クリント・イーストウッドは俳優としても監督としても大好きだ。彼の作品では、特に『 許されざる者 』に尋常ならざる思い入れがある。だから、渡辺謙主演の時代劇として『 許されざる者 』のリメイクが制作されたと知った時は大いに不安になった。名作傑作のリメイクほど難しいものはないからだ。くだらないリメイクを世に送り出して、オリジナルの名を汚すくらいなら制作しない方が良い。実際、リメイク版
『 椿三十郎 』、
『 十三人の刺客 』や
『 一命 』（オリジナル作品は『切腹』）を観た時にはあまりの酷さに腹がたって仕方なかった。しかし、昨夜、現場帰りにレイトショーで『 許されざる者 』を観た時は違った。不思議と腹はたたなかった代わりに、哀しく重い気分にさせられた。傑作オリジナルのパーツをことごとく流用していながら、どうして、こういう「 中途半端なドラマ 」が出来上がるのか不思議でならない。日本側の制作陣にオリジナル作品への愛が足りなかったのか、またはオリジナル作品の本質を見誤ってしまったのか、もしくはその両方にあてはまるのかも知れない。シンプルな構造のオリジナル版にごてごてと余計な背景やドラマを盛り込んだ挙句、肝心のテーマがぼけてしまうという過ちを犯している。少なくとも、私は時代劇版『 許されざる者 』に心を動かされることはなかった。オリジナル『 許されざる者 』を愛する西部劇ファンの一人として、はなはだ残念な結果である。この先、ネタバレを含むので未見の方はご遠慮願いたい。
オリジナル版の良さは何かといえば、まず第一に「 物語の構造がシンプル 」であることだ。ビッグウィスキーの娼婦宿で、売春婦にイチモツが小さいと笑われたことに激怒した牧童が彼女の顔をズタズタに切り裂く事件が起き、町の保安官リトル・ビル（ジーン・ハックマン）が犯人達を刑務所に送る代わりに娼婦宿の主に賠償として馬六頭を譲らせて丸く収めたことに娼婦達が激しく反発。彼女達が貯金を出し合って、牧童に1000ドルの賞金をかけたのが物語の発端となる。娼婦達は客として訪れる牛追いの牧童達に賞金の話をし、娼婦宿の主がことの重大さに驚いて保安官に知らせに来た時には噂は遠くテキサスまで届いていた。町の治安のためなら荒っぽい仕打ちも厭わない保安官は次々に町に訪れる賞金稼ぎを残忍に痛めつけて、追い返す。しかし、主人公ウィリアム・マニー（クリント・イーストウッド）の相棒ネッド（モーガン・フリーマン）を拷問にかけ、責め殺してしまったことで、さらに事態は予期せぬ方向に転回する。ここで注目すべきは、娼婦の顔を切りつけた牧童に対する「 復讐 」で物語が成立している点だ。人の命を奪う（殺す）ということがいかなるものなのか観客は考えさせられる。
�‐浙發鬚�けた「 娼婦達 」
�⊂浙蘯鵑箸覆蝓¬燭鯀世錣譴襦� 二人の牧童 」
�Ｈ爐蕕鯆匹Α� 賞金稼ぎ 」
�ぞ浙皺圓�を追い払い、町の治安を守ろうとする「 保安官 」
以上の４者の関係に絞り込んでいるのがオリジナル版『 許されざる者 』である。時代劇版はどうして、このシンプルな構造をそのまま踏襲し、舞台を日本に置き換えなかったのか謎だ。主人公・釜田十兵衛（渡辺謙）の奥さんがアイヌだという設定に始まり、屯田兵のアイヌ迫害など和人（日本人）がいかにアイヌの人々を差別し、苦しめているかを丹念に描いているが、物語の本筋とはおよそ関係ないものだ。まして、オリジナル版でマニーに賞金首の話を持ってくるスコフィールド・キッドに相当する沢田五郎（実は和人とアイヌの混血）の不幸な生い立ちが彼の動機になっている点など蛇足も良いところだ。こういう無駄な枝葉に時間をかけた分、肝心のドラマ部分が散漫になった感があるのは否めない。娼婦達が懸賞金をかけたことで「 多くの人々の運命の歯車が大きく動く様 」に見事にフォーカスしたオリジナル版とは対照的だ。
