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原始仏教コミュの二力 「思考力と修習力」 賢者と勇者

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「考える力と為す力」の二力を鍛えて解脱しようという話です。



     [思考力]       [修習力]
 定義1.三悪行の結果予測力   三悪根を断つ有学力
 定義2.三悪行の結果予測力   七覚支を修習する力
 定義3.三悪行の結果予測力   四禅那を修習する力





(『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P78−81 に相当)




増支部経典>一集

「     第二品 争論品
11.比丘たちよ、これら二つの力がある。何が二か。
 思考力と修習力である。

 比丘たちよ、何が思考力か。
 比丘たちよ、ここにある者がこう思考する。
「身悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 語悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 意悪行には現世と未来においても悪の報いがある」と。
 彼はこう思考して身悪行を断ち身善行を修習し、
 語悪行を断ち語善行を修習し、
 意悪行を断ち意善行を修習し、
 自己の清浄を擁護する。
 比丘たちよ、これが思考力と言われる。

 比丘たちよ、修習力とは何か。
 比丘たちよ、これらのうちのこの修習力は有学の力である。
 比丘たちよ、有学の力は貪を断ち、瞋を断ち、癡を断つことに行く。
 貪を断ち、瞋を断ち、癡を断つゆえに、彼は不善を為さず、悪を習わない。
 比丘たちよ、これが修習力と言われる。
 比丘たちよ、これら二つの力がある。


12.比丘たちよ、これら二つの力がある。何が二か。
 思考力と修習力である。

 比丘たちよ、何が思考力か。
「身悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 語悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 意悪行には現世と未来においても悪の報いがある」と。
 彼はこう思考して身悪行を断ち身善行を修習し、
 語悪行を断ち語善行を修習し、
 意悪行を断ち意善行を修習し、
 自己の清浄を擁護する。
 比丘たちよ、これが思考力と言われる。

 比丘たちよ、修習力とは何か。
 比丘たちよ、ここに比丘は遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く念覚支を修習し、
 遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く法察覚支を修習し、
 遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く精進覚支を修習し、
 遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く喜覚支を修習し、
 遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く静止覚支を修習し、
 遠離に依拠し、離貪に依拠し、滅に依拠し、放棄に行き着く捨覚支を修習する。
 比丘たちよ、これが修習力と言われる。
 比丘たちよ、これら二つの力がある。


13.比丘たちよ、これら二つの力がある。何が二か。
 思考力と修習力である。

 比丘たちよ、何が思考力か。
「身悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 語悪行には現世と未来においても悪の報いがあり、
 意悪行には現世と未来においても悪の報いがある」と。
 彼はこう思考して身悪行を断ち身善行を修習し、
 語悪行を断ち語善行を修習し、
 意悪行を断ち意善行を修習し、
 自己の清浄を擁護する。
 比丘たちよ、これが思考力と言われる。

 比丘たちよ、修習力とは何か。
 比丘たちよ、ここに比丘は欲を遠離し不善法を遠離し、有尋有伺であり、遠離によって生じる喜と楽がある第一禅那を具足して住する。
 無尋無伺にして寂静であり、内に歓喜があり、心の一境性があり、無尋無伺のサマーディによって生じる喜と楽がある第二禅那を具足して住する。
 喜を離貪することと捨に住することと念があり自覚があることと、身体によって楽を感受することとがあり、聖者たちが「捨す者・念じる者・楽に住する者」と説くところの第三禅那を具足して住する。
 楽を断つことと苦を断つこととがあり、先に喜と憂は滅しており、不苦不楽であり、捨・念によって完全に清浄となっている第四禅那を具足して住する。
 比丘たちよ、これが修習力と言われる。
 比丘たちよ、これら二つの力がある。 」

   (『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P78−81 に相当)



