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日記一覧

 他のお経の中で、釈尊は「火に熱せられて沸きかえっている水は、ものの相をありのままに映さない。水草におおわれている水面も、ものの相を如実に映さない。風によって波立っている水も、ものの相をそのとおりには映さない」と説いておられます。自己本位の

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 さて、眼にはどんな功徳を受けるかといいますと、まず「父母所生の清浄の肉眼をもって、三千大千世界の内外の所有(あらゆる)る山・林・河・海をみること、下阿鼻地獄に至り、上有頂天に至らん。亦其の中の一切衆生を見、及び業の因縁・果報の生処悉く見、悉

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 そこで、世尊は常精進菩薩に対して、そういう信仰の段階まで進んだ人の受ける功徳についてお説きになるのですが、まず・・・「五種法師」を行ずるものは、まさに八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳、八百の身の功徳を得る

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法師功徳品第十九「随喜功徳品第十八」は、教えにはいったばかりの者の功徳について説いてありましたが、この品では、もう一歩進んだ段階の信仰者すなわち法師の功徳について述べてあります。 法師というものは、出家の僧にかぎらないのであって、出家でもよ

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 むかしの高僧・名僧・聖人・賢人の肖像や彫刻などを見ても、普通の意味で顔の美しい人はあまりいません。釈尊の十大弟子にしても、その像を見ると、阿難と羅睺羅を除けば、お世辞にも美男といえる人はありません。よく「羅漢さまのような顔をした・・

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 こうして、その人が精神的に生まれ変わるばかりでなく、肉体的にも貴い相好に生まれ変わるであろうと、いろいろくわしく述べられていますが、その一つ一つをせんさくする必要はありますまい。とにかく、精神的に生まれ変わった人は、それが相好のうえにも現

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 阿逸多よ。もしある人が他の人にむかって『法華経という教えを説いている人がいますが、いっしょに行って聞こうではありませんか』とさそったとしましょう。そしてさそわれた人がそのとおりにして、しばらくのあいだでも教えを聞いたとすれば、さそった人は

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須臾聞法(しゅゆもんぽう)そこで、ほんのしばらくのあいだでも「法華経」の教えを聞いた人、またそれをすすめたり、誘ったりした人でさえ、このような功徳を受けるのであると、つぎのように説かれてあります。「また阿逸多よ。ある人がこの『法華経』の教えを

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 ここまでは、とにもかくにも「法華経」の教えに対して「ありがたい」という心を起こした人の功徳について説かれているのですが、つぎには、それよりもっと低い段階、すなわちただ教えに触れただけで、まだ心がそれに深く動かされていない段階の人でさえも、

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 ところで、これは五十人も展転した教えを聞いての随喜のことでしたが、それでは最初に教えを聞いた人はどうであるかといえば、「阿逸多よ、『法華経』の教えを、五十人も展転してから聞いて喜びをえたその功徳すら、このように偉大です。まして、最初に法会

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 そこで、阿羅漢果は自分自身の悟りとしては満点ですから、これを百という数字で表すとします。それに対して「法華経」の一偈を聞いて起こした「初随喜」の念は、その人の悟りとしてはまだ一の点数しかあたえられないかもしれません。しかし、小乗の悟りの百

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 しかし、それすらもまだ有限なものであり、相対的なものです。なぜならば、その与える功徳は一生で終わってしまうからです。ほんとうに尊い、永遠に生きる布施は、仏の教えを与える「法施」です。これは、その人の一生だけでなく、後世にまでも残る布施です

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なぜ比較することができないかというと、それには二つの理由があります。第一に「財施」と「法施」では次元がちがうということです。 物質的な布施をすることも、いいことにちがいありません。しかし、その与える功徳というものは、有限のものです。相対的な

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 そこで世尊は弥勒菩薩にむかって、おたずねになります。「あなたはどう思いますか。この大施主の得る功徳は、多いものでしょうか。少ないものでしょうか。」弥勒菩薩は、すぐにお答え申しあげます。「世尊、この人の功徳はたいへん多いもので、まことに無量

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 ここには、むずかしいことばがたくさんでてきます。「六趣」というのは、「六道」とおんなじで、まえ(四七項)にありました。四生というのは卵生(卵から生ずるもの)、胎生(たいしょう)(母体からそのままの姿で生まれ出るもの)、湿生(しつしょう)(湿っ

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 さて、これからその功徳につて述べられるのですが、ここで気をつけなければならないことは、いろいろな功徳を表すのに、非常に印象的な(形のないものを、ある形を借りて表わす)方法によってされますから、語句の表面の意味そのままを鵜呑みにしないで、そ

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五十展転(てんでん)第三に見落としてならないことは、なぜ五十人も展転して伝えられた教えを聞いた、その五十人目の人の功徳を特にいってあるのかということです。これは、「法華経」の教えの偉大さを強く表現するためにほかなりません。なぜかといえば、はじ

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力に随って第二の大切な点は、「力に随って」ということです。 これには二つの意味があり、その一つは「その人の力相応に」という意味、もうひとつは「その人の力のあらんかぎりを尽くして」という意味です。 はじめて教えを聞いたばかりの人が、高僧・名僧

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