高島平子供会の子供たちは本当にバラバラだったが、子供会として成立していた。幼稚園は更にバラバラだそうだ。確かに、人間は非常に小さい時から一人一人違う心を持っている以上、アリとは違い、きっちりした仲間関係は小さい時から嫌うのかもしれない
右ひざだけが悪いです。疲労性脱力。1月から左の腰とひざが悪かったので、体重を右足にばかり掛けていたからですね。冷えはないですが、そこをカイロで暖めています。 時間はかかりますが、治るわけです。もう春ですね。
南宋・楊万里の百家渡を過ぐ・四絶句の其一 過百家渡・四絶句 出得城来事事幽/渉湘半済値漁舟/也知漁父趁魚急/翻著春衫不裏頭 城を出得で(いでで)来たれば、事事、幽(しず)かなり/湘を渉(わた)り、なかば斉(わた)りて、漁舟に値(あ
どんなものかね。僕が入ってきたところで、仲間関係を作ろうととすると、まず、考え方が違う人を皆で集団的に無意識的に叩き、傷付け、追い出しちゃうんだよね。ある会では、日共を公然と支持する人がそうされ、何も言わないまま、会合から来なくなった。
3人の身障園生と個別的に恋愛や結婚の話をしたからである。内、一人はいつも述べているように、寝たきりの方であった。寝たきりの人がいる事は知っていたが、そのような状態の人からこの種の希望話を聞くとは、知り合う前は思わなかった。園生の中でも、
先日公表した第7章を読み返して気が付いた。僕の想いとか愛みたいなものは付き合った3人の園生だけでなく、職員たちにも広く及んでいる点である。しかも、尊敬の気持を職員たちにも持っている点である。今までは僕の想いは身障園生に限定していたと思
♪ 上を向いて歩こう。涙がこぼれないように...。年は明けて、1962年。シマハタにある白黒テレビからも、坂本九の明るい歌が流れている。医者も、職員も、園児たちもこの歌と坂本九が大好きだ。ここのだれもが口ずさんでいる。 職員たち
学校の先生たちは教育を自分の生活・人生とし、療養所や施設職員、今のヘルパーさんたちは福祉を同様にしている。でも、ボランティアはそうではないからね。「全生園職員たちは我々に冷たい」と一VYS会員の発言も思い出されたが、仕事でやっている訳で
着陸しましたね。詳しい画像がやがて送られてくるし、3月にはNHKも特集番組をすると思いますで、宇宙ファンの僕として、楽しみにしています。 そのリュウグウ星の土を徹底的に調べるそうです。アミノ酸みたいな生命の素材が確認されないかと。も
左翼潰し以上に、現行憲法破棄という目的があると聞いた事がある。笹川は戦後憲法は嫌いだったようだから。ただし、右翼とは違い、改憲して、日本を戦争できる国にしたかったわけでもない。戦争には反対であった。そこが難しい所ですね。やはり、ファシス
反ファシズムを掲げ、弱者の連帯を旗印にしても、メンバーが一斉行動するなど、ファシズムみたいになった福祉や宗教団体も日本ではありますからね。日本だけではないかもしれませんが。何かの会・組織を作ると、面倒な事になるのが多いかもしれません。
弱者の連帯が社会を変える。新旧聖書、歎異抄、資本論と共通の発想だと。でも、連帯=集団化や団体化でもないんだよね。そこを読み間違えて、果ては皆同じ事をするようなミニ・ファシズムになった身障会や福祉会、宗教関係も日本では多い。日本だけでもな
一月はひどかった左ひざと左腰の冷え痛みは治りました。左側がやられたため、右に体重を掛けがちになったため、先週は右腰とひざが痛くなりました。今日は右腰の方もかなり良くなっています。 右ひざは痛みはありますが、疲労性の痛みであり、冷え痛み
笹川良一、ムッソリーニ、啓蒙運動.(旧友への手紙用にかいたもの) まず、戦後の福祉関係のかなりにも絡み、献金だけでなく、諸々の福祉団体を作り、その福祉理念の核にもなっている笹川良一をインターネットで検索した。 昭和10年代。ムッソリーニ思
笹川関係に限らず、啓蒙運動は「働きかける側と、働き掛けられる側」に、二分してしまい、両者は対立関係に自然になっていく。これでは、付き合いは成立しない。 Yさんは笹川の影響を受けているかは判らないが、ハンセン氏病啓蒙に熱心で僕と付き合い