 思考力:パティサンカーナ・バラ paṭisaṅkhāna bara 
     パティサンカーナは「省察、思択、考察」、バラは「力」
 修習力:バーヴァナー・バラ bhāvanā bara
     バーヴァナーは「修習、修、修行」
     「思考力と修行力」でもいいと思います。

 


仏教に限らず何にでもある二つの力です。

考える力は「こうすればいいだろう。こうしたら悪いだろうからやめておこう」と事前に頭の中でシミュレーションする力です。誰でもこの力を持っていますし、毎日無意識ですが行なっています。「進学すればいいだろう。あそこに就職できればいいだろう。貯金しておこう。犯罪はやめておこう」などです。ゴータマは特に「三悪行の報いを考えると、三悪行は自分にとってよくないからそれを断って自己の清浄、罪を犯していない状態を守る」ということを言っています。

実行力は「考えたことや計画を実行する力」です。実行は自分の考えを信じていなければできないことですから、難しいです。人がいつも実行しているのは「当たり前」と感じる仕事や生活行動が大半で、「新しいことに取り組む」ということは誰にとっても難しいことです。事前によく考えて確信に達しておかないと精進力も生じません。夢を見るのは簡単ですが、夢の実現のために努力する人が少ないことからもよくわかります。ゴータマは「貪瞋癡を断つための修習である七覚支と四禅」を特に言っています。会社の仕事を実行することや夢の実現に向けた実行もとても価値があるものですが、貪瞋癡を断つための実行こそが最高の利益だということです。



思考力と修習力の変わりに「慧力と精進力」を対応させる場合もあります。

思考力を「現実の通りに知る働き」、修習力を「現実を別なものに変える働き」ととらえれば、「明と行」ととらえてもいいと思います。明行具足して貪瞋癡を根絶するということです。全知全能の存在者はいませんが、全知全能で分類すれば全知が思考力、全能が修習力となると思います。全知全能を目指して修行するということであり、漏尽・解脱はその過程にあります。




思考力は「善悪を判断して悪をしない」ことです。ですから「悪を断つ」。
修習力は「善と判断されたことをする」ことです。ですから「善を修す」。

思考力は「三悪行をしない」。これは「生じていない悪を生じさせない正精進」。
修習力は「貪瞋癡を断つ」。これは「生じた悪を断つ正精進」。


もちろん二力とも
「三悪行と貪瞋癡という生じていない悪を生じさせないための正精進」でもあり、
「すでに生じている三悪行と貪瞋癡を断つための正精進」でもあり、
「まだ生じていない二力を生じさせるための正精進」でもあり、
「生じた二力を三悪根絶という完成に向けるための正精進」でもあります。


他にも無限のバリエーションがあります。
「五蓋を原因として生じる不利益を知る思考力」と「五蓋を断つための修習力」。
「八邪を原因として生じる不利益を知る思考力」と「八邪を断つための修習力」。
「十悪を原因として生じる不利益を知る思考力」と「十悪を断つための修習力」。
五蓋や八邪道や十悪業道以外にも、在家の場合は「怠け」「浪費」「犯罪」「怒り」「妬み」などを原因として生じる不利益を知って、それを断つために努力をしても構いません。「優しくなれば愛される」と考えて「優しい三善行」を修習するのも在家出家を問わず利益が多いと思います。



まとめれば、在家でも出家でも日常生活でも修行生活でも「考えて実行していればいい」ということです。自分が今までの人生で「どれだけ先のことを考えてこれたか」、そして「どれだけ考えたことを実行してきたか」を思えば、自分の思考力と修習力がどれぐらいのレベルか判断できると思います。後は原因と結果を知る「未来予測力」を鍛えて「よい未来に向けてどんどん努力する」だけで、自分の信じる未来が次第に見えて来ると思います。手堅いのは「三悪行をやめて貪瞋癡を断つこと」です。



出来る限り遠くまで未来予測できるのが「賢者」であり、
目的を達成するまで決して努力をやめない者が「勇者」だと思います。
両方できる人は「最強」です。

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