そこで、阿羅漢果は自分自身の悟りとしては満点ですから、これを百という数字で表すとします。それに対して「法華経」の一偈を聞いて起こした「初随喜」の念は、その人の悟りとしてはまだ一の点数しかあたえられないかもしれません。しかし、小乗の悟りの百
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