元VYSで85年にミニコミ企画した人がいるので、その関係ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー85年。僕含め、ミニコミやる気がない人たちが元VYSには多かった。理由は2つあったと思われる。どちらも「働きかけ」への疑問。 一つは、社会へ
佐久のみなさんへ.2019年2月 インターネットで調べましたが、今年は諏訪湖(すわこ)の御神渡り(おみわたり)はなかったわけですね。最近は気候が暖かくなり、諏訪湖に氷も張りにくくなっているせいでしょうか。そのようすをテレビで見るのをぼくも
78年。盲学校。そこに僕は行かなかったが、印象的な話。VYS会員の数人が「活動場で見た事を社会に伝える」というVYS社会変革方法を述べた所、労組・左翼系の教員たちが「それは甘い」と即座に否定し、「労働者の生活の困窮」みたいな事を延々と話
「連帯」という日本語ですが、映画監督の羽仁進氏は複数の著書などで、僕は「弱者の共感」を下敷きに考えています。「人は弱いから、連帯する」。羽仁氏は、中勘助著の「銀の匙(さじ)」という小説を勧めています。その小説は人間の弱さを強調し、また、ダチ
今日も聞きました。その中から、春の歌を紹介します。南宋時代のもの 四時田園雑興・六十首・其二 范成大 土膏欲動雨頻催/万草千花一餉開/舎後荒畦猶緑秀/隣家鞭筍過牆来 土膏(どこう)、動かさんと欲して、雨、頻(しきり)に催(うな
今日投稿したものの中の「ムッソリーニ思想の日本版の亜流」とは、例のVYS。その基本理念は笹川良一が書いたと複数の筋から聞きました。その笹川は、元々ムッソリーニ思想に傾倒。日本軍ファシズムには反対でした。戦後、一時、GHQに追及されましたが
以下だが、当然、中国にも同じ観念はあるはずだ。但し、そこまでは僕は知らないから、書かなかった。 20世紀。イタリアにムッソリーニが現れて、ファシスト党を作った。その思想は日本では「市民連帯による社会変革」と訳されているが、連帯には根底に愛が
「ハンセン氏病問題理解」を僕に求めたからである。今気が付くに、医学基礎知識以上にもっと大きな理解不可能の理由があった。ハンセン氏病問題も実に多様で、無限に根が深い。例え医学知識があっても、人間の頭脳で「理解」できる問題だろうか。また、理
愛の観念が非常に発達した地域は中東とインドである。新旧の聖書を読むと、多くの人々は勿論、多くの民族・国・グループが出てくる。中東では非常に早くから価値観も異なる多くの人々が交流していたわけだ。古代インドでも同じだった。その場合、ただでさ
富士福祉関係やS園の者たちから「ボランティアは愛で行なうものだ」と僕も何回も言われた。今の僕なら「それに限らない。交友も、男女の付き合いも、介護ヘルパーなども、一切は愛から始めなければならない」と逆に愛を大きく説くね。でも、言われた当
表題の通りである。僕が所属した複数の団体がそうだった。ここでは、一番問題が深かったと思われる、僕の行った教派の事から説明して述べよう。 キリスト教会にも色々あるが、僕の行った教派は明治の時からメンバーが固定化されていたようだ。世間から孤
今日はバレンタインディ。それに因んで、広く愛について考えてみたい。 まず、愛についての世間の誤解を少し述べる。いわゆる他人に「して上げる・物や金を差し上げる」事が愛という誤解があるようだが、それは違う。強いて言えば、お節介の類である。
考えてみれば、誰でも意見の持てる事柄は世界の出来事のごくわずかかもしれない。一万分の一にも満たないだろう。昔、全生園に行った時もそこについての意見は持てなかった。同行したかなりの者(会の別なく)たちもそうだった。意見を言えた人は、まつさ
昨日(10日)、腰に灸を打ってもらいました。日本はまだ寒いから、時間はかかりますが、次第に治ると思います。 灸の暖め効果は翌日も、翌々日も続くわけです。
77年夏。僕は墨田厚生会館に一度だけ行って、そのまま止めている。そこにいたボランティア、身障者の魅力も全然見えずに。成程と。僕が行った時がたまたまそうだったかもしれないが、構成員たちはただ楽しければ、仲良ければ良いという感じで、遊び的で