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原始仏教コミュのスケベ第一 「ウダーイ尊者」

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エロ比丘代表のウダーイ尊者を紹介します。堅い話ばかりだったのでこれで一息ついてください。






  1.下ネタとしての粗悪語   第一〜第三僧残
  2.性行為を強要する宗教家  第四僧残
  3.結婚仲介の禁止(出家のみ)第五僧残 
  4.ウダーイの二不定とパーチッティヤ
  
  おまけ.デーヴァダッタの五律








1.下ネタとしての粗悪語 duṭṭhulla vācā 第三僧残


 僧残(そうざん)は六日間の隔離別居の罰となる罪です。
 一人ぼっちで寂しく反省させられます。



第一僧残は「自慰による射精の禁止」です。

尊者セッヤサカが欲求不満で餓鬼のような様相になっていたところウダーイが言いました。
「どうしたのか、顔色が悪いよ」
「修行が面白くないんだ」
「それなら食べたいだけ食べて、寝たいだけ寝て、入りたいだけ風呂に入って、さらに自慰して精液を出せばいいよ」
「そんなことが許されているのか」
「もちろんだとも。私はいつもそうしているよ」。
そして、セッヤサカも欲求不満を解消して健康的に太って元気になってウダーイの友達になりました。・・・というだけでは済まなくて、それがバレてゴータマにぼこぼこに叱責されます。以後「射精禁止令」がサンガに布かれます。




第二僧残は「お触り禁止」です。

尊者ウダーイの住居は絢爛豪華として有名な建築物で多くの女性が見学に訪ねて来ていました。あるときバラモン夫婦が仲良く見学に来ましたが、ウダーイは窓を開けつつ奥さんの後ろについて色々なところをお触りしました。見学が終わって夫婦二人きりになったときに夫が称賛していわく。
「ウダーイ尊者は実に素晴らしいお方じゃないか」
「そんなことがあるものですか。あの人はあなたが私を触るように触って来ました」。
夫は憤慨。ゴータマに呼び出し。叱責。新たに「お触り禁止」のパーティモッカ(戒律・学足)が設定されました。



第三僧残は「下ネタ禁止」です。

前回同様、女性たちがウダーイの家を見学に来ました。女性たちに触ることが駄目ならせめて会話だけでもとウダーイ尊者は性器や性行為に関する猥褻な話をしました。たとえば「いつやるのか。どうやるのか。どんな形状か。こうしたほうがいい。ああしたほうがいい。それではいけない。云々」。恥知らずな女性たちはともに楽しんだが、恥を知る女性は憤慨し、再び噂になってゴータマに呼び出しされて叱責、新たに「下ネタ禁止」のパーティモッカが設定されました。

在家の言葉の戒律における第三である「粗悪語」(そあくご)とは、ここでは主に下ネタを指すようです。下ネタは僧残の罪ですが、悪口や罵倒はパーチッティヤ(三人以上の前で懺悔)の罪です。不快な言葉はすべて粗悪語でよいと思います。


「『粗悪語』とは、大小便道・淫欲法に関する言葉である。
 『語る』とは、若者が娘に対し、青年が女性に対し、性交を欲する男性が性交を欲する女性に対して語ることをいう。・・・
 『乞う』とは「私にやらせろ」、「私にやらせるのはよい」と言う」(南伝1 P215)


出家でなくとも人が不快になる話や怒鳴り声や不快な口調は人に嫌われる元です。



 



2.性行為を強要する宗教家


第四僧残は「私と性行為することが最高の功徳になるのだよ」の禁止です。

尊者ウダーイは色々な在家と仲良くしていましたが、特に美人な一人の未亡人がいました。その女性宅に上がり込んだウダーイは彼女に説法して喜ばせて、女性はこう言いました。
「先生、欲しいものを言ってください。衣食住薬なら何でも」
「妹よ、それは得難いものではない。それは得難いものではないのだ。
 しかし私たちにとっては『得難きもの』、それを与えなさい」
「先生、『得難きもの』とは何でしょうか」
「・・・性行為の法である」
「先生、欲しいのですか」
「妹よ、欲しいのだ」
「・・・それでは先生、来てください」
彼女は寝室に入って服をはだいて仰向けに横たわった。ウダーイはその女性に近づいて「誰がこの汚らわしく悪臭のするところに触れるのか」と言って唾を吐き捨てて去った。女性は人々に非難した。「どうして私が悪いのか。どうして私に悪臭があるのか」と。他の女性たちも彼女に与した。街の噂がゴータマの耳に入った。呼び出し。叱責。パーティモッカ設定。

