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2015年06月09日11:48

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船出

船で外国へ行くなどということは、大昔のお話になってしまった感がある。もちろん私にも、そんな経験はない。現在では、乗ること自体が目的になっているクルーズ客船はあっても、日本を発着する定期運行の外国航路の客船は皆無である。

そんな現在では想像することも難しいが、私が幼稚園の頃まではアメリカまで船で行く人もいた。現在は横浜港に保存されている日本郵船の氷川丸、アメリカのアメリカン・プレジデント・ラインという会社が運行する「プレジデント・ウィルソン」「プレジデント・クリーブランド」が、太平洋を往復していた。

母の友人だか恩師だかがアメリカへ行くということで、私も連れられて横浜の大桟橋埠頭に見送りに行ったことがある。大桟橋埠頭は、位置は同じだが建物は現在とは全く違っていた。そこの送迎デッキから、旅立つ人を見送るのである。船はウィルソン号、白とグレーに塗られて、煙突に鷲のマークが付いた船だった。

出港が近くなると、何やら色とりどりの丸い物を売りにきた。何だかわからないけれど、色がきれいなので自分も欲しいなと思って見ていると、それを買った人達が使っているのを見て、何かわかった。紙テープである。それを投げて、送る送られる双方がその端を持っていると、船が桟橋を離れるうちにテープが切れる。それがお別れなのである。

私はテープを買ってもらえなかった。投げても届かないからだろう。母でも届かなかったと思う。送られる人が船上から投げるほうが合理的なのでは、というのは、今になって思うことである。

そうするうちに、目の前の船が少しづつ動いているような気がしてきた。いや、こんなビルみたいに大きなものが動くはずはない。いやいや、やっぱり動いている。ほら!デッキの支柱と船の窓を重ね合わせて見ると・・・。

岸壁と船の間を見ていると、そこの海面がしだいに広くなるのがわかる。海面に渦ができる。船が大物の風格を示すように、ゆったりと揺れる。

ピンと張ったたくさんのテープが切れようとする頃、船はひときわ高らかに汽笛を鳴らした。人も船も、ちゃんとお別れの挨拶をするのである。少しずつ向きを変える船が、私にはまるで生き物であるように思われた。

船が遠ざかり、船上の人達の見分けが付かなくなると、母と私は桟橋にあるレストランに入り、おやつを食べた。窓からは、だんだん小さくなっていくウィルソン号の後姿が、いつまでも見えていた。その姿は、いよいよ大海原に乗り出そうとする気迫に満ちていた。

さあそろそろ帰ろうか、と席を立った時、もう一度窓の外を見ると、沖のほうに小さく見える点が、どうやらウィルソン号らしく思われた。
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