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2013年09月26日20:23

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【Burning Man】『バーニングマンに向け、身を屈めて:対抗文化祭の進化と退化』(2)

続き

4.

バーニングマンはその参加者にカタルシスを与えるような経験になりうるが、真性の信者たちにとってはそれ以上の経験である。彼らにとっては、バーニングマンは社会的・政治的運動のようなものでもあると、ラリー・ハーヴィーは現在説明している。バーニングマン組織は最近、世界中のミニ理想郷を支え、その福音を広めることを目的とした非営利団体the Burning Man Projectへと改変した。その政治傾向は左翼派寄りであり、起業家的なリバタリアニズムから堅実なリベラリズム、アナーキズム、(左翼派思想では無いが)我々は実は敵戦線に取り残され人間の体に閉じ込められた宇宙人なのだと私に説明した男性の個人的思想、数々の環境計画やボランティア活動などと様々だ。しかし私は、バーニングマンが社会的・政治的運動であると唱える人に対し疑念を抱かずにはいられない。

バーニングマンは持続可能性の促進に対し、誠実で立派な配慮をしている。そのモットーは「Leave No Trace, Make Your Mark(痕跡を残さず、自分の影響を残せ)」である。しかし、何百もの火を吹く機械を集めた巨大な野外パーティーが持続可能性促進の模範であるとは信じがたい。それ以上に、バーニングマンほど人種に多様性の無いコミュニティーが自らを現在の人間社会の代わりとなりうる社会の模範として装うことは何らかのルールで禁止されるべきである。多様性のあるコミュニティーを経験したいなら、バーニングマンに行くのは止め、ニューヨークの地下鉄かバスに乗ればいい。(有色人種の人々が多数集まり違法薬物を使いながら文明社会の象徴を燃やすイベントを想像出来るだろうか?そんなイベントは1ヶ月と持たないだろう。)

享楽主義(もしくは「徹底的自己表現」)がバーニングマンの社会的ルールではあるが、今このルールは争点となっている。現在、多様な都市文化に深く根を張るニューオーリンズのマルディ・グラは、元々は乱痴気騒ぎの仮面祭りとして始まった。ルイジアナ州のエリート階級はこの祭りの際に身分や人種の違う人々が親交すること恐れ、南北戦争後には、観光客を南に引き付け、また自らの文化権威を再主張するべく、マルディ・グラを更生しより上品なものへと仕立て直した。現在のマルディ・グラは、今でも様々なサブカルチャーを養育し続け、そのカーニバルの組織は地域文化に不可欠な存在に違いないが、本質的には露出を商業化した主流イベントなのである。ここで質問すべきことは、「バーニングマンはいかに進化をしているか」、そして、「どのような価値観がその進化を進めているのか」である。

毎年、大勢の人々がバーニングマンに参加し自らの性的意識を再発見し、時には新しい性体験を試す。しかし現代社会において、性的乱交が本当に革新的でオルタナティブな価値観だとは言いがたいだろう。実際には、バーニングマンの理想概念に全く興味の無い人々にも十分魅力的な、言わば実に日常的な価値観なのである。バーニングマンの短期新聞であるBlack Rock Weeklyに記載されていた「Ladies Guide to the Creeps of Burning Man(女性用コラム:バーニングマンで見られる気味の悪い男達)」には、参加者の数が増え続ける「Frat Boy(男子大学生)」が第一位であった。時折バーニングマンのイベントの最中、如何わしい雰囲気を感じることがある。そして時に、事はそれ以上の事態に悪化することもある。今年のバーニングマン後、ePlayaに記載された一母親の苦悩に満ちた記事が多くの注目を集めた:

「木曜日の夜、私は娘と一緒に自転車でいくつかのアート・オブジェを見てまわっていました。その時私たちはしらふでした。私はもう疲れていたのですが、娘はBurn Wall Streetを観に行くと決めました。その現場に向かう途中、雨が振り出したので、娘は雨宿りをしにWant Itのキャンプに入りました。その12時間後、娘は幻覚症状を起こし医療テントで点滴を受けた状態で 我々のキャンプに戻ってきました。