「いずれの比丘といえども、欲情を起こし、女性の前で自己のための性行為による供養を賛嘆して言う。
 妹よ、私のような持戒者・善法ある者・梵行者にこの法によって供養するならば、それはあらゆる供養のうち最上である。
 このように、性行為の法に結びつければ僧残である」と。

他のマイナーな宗教や教えでは性行為を捧げることは一種の供養である場合もあるかも知れませんが、メジャーな宗教や原始仏教では女性信者が修行者に肉体を捧げたり、性的な奉仕をすることは供養にならず、堕落の一因とみなされます。これは第四僧残です。

ウダーイ尊者は自慰が禁止され、お触りが禁止され、下ネタも禁止されて、ついに壊れてしまったかに見えましたが、最後に理性が勝ちました。






3.結婚仲介の禁止 


第五僧残は結婚仲介禁止です。

また尊者ウダーイですが、彼は顔が広いので未婚の男女をよく知り、双方の両親に「こういうお相手がいますよ」と紹介していた。普通に円満な結婚の場合はよかったのですが「俺はあの子と結婚したいがあの子は嫌がる。ウダーイ頼む」と男性側の都合で結婚させられた女性陣に多く恨まれていました。彼女たちは「私たちは悪い舅や姑や夫のせいで苦しんでいる。ウダーイも苦しめ」と呪っていたのです。

一方で幸せな結婚をした女性たちは「私たちはよい舅や姑や夫のおかげで幸せだ。ウダーイも幸せにならんことを」と祝福しました。これが例によって街で噂になり「どうしてウダーイは結婚の仲介をするのか」と人々は憤慨。。ゴータマ登場。叱責。パーティモッカ設定。

「いずれの比丘といえども仲介を行なえば、即ち女性に男性の思いを伝え、男性に女性の思いを伝え、あるいは夫婦にさせ、あるいは愛人にさせれば僧残である」。



ウダーイはその後、風俗嬢に頼まれて客を紹介しました。「夫婦でないし一時的だからいいだろう」と。しかしゴータマ出現。叱責。「一時的な逢い引きの手引きも禁止」とのこと。全てが禁止されると己の欲望充足を外部の人間だけでも満たして欲しいと感情移入するものです。「自分は彼女に相応しくないから、せめてお前がものにしてくれ」というようなものです。しかしそれまでも禁止されてしまったウダーイ尊者はいったいどこへ行くのか。


こうして第一僧残から第五僧残の男女関係のパーティモッカは全てウダーイ尊者を原因として設定されました。彼はサンガでも次第にエロ比丘としての評価を固めて行きます。





4.ウダーイの二不定とパーチッティヤ

波羅夷(パーラージカ。破門の罪)や僧残とは別の罪である「不定」(ふじょう。状況によって罪の重さが変わるため定まっていないの意)という罪が二つあるのですが、それもまたウダーイ尊者を因縁とします。顔が広いウダーイ尊者はお気に入りの在家女性が嫁いだのを知って、そこを訪ねたところまではよいのですが「性行為可能な寝室で二人っきり」の説法タイムを楽しんだのでした。

そのとき有名な優婆夷であるヴィサーカー・ミガーラマーターが運悪くその家を訪ねて来て、ウダーイを発見したので彼には都合が悪い。「先生、そういう場所で女性と二人でいるのはよくありません。そういうつもりでなくとも誤解されます」と言うがウダーイは言うことを聞かない。それが噂になり疑惑を呼び、ゴータマ出現。「性行為可能な場所で女性と二人っきりでいたのを在家の女性が見たならば、彼女の証言に応じて裁かれる」というパーティモッカです。


寝室に類いする場所で女性と二人っきりが禁止されたので、ウダーイは「寝室が駄目なら広いところならいいだろう」とその女性を広場のようなところに呼び出してまた二人っきりで会話を楽しんでいました。ときには一緒に立って、ときには一緒に座って。しかし、またしても恋路の邪魔をする宿敵ヴィサーカーが現れて同様の文句を言います。ウダーイは女性と喋りたいので言うことを聞きません。それでヴィサーカーは比丘たちに告げ口してゴータマ出現。「性行為可能な場所でなくとも、粗悪語を語るに適した場所があり、そこで女性と二人でいるのを在家の女性が見たならば彼女の証言に従って裁かれる」と新たに設定。こうしてウダーイ尊者は女性と二人っきりで語る楽しみを奪われました。



