ずっと以前のことだが、作曲家の故山本直純さんがテレビで、小さな男の子に「歌って全部でいくつあるの?」と聞かれて「人間の数くらいあるよ」と答えていた。その人間の数ほどもある歌の中から、好きなものをたったひとつだけ挙げろといわれると、普通はなか
企業などで、責任を全うするには相応の権限が付与されていることが必要であると言われる。それはその通りで、権限もないのに責任ばかり負わされては、体ばかりか心が持たない。反面、責任を取ろうとしない人に大きな権限が与えられていては、パワハラ上司にな
1 きんらんどんすの帯しめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ2 文金島田に髪結いながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ3 あねさんごっこの花嫁人形は 赤い鹿(か)の子の振袖着てる4 泣けば鹿の子のたもとがきれる 涙で鹿の子の赤い紅(べに)に
我々は、ものを数える場合、イチ、ニ、サン・・・と数える。だが、数はイチではなくゼロから始まるものであると考えるほうが、何かとものごとがうまく説明できるような気がする。ゼロを数字のひとつと考えるという発想は、数学的な考え方に画期的な発展をもた
NHKの朝ドラ「ひよっこ」を見ていてちょっと気になるのは、時代考証です。設定は昭和40年前後、ということは、まさに私が麗しい青春時代を迎えようとしている中学生の時です。そんなことで、つい最近とまでは言わないけど、それほど大昔とも思えないし、思い
わたくしごとで恐縮ですが(考えてみたら今までに書いたものも全てわたくしごとでした。照)母の四十九日も終わり、一段落というところです。母を見送るという体験に際しては、当然のことなのでしょうけれど、何かと従来は考えもしなかったことが実感されました
80代後半からそろそろ怪しくなってきた母、認知症は容赦なく進み、ここ数年は面会に行っても何も反応を見せなくなっていました。けれども私は、母には誰が来たのかわかっているのだと信じていました。息子が会いに来たというのに、何も言ってやれないのは、ど
私は元電車屋だが、フネ屋さんや飛行機屋さんが羨ましいと思ったことが、何度もあった。それは、この世に生を受ける瞬間の感動があること。新しく作られた時、フネであれば初めて海に浮かぶ瞬間、飛行機であれば初めて地上を離れる瞬間であろう。電車に限らず
以前から過去のことをあれこれ思い起こすのが好きなたちであったが、近年はその傾向が顕著になっている。いろんなことがあったなあ、と思うけれど、別に歴史に残るような大事件の渦中にいたこともないし、何十年に一回あるかなしかの大災害に見舞われたことも
今回は、日頃どうにも腹に据えかねていることを吐露する。何ごとかと思いつつ読んで、何だそんなことか!と呆れる方も多いことだろうけれど。それは…線路の上を走る車両のことを、何でもかんでも「電車」と呼ぶ人。つい先日も「三陸鉄道の電車」という語が、
ムッシューかまやつさんが亡くなり、彼の回想番組を見ていたら「どうにかなるさ」を歌っていました。そして、私の脳裏に、青春時代にしばしば体験したことが、鮮やかに蘇ったのでした。それは…今はほとんど姿を消してしまった夜行列車の旅です。彼が歌ったよ
幼少時から乗り物に並々ならぬ関心があった私にとって最も身近な乗り物は、毎日接する自動車と路面電車でした。幼稚園までは横浜の山手で過ごしたので、港へ行くと大きな船もたくさん見ることができました。けれども、飛行機というものには縁がありませんでし
最近はあまり聞かなくなったが、少し前には空気が読めるとか読めないとかいう言葉が非常にしばしば飛び交っていた。空気が読めない人は、あいつはKYだなんて言われていた。でも、空気が読めない人がKYなら、空気が読める人だってKYだろう。従って、前者をKYN
昔から、そんなことを言われる場合があった。ひとの言うことなど、存外当てにならないものだ、という意味である。ところが、他人の言うことが当てにならないのは、必ずしもその人が嘘を言っている場合だけとは限らない。記憶は変質するものだから。私自身のそ