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2016年12月08日07:10

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新解 随喜功徳品第十八−13(P497)

なぜ比較することができないかというと、それには二つの理由があります。第一に「財施」と「法施」では次元がちがうということです。
 物質的な布施をすることも、いいことにちがいありません。しかし、その与える功徳というものは、有限のものです。相対的なものです。
たとえば、こまっている人びとにお金をさしあげたとします。千円なら千円というお金が、ある人にとっては、ほんとうに更生のいとぐちになるかもしれません。しかし、人によっては、そのお金のあるうちだけは楽をするけれども、使ってしまえば元の木阿弥ということになるかもしれません。それどころが、ある場合には、かえってそのために怠け癖やぜいたく癖をつける逆効果をよぶかもしれません。ですから、物質的な布施もいいことにはちがいないけれども、それは有限なものであり、相対的なものです。
 ついでですが、金銭や物質を布施するとき、それを有効に使って生活を立て直す方法をも指導してあげることができれば、その金銭なり物質なりはずっと生きることでしょう。こういう指導というものはすでに「法施」のうちにはいるのであって、「法施」が加われば「財施」もずっと効果的になるわけです。社会保障制度などというものも、こういうふうに行うのが理想といえましょう。


今日は営業会議ですが、
わたしには関係ないし、
特に、会社ですることは今日は無いような・・・

ってな感じの
木曜日です。
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