オリジナル版の第二の良さは、物語がクライマックスで突如、急転直下する点である。中盤までの、ややのどかで牧歌的な冒険談と後半の暗く凄惨な展開の「 落差の大きさ 」こそが魅力だと思う。ここで最も重要なのは、かつて有名なアウトローだったウィリアム・マニーというガンマンの凄さを、映像は最後の最後、クライマックスまで描かないということだ。確かに相棒ネッドや、若いスコフィールド・キッドの話の中でマニーの過去は語られるが、冒頭から前半の彼は拳銃射撃が下手で、馬にもろくに乗れない「 普通の農夫 」でしかない。だから、ネッドとスコフィールド・キッドの話がどこまで本当なのか観客（視聴者）は半信半疑の状態でクライマックスに突入する。人を殺していないネッドが捕まって殺され、亡骸が酒場の前にさらされていると聞いた途端、マニーは大きく変貌する。オリジナル版はここからが凄い。観客はまさか、マニーがここまで腕の立つガンマンだとは思っていなかったのだから度肝を抜かれる。時代劇版の場合、なんと、冒頭で「 人斬り十兵衛 」が自分を追跡して来た新政府軍を全滅させるシーンを見せてしまうのである。これではクライマックスの衝撃など味わえるわけがない。しかも、このシーンは物語の途中で何度もフラッシュバックし、十兵衛（渡辺謙）がどれほどの手練なのかを繰り返し観客に見せつけるのだから、さらに始末が悪い。時代劇版は、音楽の使い方も感心しない。オリジナル版がクライマックスだけに暗く陰鬱でおどろおどろしい曲を使い、その他はほぼ全編にわたって静かな曲が流れているのに対し、時代劇版は終始暗く哀愁を感じさせる重厚な曲をあてている。
そして、第三の良さは物語に姿を現さないマニーの妻「 クロディーヌの存在こそ物語の核である 」ことがわかりやすい点だ。これはオリジナル版を見直せば、すぐに理解できる。冒頭に流れるテロップは、こうだ。
「若く美しい娘クロディーヌは母の意に背き、ウィリアム・マニーと結婚した。
マニーは人殺しで酒びたりの残忍な悪党であった。
だが、母の心配とは異なり、美しい妻は夫には殺されず、
天然痘で病没した。1878年のことだった 」
そして、ラスト。家に戻ったマニーが夕日をバックに妻の墓に花を捧げるシルエットシーンのあと、流れるテロップがこれだ。
「数年後、長旅の末、クロディーヌの母が一人娘の永眠の地を訪ねたが、
マニーと子ども達の姿はなく、西海岸で商売に成功したとの噂を聞いた。
母には、どうして一人娘が酒びたりで残忍な札付きの悪党と結婚したのか、
ついにわからなかった」
この二つのテロップはオリジナル版が「 手のつけられない残忍で凄腕のアウトロー 」だったマニーが妻クロディーヌのために足を洗い、立派に更生したという事実に思いを馳せる物語であることを証明するものだ。凄惨なラストのあと、エンドロールが優しい曲がバックに静かに流れるのは、マニーの人生を変えたクロディーヌの存在の大きさや二人が過ごした平和な歳月を追想するためだろう。私はオリジナル版を観るたびに、このラストに感動する。マニーはネッドの復讐を果たしたあと、再び元の平穏な生活に戻って、子ども達と幸せに暮らしたのだ。時代劇版の冒頭テロップは、明治維新のあと蝦夷地で旧幕府軍残党が新政府軍から執拗な追跡を受けているとの時代背景を説明するのみで、釜田十兵衛（渡辺謙）自身のことはおろか、妻については一切触れていない。ラストでは、なんと、顔を切られた娼婦（忽那汐里）のモノローグで終わる。劇中、十兵衛が大切に持ち歩く妻の遺品が何度も登場し、彼自身も「 妻が空の上から見ている 」と語っているのにアイヌ人たる妻の名前はついに明かされない。これでは「 人斬り十兵衛 」が刀を捨て、農夫として生きることを決断するに至った「 妻の重み 」が全く読み取れない。脚本（李相日監督）はオリジナル版のパーツをふんだんに流用しておきながら、肝心の部分が欠落してしまっているのだ。