他にもパーチッティヤの罪(比丘三人以上の前で懺悔)のいくつかはウダーイ尊者によるものです。以下はウダーイを原因とするパーチッティヤの罪のいくつかです。



第7パーチッティヤ。ウダーイが嫁と姑を別々に二人っきりで説法したら、お互いが「私の悪口をウダーイ先生に言っているのではないか」と疑心暗鬼になった。そのせいでゴータマによって「五、六語以上女性に説法してはならない」と設定されました。


第26パーチッティヤ。ある比丘尼に「私のために衣を縫って」とお願いされたウダーイは頑張って奮発して「性行為をしている男女」を中央に縫い上げました。ウダーイいわく、
「これを比丘尼サンガの集会に着ていきなさい」
「はい」。
こうしてその比丘尼は性行為のプリント袈裟を比丘尼たちにお披露目するのですが、ぼこぼこに責められて「ウダーイ比丘が作ってくれました」と白状します。こうして「親族以外の比丘尼のために縫ったり、縫われてはいけない」と設定されました。


第30パーチッティヤ。ウダーイ尊者は在家女性と二人っきりが禁止されたので「在家女性が駄目なら比丘尼ならいいだろう」と比丘尼と二人っきりで会話を楽しんでいたら、またゴータマに禁止されました。本格的にウダーイは色気のない日々に突入します。そのストレスは別の生物であるカラスに吐き出されることになります。


第61パーチッティヤ。ウダーイは弓使いでカラスが大嫌いだったので、カラスを射殺して頭を切断して串刺しにしてやっていました。比丘たちが尋ねて来ました。
「このカラスたちはいったい誰が殺したのだろうか」
「私だよ。友よ。私はカラスが嫌いなんでね」とウダーイ。
ゴータマ出現。「故意に生物の命を奪えばパーチッティヤである」。殺人に比べて動物殺傷の罪は有罪は有罪でもはるかに軽いのです。ウダーイは弓道をも極めていました。伊達にプレイボーイではありません。彼は身長も非常に高かったのでモテたのです(「ときに尊者ウダーイは身長が長大であった」南伝2 P270)。





ウダーイの長所は顔が広いところとブッダ・ゴータマが大好きなところです。ダンマもサンガも嫌いでスケベなことが大好き。ただゴータマが好きだから出家しただけ。しかし、後に五取蘊の生滅の考察によって流れに入って「先生、私は七覚支を手に入れました」「そうなのだ、そうなのだ、ウダーイよ」とゴータマも喜びました。ゴータマが本当に好きなら、五取蘊の生滅を観じて流れに入るはずだということです。

このように単にスケベなだけでなく後に「流れに入った」ところがウダーイ尊者のすごいところです。ゆえにウダーイ尊者は「スケベ第一」として殿堂入りし、その称号を獲得しました(もちろんそのような称号は原始仏典にはなく僕が勝手に造っただけです。ウダーイは「◎◎第一」の称号は一つもありません)。


ウダーイの武勇伝は他にもあって性欲旺盛で度重なる自慰行為によって繰り返し別住をさせられても決して還俗せずにめげませんでした。さらに驚くべきことに元妻の比丘尼と密会して互いの性器を露出して見せ合うだけで、手を使わずに射精したという離れ業をやってのけました。手を触れなければ僧残にはならないからです。元妻の比丘尼も「つわもの」でそのウダーイが出した精液の一部を口に入れて飲み込み、その残りの精液を自分の性器に入れてしまいました。さらに凄い事にそれで「妊娠した」と書いてありますから、僕にはもう何が何やらわけがわかりません。半分ネタになってしまっています。この件も結局明らかになってゴータマに叱責され、サンガ中が知ることになるのですから、二人は明らかに狙ってます。詳しくは南伝1のP347です。短い記述なので引用してもいいのですが要望があれば。


出家者たち男女双方の煩悩剥き出しの凡人っぷりは昔も今も変わりません。ウダーイの上を行く悪比丘はまだまだいます。ウダーイは可愛いほうです。今では流れに入った聖者ですから、天界で思う存分、女性と楽しんでいるはずです。






おまけ.デーヴァダッタの五律

 一 生涯、人里離れたところに住むべきであり、聚落に至れば罪である。
 二 生涯、乞食者であるべきであり、招待されれば罪である。
 三 生涯、糞掃衣あるべきであり、在家の服を着れば罪である。
 四 生涯、木の下に住むべきであり、家屋に住めば罪である。
 五 生涯、魚肉を食べないべきであり、魚肉を食べれば罪である。

「この五事を沙門ゴータマは許さないだろう。私たちはこの五事をもって人々に知らせよう。友よ、私たちはこの五事によって沙門ゴータマに対して破僧・破輪をなすことを得るだろう。実に人々は貧しく苦しい行を信じるものだから」。これをゴータマに告げたデーヴァダッタ。

