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2018年06月09日11:10

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実録小説・第2章の説明

  前半は1959年当時の慶応病院の様子を少しでも伝えたいから書きました。当時の障碍児の母親たちは戦前の教育を受けたものばかりです。今で言う所の中学以降は、学校に行くとしても「女学校」にしか行けず、そこではろくな理科教育はされていませんでした。科学的な見方ができていないわけです。そのような人たちが障碍児を産んでも、障碍に対する理解は難しく、非常に困るしかなかった。つまり、戦前の女性に対する理科教育の問題も出てきますね。


  後半。ほぼ事実に近い事ばかりです。「水薬」は何でしょうね。今更、検証はできませんが。父から何度も聞いた話です。それを飲み、激しい下痢を僕がしたから、慶応病院は止めたわけです。「水薬」の正体はこの小説でも書けませんが、後々のシマハタの医薬問題の布石になるかと思います。

  林田博士と並んで、小説名.五津先生。その人も障碍児、特に脳性まひ医学の権威でした。両者は特に脳性まひ児への療育方針について対立し、仲も悪かったようです。医学界や科学関係でよくある対立かと思います。真理を追求している者同士が、それについての見解が違うと、対立してしまう面が人間にはどうしてもあるわけですね。

  因みに、小説では、しばらく「私」は退場します。林田博士中心の書き方になるわけです。「私」はその後は光明養護学校に通うわけですが、その間も林田博士の周囲ではドラマが繰り広げられるわけです。光明養護学校の様子は本題からはずれるから、述べません。

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