「あきらめる」というのは、本当に良くないことなのかな?と思うことがある。どんなことでも、ひとたび始めたなら、どこまでもやり抜け、あきらめずに挑戦し続ければ、いつか夢はかなう、そう言われることが多い。そうだろうか?もちろんちょっとやってみて駄
日本人と外国人では、ずいぶん感覚が違うと思わされることが多いが、反面どこの国の人でも同じようなことを考えるものだなあ、と実感することも少なからずある。今回はそんなお話を。古城や城跡を訪れた時「もののあはれ」がひしひしと心を打つ、というのは、
今回のお話で、あるいは気を悪くされる方もおありかと思い、あらかじめお詫び申し上げます。私自身の自戒のために書いているものであるとご理解願います。カッコばかりにこだわるのも薄っぺらな感じだけど、やっぱりカッコ悪いのは嫌なものです。私は山は好き
先日私はいつものように自室で鉄道模型を走らせていた。走っている模型のキハ58系気動車をぼう〜と眺めていたら、石川啄木ではないが「心かすめし思ひ出」があった。あれからもう何十年になるか、考えるのも恐ろしいが、私はもうそんなに若くはなく、そうか
昔から不思議に思っていることはいくつかあるのですが、その最大のものについては以前書きました。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1942067174&owner_id=62249729今回はそれ以外のものを。道路や鉄道の複線区間で、どちら側を走るか、つまり左側通行か右側通
自分がやられて嫌なことを他人にするな、というのは、多くの人にとって説得力のある人生指針だと思われる。私自身も少なくともそのように心掛けてきたし、世の中の大部分の人もそうだろうから、これは古今東西に普遍的な常識、不文律であろうと、永いこと思っ
どうも自分にとって関心や縁のないこと、自分から遠く隔たったものは、相互に識別することが困難です。しばしば指摘されることですが、アメリカ人は自国のこと以外は関心が薄く、日本と中国、韓国のことなどごっちゃになる人が多いそうです。日本人の名前を知
近所に犬がいると、とりわけ気付くのは、歳とともにおとなしくなるのと、愛想がなくなるのがいることです。若い頃は通り掛かるとやたらと吼えていたのに、歳を取ったらちっとも吼えなくなる犬がいるかと思うと、逆に人懐こかった犬が無愛想になって、知らん振
どうも我々は、時としてものごとの本質ではないところで議論したり、一所懸命努力する傾向があるような気がしています。以前勤めていた某社の工場は、伝統的に労働災害の防止に熱心で、事実業種の割には労災は極めて少なかったのは確かです。朝礼台の正面には
誰でも怖いもの、汚いもの、臭いものなどには、近付きたくないのが普通です。でも人間の心理には不思議な側面があって、そういうものは絶対に嫌だ、と必ずしもいつも思っているわけではないような気がします。表面に現れない心理として、少しはそういうものも
しばらく前に、アメリカ軍の横須賀基地を見学した時のことを書きましたが、その補足から話を始めます。あの時、アイスクリームの屋台で「アイスクリーム」という発音が悪くて通じなかったら恥ずかしいということで、アイスクリームを買わなかったのですが、の
世に愛をテーマにした歌は、星の数ほどもあるだろう。中で私が好きなのは、ドイツ民謡の「ああ、どうしてそんなことができようか」(Ach, wie ist's möglich dann、邦題:まことの愛)である。ドイツ語という言葉は、我が国ではどうしても、ゴツい、とい
かつて某工場に勤めていた時、作業のロボット化を推進するという方針が打ち出された。メンテナンス工場なので、生産工場と違って組み立てだけでなく、分解という工程がある。しかも扱う機器や装置は新品ではないので、その状態は一様ではなく、しかも少量多品
まだ小学校低学年の頃だったと記憶するが、横須賀の米海軍の基地が公開されるというので、叔父に連れていってもらったことがある。フネでも飛行機でも電車でも自動車でも、およそ乗り物は何でも好きだったから、私を喜ばせてやろうと思ったのであろう。まずは
ヴェルニゲローデ(Wernigerode)という名の街があることを知ったのは、たまたま店先で目に留った1枚のレコードからだった。もうずいぶん昔のことだ。何しろ、まだCDなどというものがない時代の話である。そのレコードのタイトルは「ドイツ民謡集・ヴェル