彼女はEmerald Cityの裏で、うつ伏せで薬物を過剰摂取した状態で発見されたのです。パトロール員たちは彼女が酔っ払ったのか、ドラッグを摂取したのだと仮定しました。しかし、私たちのキャンプに戻った数時間後、娘の首に痣が浮かび上がり、彼女が性的暴行を受けた事が明らかになったのです。

娘は自分の暴行者をWant ItでDJをしていた男性(及び共犯者一人)と特定しました。しかし、プラヤには性被害証拠採取検査キットや法医看護師が存在しません。娘は既に9回も事情聴取を受けており(彼女はプラヤのパーシング郡当局にも自分の暴行に関する詳細を報告していました)、再び事情聴取を受ける為にリノに行くことを拒んだため、この犯行に対する刑事訴訟を起こせないと伝えられました。」

この事件は恐ろしく、そして啓発的である。違反行為にこれほど専念をしているイベントでは、性的暴行は懸念すべき事態であろう。しかしながら、主催者たちはこのような暗い一面に正面から立ち向かうための準備が出来ていない様に伺われる。San Francisco Weeklyに手痛く非難された際には、将来性的暴行が起きた場合適切な措置を取れるよう準備する事を約束するどころか、批判から話題を逸らした。パーシング郡がバーニングマンの取り締まりを強化しようとしている中、このような事件はバーニングマンにとって不都合に違いない。

しかし、このような事態はあまり公に議論されていない。反対に、バーナーの間で頻繁に述べられている不満は、バーニングマンが観光者だらけになり、穏やかになり過ぎていると言うことだ。傍観者が増え、積極的な参加者が減少している。今年のBlack Rock Weeklyに記載されていたペンネーム「Shutterslut」執筆の過剰な意見記事には、自らのプロジェクトの資金集めにKickstarter(アメリカのクラウド・ファンディング・サイト)を利用し、裕福な寄付者を見返りとしてVIP扱いするといったキャンプを非難した。彼は、このイベントの進化において越えてはならない一線が越えられていることを主張した:

「去年までは、これは数々の流行の一つに過ぎず、そのうちのどれが今後のバーニングマンの傾向になるかは分からなかった。しかし、2011年のチケット完売、及びチケットの需要が供給を上回った現状を前に、キャンプたちはこの新世界を迎えるにあたって、チケット数に基づいて柔軟に対処出来るように自らのキャンプを設計し直したり、失敗を省みず大望を抱いたりせず、他人から貰った資金で大望を抱こうとする傾向にある。どうやら人手が足りないのなら、金を頼りにしようと考えているようだ。これは間違った計画の仕方だ。 昔のように、自ら負担出来る金額だけで素晴らしく危険なキャンプを作成する時が来た。他人の金で作られた黄金の街より、誰かが自分で考案し、自らの力で制作した素晴らしく奇妙な塊が僕は見たい。」

しかしながら、現在これ以上に議論されているのは、「野生生活の体験」はしたいが文明の利器は手放したく無いと、不快な砂漠の環境の中ではなく、エアコンの効いたRVの中で生活をする裕福な参加者のニーズに答える「プラグ&プレイ」キャンプの普及である。バーニングマン短期新聞であるBlack Rock Beaconは、この現状を「Fat Cats in Cash-for-Camps Controversy(金でキャンプを買う金持ちたち)」と、タブロイド風の見出しで報道した。

Black Rock Beacon誌にこのような「プラグ&プレイ」キャンプに対するBMORGの公式方針に関する問いに対し、BMORGの代弁者は「どんな街もそうであるように、ここには様々な所得の人々が存在し、我々はこれらの人々を皆平等に歓迎している」とコメントした(このようなキャンプはその収入の一部をBMORGに支払っている)。このようにしてブラックロック・シティに不平等さが生じているのである。ここで注目すべきは、社会的不平等さとそのコミュニティーの幸福度には密接な関係があると社会科学者たちは観測していることかもしれない。

5.

