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2015年11月05日18:18

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ものを見分けるには

どうも自分にとって関心や縁のないこと、自分から遠く隔たったものは、相互に識別することが困難です。しばしば指摘されることですが、アメリカ人は自国のこと以外は関心が薄く、日本と中国、韓国のことなどごっちゃになる人が多いそうです。日本人の名前を知っている限り挙げてもらうと、必ずブルース・リーが出てきてしまうとか。

私の妻も、駐車場などでひとさまの車に向かって歩いて行くことがあります。全然違う車じゃないか!と言うと、だって色が同じなんだもん、などと・・・。東急の路線の名前を挙げていたら、そこに井の頭線も入ってしまったり。私は

「お前さん!仮にも旦那が鉄道会社に勤めてるんだから、そりゃーちょっと恥ずかしいんでないかい?」

と言いましたけど。実際はもう少し丁寧な言い回しでしたが・・・。

昔いた会社で、Sさんという定年も間近となった庶務係の人が、数メートル離れた所にいる若い人に向かって

「おい、安藤!」

と呼びかけるのですが、返事がないので、また

「おい、安藤!」

しばらくして、また

「おい、安藤!」

Sさん、おい安藤を3、4回繰り返した後

「道理で返事しないと思ったら、あれ安藤じゃねえのか!若い奴はみんな同じに見えるよ」

関心がないと言うより、親しみを感じない、あるいはもっと極端な場合そのことを考えるのも嫌な対象に関するものは、識別が困難なのも当然です。若い頃、テレビで旧ソ連の古い映画を見ました。戦争映画ではあるのですが、ファシストと戦って勝利した偉大な祖国を称える、プロパガンダ的色彩の強い映画でした。

ところがこの映画、ストーリーがちっとも頭に入ってこないのです。映画の性格上、台詞は

「なあ、そうだろう?同志アレクサンドル・セニャービン!」
「おお、そうだとも!同志セルゲイ・スシャーロフ!」

といった調子で、むずがゆいと言うかお腹が一杯になると言うか・・・。それより何より、登場人物の名前と顔が一致しません。名前がちっとも覚えられないし、誰の顔も大同小異です。アレクサンドル・セニャービンもセルゲイ・スシャーロフも、どこがどう違うのか良くわかりません。みんなそうなので、あれ?こいつさっき死んだのにまた出てる、と思ってよーく見ると、顔がほんの少しは違っていたりする。

そもそも、こんなことになるのは、私が旧ソ連なんて国が嫌いだったからでしょう。もちろん関心もないし、親しみは全然感じないから、人の顔も同じに見えるし、人名だけでなく地名なども記憶に残らないのです。やれアレクセイ・クソビッチだの、やれクラグロズヌイ・ドブドロフスコエだのっていうような名前など、聞いたそばから忘れてしまいます。

これと正反対の現象は、世に言う「マニア」の人達の間に見出すことができます。例えば電車では、何とか系のゼロ番台と何千番台は屋根の雨どいの端がこう違う、なんてことを、滔々と話していたりする。興味のない人にとっては、言われたって気付かないような違いです。

それにしても、ロシア語ってどうして発音しにくいんでしょう?カタカナで書いてあっても発音しにくいんです。日本に関心のない、親しみを感じない外国人にとっては、日本語も発音しにくいのでしょうか?

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