大学生の時に読んだ「アーロン収容所」という本は、現在までに読んだものの中でもとりわけ印象が強かった。とは言うものの、覚えているのはある個所だけなのだが・・・。著者は第二次大戦でビルマ方面に出征し、終戦とともにイギリス軍の捕虜となった。その捕
昔に比べると個性のある人が少なくなったと、巷でしばしば言われることがあります。これも以前書いた「昔は良かった」論の変形かも知れませんが、確かに良きにつけ悪しきにつけ、昔のほうがある種の「典型」みたいな人が多かったとは思います。今回は大学時代
本格的な冬山の初体験は、40歳を過ぎてからで、ずいぶん奥手だった。夏山には若い頃から行っていたが、冬山となると敷居が高かったのである。本格的な厳冬期の初山行は八ヶ岳だった。夏に登ったことは何度もあるが、ラッセルしながら登るのは、同じ区間を何
タイトルの言葉を知ったのは、まだそんなに前のことではありません。初めて何かをやった人は、その時だけは意外についている場合があるという意味の言葉です。小学校6年の時、父に連れられて越後湯沢へ行き、初めてスキーをしました。父の会社の保養所があっ
有難いことに、幼少の頃から大きな病気をすることなく今日に至っております。それでも、やはり泣き所と申しますか、体で不調が出やすい所はあります。私の場合は腸ですね。つまりお腹を壊しやすいのです。「過敏性腸症候群」という名前があるようですが、厳密
記憶というものは、とかく美化されやすいものらしい。この日記はほとんど思い出話なので、大いに美化されている可能性がある。どの時代でも、高齢者は昔のほうが良かったと言うものだ。しかし冷静に考えれば、昔のほうが何もかも良かったはずはない。それでは
小学校高学年になった頃、近所のお兄さんの影響で、鉄道模型を始めました。しかし当時の鉄道模型は、小学生には著しく高価で、お小遣いで買えるようなものではない。少しづつ貯めたり、何か手伝いをしたりしてお金を貰い、やっと小さな電気機関車を買いました
私は、子供の頃は実に素直な良い子だったと自分では思っているのですが、そう思わない大人もいくらかいたようです。小学校の先生の家庭訪問では、すぐに理屈を言うと指摘されたそうです。そのことを聞かされた時、私は思いました。理屈を言わなきゃ何を言うん
中学生の頃、行き付けの模型屋の店主が「日本一高い山は誰でも知っている。では、第二位は何て言う山か知ってるか?」と聞く。そう言われてみると、第二位はどこか、聞いたことがなかった。「北岳だよ。」なーんだ!何とも個性のない名前の山だなあ、ただ北の
かつて勤めていた会社に、Kさんという人がいました。私より7年も先輩です。以前この日記で、多面性のある人は魅力的だと書いたことがありましたが、このKさんはその多面性が全くない人でした。裏表がないとも言えるし、分かり易いとも言える、そんな人でし
私は、自分で言うのもナンですが、そんなに性格が悪いほうではありません。ちょっと苦手なタイプだなと思う人でも、話してみると見習うべきところがあるなあと思うこともしばしばです。それでも、困った人だなと思う人もいます。それは「じれったい人」。私は
これは私が小さな頃に経験した事故のお話ですが、事故とは言うもののあまり深刻なものはありませんので、安心してお読みになれます。珍妙な事故の筆頭は、醤油か何かの空瓶に指を突っ込んで抜けなくなったやつ。その時は、家に親戚だったか親の知人だったか、
最近はテレビで、和紙とか刃物などを作る伝統工芸の職人さんの仕事ぶりが放映されることが多くなりました。私は幼少時から、このような伝統工芸ではなくて、もっと身近な職人さんの仕事に惹かれることがしばしばありました。その一つは、看板屋さんです。幼稚
船で外国へ行くなどということは、大昔のお話になってしまった感がある。もちろん私にも、そんな経験はない。現在では、乗ること自体が目的になっているクルーズ客船はあっても、日本を発着する定期運行の外国航路の客船は皆無である。そんな現在では想像する
私は、小学校から結婚するまでは東京の世田谷区、結婚後は横浜の青葉区に住んでおりました。世田谷区時代と青葉区時代は、それぞれ隣りの家で犬、および猫を飼っており、どちらもなかなかユニークな住民でした。犬はゴン、猫はボンという名前でしたが、各々が