「知ってる?君が大好きなバーニングマンの長所。今後それが無くなっちゃうかも知れない…君の意見も聞かれずに。」と書かれたステッカーが今年の仮設トイレにはられていた。ステッカーの製作者らしきグループ12TrashFrence.orgは、バーニングマンの将来を心配しBMORGにおせっかいな「助言」をするべく結成された、やや反体制のグループである。

チケット販売をめぐる災難もあってか、今年のバーニングマンは不作であった。今まで着実かつたゆまない成長を見せていたバーニングマンだが、今年の出場者数は52384人と、去年の54000人を下回った。しかし、だからと言ってすぐに消え去ったりしないだろう。バーニングマンは人々の精神的景気に不可欠な存在なのである。サンフランシスコでは、祝日のようなものでもある。

キャンプで生活していたある夜、マリファナのタバコが回される中、生きる事の意味に会話の焦点が行った。「どうして毎日こう過ごすことが出来ないんだろう」と誰かつぶやいた。「だって、ほら、周りを見てごらんよ。こうあるべきだろ。これこそ助け合いだよ。僕らはこんなふうに生活出来るんだ。これだけの想像力と建設力があるんだ、政府がこれにもっと注目すれば、不況なんてあるもんか。みんな出来る仕事があるんだ。」彼はタバコを一服吸い込んだ。

それを聞いて叫びたくなる。「YesとNoだ!」(実際に叫ぶには格好の付かない言葉ではあるが。)Yes:バーニングマンは素晴らしい経験である。Yes:そこで見られる想像力は素晴らしく、人々の寛大さは感動的であり、その非商業主義には元気づけられる。Yes:最良の時には、バーニングマンはまるで理想郷かのような素晴らしいエネルギーで満ちている。その舞台では、会社の仕切られた空間で魂を押し殺しながらパソコンの前で人生を過ごし、見返りには商業社会の一時的な消耗品にしか癒しを期待出来ないような男女が、普段得られないような有意義な経験を掴もうとする姿が見られる。

しかし、それと同時に、Noでもある。No:バーニングマンは数千ドルと人生の1週間を費やす特別な経験なのだから、「毎日こう過ごすことが出来ない」のである。No:「こんなふうに生活」なんて出来ない。このような凝縮された、つかの間の経験であるからこそ、ポジティブさと人間の可能性の超越を人々は必死に主張出来るのであって、この姿は人類の可能性を不完全に象徴したものに過ぎない。人類のより悪質な側面に立ち向かわずにいると、その側面は制限されず拡大する一方である。そして、No:権力者が「もっと注目」したところで、何も変わる事は無い。この世界が今メチャクチャである理由は、権力者が現状況に気づかないからではなく、現状況であった方が利益になるからである。

今我々が暮らしている社会はこういった幸福の孤島を野放しにすることはない。いずれ、堕落に導く事になる。砂漠に隠れたとしても、堕落の過程を引き伸ばすだけであって、止めることは出来ないだろう。バーニングマンの10つの原則は、祝祭の基盤としては上等だが、世界を変えるには弱すぎる。世界に変えられることに抵抗することさえ出来ていないのだから。 バーニングマンは今後も成長を続けるだろう。そして資金と人の注目が増えるにつれ、それはより鮮烈なものへと成長するだろう。しかし、 ただの過激な連休パーティーでなく、人々にバーニングマンが社会的・政治的運動であると信じさせる要因、つまり「バーニングマンの長所」こそ、今危険にさらされているのである。その「長所」はいずれ、ザ・マン同様つかの間の存在であったからこそ重要だったと知る日が来るのかも知れない。もしくは、ブラックロック砂漠に度々起きる塵旋風の如く、塵の竜巻を舞い上げ、固い何かに行き当たったとたんに大気に消え去る運命なのかもしれない。

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