時代劇版は、オリジナル版の構成や主要人物の配置、大まかな流れによく似せており、シーンによっては構図や台詞までそっくりである。しかし、舞台を日本に翻案するために変更した設定がことごとく、いけない。開拓期の北海道を説明するために、迫害されるアイヌ民族の姿を物語に取り入れたのは良しとしよう。しかし、残忍なアウトローであるウィリアム・マニーを、幕府軍伝習隊の剣客・釜田十兵衛と設定したのは間違いだ。略奪強盗で人殺しの無法者と、戊辰戦争で官軍と戦った幕府方の侍では同じ「 人を殺す 」行為にしても意味が違う。無法者と「 戦闘で戦う侍 」を混同するから、十兵衛が自分をかくまってくれたキリシタン村の人々を新政府軍に通報したと疑って「 女子どもまで皆殺しにした 」という話がおかしくなってくる。オリジナル版通りに、女子どもまで平気で殺した残忍なエピソードを使うなら侍ではなく無法者（野盗や賞金稼ぎの類）にするか、侍に設定するならこのエピソードはカットすべきだった。
もうひとつは、十兵衛に賞金首の話を持ってくるのが、スコフィールド・キッドに相当する沢田五郎ではなく、ネッドに相当する金吾に変更されたことだ。オリジナル版ではネッドが保安官に殺されたことでマニーはがらりと人が変わるが、これは堅気の仕事についていたネッドを賞金稼ぎに誘ったのがマニーだから、彼の死に責任を感じて当然だ。時代劇版では金吾自らが十兵衛を探して賞金稼ぎに誘っており、報復の動機としてはいささか弱くなる。おそらく、金吾の家庭環境描写をカットしたかったのだろう。ネッドがインディアンの女性と平穏に暮らしていたところはオリジナルでも意味のあるシーンなので、なぜ、賞金稼ぎを決意した十兵衛から誘う話にしなかったのか理解に苦しむ。そのくせ、オリジナル版では若さゆえに賞金稼ぎを目指し、マニー達に見栄を張って「 俺は五人、殺している 」と豪語するスコフィールド・キッドに相当する沢田五郎には不幸な生い立ちを設定し、それを賞金稼ぎの重要な動機として説明しているのだから意味がわからない。
一番許せないのは、クライマックスの対決シーンだ。ここさえ、きちんと押さえてくれたら、他は全て許しても良かったくらいだった。しかし、オリジナル版に近い形で警察署長大石一蔵（佐藤浩市）以下と対峙するのだが、人斬り十兵衛（渡辺謙）の戦いぶりが全くいけない。迫力はそこそこあるし、勝つには勝つのだが、自らも深手を負う。ここはオリジナル版通り、「 恐ろしいまでの圧倒的な強さ 」を見せつける必要がある。このクライマックスの対決シーンこそ、本作品で最も重要な戦闘描写であって、冒頭の追跡隊を皆殺しにするシーンなど全く不要なのだ。ましてや、冒頭のシーンを劇中何度もフラッシュバックして見せることに意味はない。オリジナル版を尊重する気持ちがあるなら、十兵衛は一刀のもと鮮やかに大石一蔵（佐藤浩市）を斬り伏せねばならない。大石以外の巡査達など、十兵衛に太刀打ちできるわけもなく、赤子の腕をひねるがごとくバッサバッサと斬り捨てられる。そして、最後に瀕死の大石に引導を渡す、これこそが「 あるべき正しい時代劇リメイク 」の姿なのだ。剣客としてひとかどの強さを誇る大石を呆気なく倒し、十兵衛の桁違いの強さと恐ろしさを観客に見せ付けることで、彼に剣を捨てさせた「 妻の存在の大きさ 」が俄然迫ってくるのだ。時代劇版制作陣は「 会心のアクションシーンが撮れた 」としたり顔なのだろうが、こんなものは笑止千万。さらには、深手を負った十兵衛が子ども達の元に帰らず、沢田五郎と顔を切られた娼婦（忽那汐里）が十兵衛の替わりに子ども達と暮らしていくラストシーンには呆然とさせられた。オリジナル版の温かく爽やかなエンディングをなぜ踏襲しなかったのか、本当に哀しいよ。
オリジナル版をこの先、何度も繰り返し観るのは間違いないが、時代劇版は二度と観ることはない。時代劇版は私にとって、正に『 許されざるリメイク 』である。
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