さて、今日は何書こう。
実家から米やらなんやらが送られてきたのだけど、祖母と久々の通話。
声を聞かせてくれてありがとうとか、なかなか優しい世界。
歳を経て柔らかになれるっていうのは、良い人生を送ってきたからだろうなと。
筍料理のアドバイスとか、さっさとしっかりした人を見つけろよって言われ。
柔らかな表現だなって思ったのが、母親に対する姉と妹の処遇。
個人的にはなるべくかかわりたくないって意味で音信を断っているって思えるのだけど、自活したからって。自活しても全く不通になることはないような。
母親も自分に対してはそこまでややこしくないし、ややこしい人間関係っていうのは、相手だけの問題ではないのだろうなって。
姉も妹も別に穏やかな人物ではないややこしい人達で、そういうややこしい人物に育てた環境を作ったのは親より上世代だし、その先の孫世代も囚われるのだろうなって思う。
排除したら自分が嫌いだった環境から離れられるという訳でもないし。
未消化で残された部分は、絶対どこか他に影響することになる。
とか言いつつ、ややこしさという部分では俺も引けを取っていないのは自覚している。
家族関係も人間関係もややこしくなる要因は、相手を自分の思い通りにしたいっていう潜在意識にあると思う。
自分ルールは自分の中だけに適用範囲を絞るべきで、それを他者に及ぼす範囲で決めてしまうから、衝突が絶えない。
という意味で、宗教にも好き嫌いがある。
その宗教外にも何か行動を求めないといけない宗教はおかしいと思う。
受忍ならともかく。
自分が信じるものを相手が信じていないなら、それを強要する正当性は一かけらもない。
原始仏教が一番好き。
もう一つ。
しっかりした人を見つけろよという話。
結婚が異性関係の終着点だって考えている人って今の若者にどれくらい居るのだろう。
結婚制度は民法が規律している訳だけど、先端の学者も、家制度が崩壊した後に、かつて婚姻は人格的性的結合だったけど、今は結婚制度を享受する契約だって表現している。
昨日の日記に書いた意思表示の話だけど、婚姻意思とはってこと。
婚姻していないパートナー関係が社会的に受け入れられないかっていうのもよく分からない話。芸能人の不倫に目くじらを立てる時点でなんかズレてるなって気もするのだけど、テレビを見ている限りは、旧制度の価値観は保たれるのかもしれない。
なんか話もズレた。
要は、法的な制度と道徳的な価値観を一致させているなっていうだけ。
確かに結婚してしまったら、別れるのに法的な手続きを踏む必要があって、わずらわしさっていう抑止力があって別れにくくなるっていう面はあるけど、家同士の面子みたいな考え方も残っていて、面倒なことこの上ない。
今日、民法で氏の変更が云々っていう細々した制度を見ていたのだけど、なんでそうなっているのかが、民法だけでは分からない。
婚姻したらどちらかの氏に統一する。
これはたぶん戸籍上の問題なのだろう。
これが憲法違反だっていう裁判が最近あったのを知っている人がどれくらい居るかは知らないけど、なんだか理由付けがご都合的な感じがする。
実際は夫の氏を選ぶことが多いだろうけど、別に夫の氏を選ぶことを強制しているわけでもないし、みたいな。
でも、よくよく考えると、裁判所は価値観を決める所ではないっていう離れたところからしか判断できないっていう縛りがあるのだろうなって。
法的な制度として無色な所に、価値観から来た慣習で不平等な部分があったとしても、その価値観がおかしいと言うのは場違いだって。
こういう文脈で言うと、裁判に自分の不満を投影して見ることもおかしいということになる。そこまで万能ではないから。
価値観を投影させる機関は、国会っていうものがあるし。
国会が多数派の価値観を法律っていうルールで投影する場で、内閣がそのルールを運用する場で、裁判所はルール内での争いとルールから外れた少数者をルールの枠内でどれだけ掬い上げられるかあくせくする場で。
家族関係の法律って何故それがあるのかっていうのが分からない制度がいっぱいあって、繋がらないから分かりにくい。
もう少し合理的に整理してくれるとありがたいのだけど、今回の民法改正は市場ルールの方だし。
家族関係の合理って何かって言ったら、大人の保護じゃなくて次世代の保護に重点を置くべきなような。大人同士はどうとでも調整できるだろうけど、そこから生まれた子は親を選べない訳で。
とか文句ばっかり言っているけど、自分が実際入籍するようになったら結婚式はちゃんと挙げないといけないだろうなって思う。多分いっぱい来てくれるだろうし。
自分は自分の存在を祝福してはいないけど、そんな自分でも世界に居てくれてありがたいって思ってくれる人が多そうだって、身分不相応な現象。
ブーメランなのだろうけど、投げっぱなしのやつ。
最後。
あらゆるものは循環していくもので、人間関係だってそう。
どこかでせき止めることがあっては、誰かに偏りが生じる。
ってなんだかスピリチュアル的だけど、こんな感じでおしまおう。
ではまた明日。
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