「やめよ、デーヴァダッタ。
 欲する者は人里離れたところに住み、欲するものは聚落に住しなさい。
 欲する者は乞食し、欲する者は招待されて食を受けなさい。
 欲する者は糞掃衣を着て、欲する者は在家の服を着なさい。
 デーヴァダッタ、私は八ヶ月の樹下住を許している。
 また見ず・聞かず・疑われない三点清浄の魚肉を許している」。

デーヴァダッタは「沙門ゴータマは許さない」と喜んだ。信心しない在家は「沙門ゴータマは贅沢だ」とし、信心する在家は「デーヴァダッタはなぜ破僧を企てるのか」と非難した。南伝1のP288です。

「肉食禁止」と主張する人はいつの時代もいなくなることはありませんが、原始仏教においては「肉食禁止と叫ぶこと自体が非仏説・非仏教」です。ゴータマは「やめよ」と言っています。ただ「ブッダも仏教もどうでもいい、とにかく肉食は禁止だ」という人にはこの説は抑止力を持ちません。

コメント(9)

みなさんにそう言っていただけて書いた甲斐がありました。嬉しく思います。今回書いたウダーイの武勇伝に関してはちょこちょこと原始仏典コミュニティのほうに、原典の翻訳を載せていきたいと思っています。本当にそんな話が原始仏典に記述されているのかと確認されたい方も多いでしょうから。

またいずれこれに似たような記述も紹介したいと考えています。
・第4波逸提 「教えを在家と一緒に朗読することの禁止」
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47176309&comm_id=951429


のトピックを作成しましたので参考にしてみてください。このトピック本文では「上座仏教は違反している」という前提の記述で書いてしまいましたが、今回詳細に調べてみて「免責事項」があることに気付きました。それで「上座仏教は違反ではない可能性」が出て来ましたのでご自身で確認してみてください。僕自身は違反の有無についての明言は控えさせていただきます。トピック本文の誤解を与える記述は近いうちに削除・変更する予定です。数日後に。


誤解させるような書き方をしてしまいましたので頑張って調べました。
七覚支が得意なのはマハーコッティタでなく、ウパヴァーナでした。訂正します。


サーリプッタも七覚支が得意なのですが、そのサーリプッタがウパヴァーナに七覚支について質問する箇所が一カ所あります。


相応部経典>大篇

「   第八 ウパヴァーナ
 あるとき尊者ウパヴァーナと尊者サーリプッタはコーサンビーのゴーシタ園に住んでいた。
 ときに尊者サーリプッタは夕方に黙想から起って、尊者ウパヴァーナを訪ねた。訪ねて尊者ウパヴァーナとともに挨拶し記憶すべき会話を交わして一方に座った。一方に座った尊者サーリプッタは尊者ウパヴァーナに言った。

 友ウパヴァーナ、比丘は「内に根本作意してこの七覚支をこのように善く成し遂げれば楽住に転じる」と知るだろうか。

 友サーリプッタ、比丘は「内に根本作意してこの七覚支をこのように善く成し遂げれば楽住に転じる」と知るだろう。

 友よ、比丘は念覚支を起こせば「私の心は善く解脱し、私は惛眠を善く永く断ち、私は掉悔を善く制御し、私は精進を起こし、希求して作意し、退縮しない」と知る。
 法察覚支を起こせば「私の心は善く解脱し、私は惛眠を善く永く断ち、私は掉悔を善く制御し、私は精進を起こし、希求して作意し、退縮しない」と知る。
 精進覚支・・・喜覚支・・・静止覚支・・・定覚支・・・
 捨覚支を起こせば「私の心は善く解脱し、私は惛眠を善く永く断ち、私は掉悔を善く制御し、私は精進を起こし、希求して作意し、退縮しない」と知る。

 友サーリプッタ、このように比丘は「内に根本作意してこの七覚支をこのように善く成し遂げれば楽住に転じる」と知るだろう。(経終わる)」(南伝16上 P263−264)



正覚に転じる七覚支の義を修行者はそれぞれに自覚し、七覚支を原因として生じる結果について通達すれば、七覚支を修習するに疑いがないということでしょう。七覚支の義は善く心が離脱し、五蓋を断じるゆえに楽住に転じることが述べられています。

ウパヴァーナが七覚支について語るのはここだけですが、サーリプッタに質問されるということはかなりのものだと思います。
ウダーイの勇姿に感動し、希望をもらいました。

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