
病気がちであった幼い頃からの体験が医療機関外の施療に関心を持ち
将来は医療の一つとして医療機関内に取り組まれることを願っている。
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