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新古今和歌集私撰:百人の歌人コミュの宮内卿

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うすくこき野辺のみどりの若草に
        跡までみゆる雪のむら消え(新古79)


 宮内卿の歌は視覚的で彩りのある歌の姿は
絵画的とさえ言っていい。
視覚的で彩りのある歌といえば、伊勢がいる。
しかし、伊勢と宮内卿では大きく違う歌人だ。
伊勢は若い女性の感性を奔放に広げた自分だけの
世界を歌の中で作り上げている。
宮内卿も若い女性の感性が触れ合う世界を
自分の中で再構成して歌を作っていることは
同じだが、伊勢があくまで自分の感性に
軸を置いているのに、宮内卿は王朝文化の
象徴である古典詩歌のもつ感性の型に
自分の感性を沿わせたところで歌を作っている。
「かきくらしなお古里の雪のうちに跡こそみえね
春は来にけり(新古4)という彼女の歌が、
新古今のトップである「春歌」に良経、後鳥羽、
式子内親王の後に置かれるのはそのためである。

 宮内卿は伊勢よりも陰影をもった歌人である。
上掲の歌で言えば、この歌を支える「跡までみゆる」
という語句にこの作者の感性を支える特徴がある。
前半で野辺の草に色艶の違いが模様と
なってみえる様を詠み、後半でその様子を
背景として残雪がまばらに見えることで
若草をいっそう際立たせると詠んでいる。
草花の「うすくこき」に残雪の「跡までみゆる」と
連想上の縁語をもって、前半と後半の
絵画的な道具立てのバランスをとっている
言葉使いに見える。
直感的に言えば、作者の歌作りの出発点と
なったのはこの「跡までみゆる」という
語句である。
宮内卿は跡という言葉をしばしば使っている。

かきくらしなお古里の雪のうちに
       跡こそみえね春は来にけり(新古4)

花さそふひらの山かぜ吹きにけり
       こぎゆく舟のあと見ゆるまで(新古128)

この歌では作者にとっての「跡」という言葉がどんな
影を作っているかがよりわかる。「跡こそみえな」と
いう言葉に作者がこころのどこかに抱えている、
生きている頼りなさが表れている。
硬い言葉を使えば、自分の中にどこか「不在」している
ものがあるのだ。
伊勢が若い女性の持つ感性が自分は生きているのだと
いう喜びを軸に花開いているのに、宮内卿は正反対である。
宮内卿は早くからいずれ自分がこの世界から
消えていく存在だと意識していた人である。
宮内卿は歌を作れば作るほど、自分の中の「不在感」を
意識していったのだと思う。
この「不在感」は宮内卿の歌に、いろいろな形で
現れている。
宮内卿には恋の歌がほとんど見当たらない。

きくやいかにうはの空なる風だにも
        松に音するならひありとは(新古1199)

通常は頼りのない相手の情の薄さを詠んだ歌という
解釈がされている。
その解釈はそのとおりと思いながら、常套的な恋の
やりとりの形を借りて、作者は自分の中の「不在感」
の意味を誰にともなく問いただしている気がしてならない。
その心情が砧の歌につながっていると思えるのだ。

まどろまでながめよとてのすさびかな
         麻のさ衣月にうつ声(新古479)

と詠んだ砧の音に、死に傾斜する心情を引き戻そうとする
思いを感じていたのだろう。
その「不在感」が古典詩歌のもつ華やかな色彩に溶け
込んでいる。

 宮内卿の歌で注意を惹くのは、庶民について
新古今のほかの歌人にはない見方をしていることだ。

まどろまでながめよとてのすさびかな
           麻のさ衣月にうつ声(新古479)

心あるをじまのあまの袂かな
           月やどれとはぬれぬ物から(新古399)

月をなほ待つらんものかむら雨の
           晴れ行く雲の末の里人(新古423)

新古今に限らないが、当時の歌人は宮廷人と
その周辺の人ばかりである。
当時の宮廷人には、庶民は自分たちの世界の外に
いる異質な存在であり、新古今の歌に現れた庶民は
遠くに見える景色と同じような一種のエキゾシズム
の対象でしかない。
その中で宮内卿はもっと庶民に身を近づけた
歌を作っている。庶民を自分たち貴族と
同等の視線で見ている。
この数種を踏まえて、宮内卿が庶民の視点から
歌を作っているというつもりはない。
宮内卿の歌に現れる庶民はあくまで作者の心象であり、
庶民を歌の世界に登場させる作者の気持ちを伺う
べきだろう。
そこに宮内卿の古典詩歌の型から出ようとする
試みを見ることも出来るが、根本的には作者が
貴族階級の生活圏からはみ出てしまう感性を
もっているとも見るのが正しいのだと思う。

 宮内卿は20歳前後で早くに亡くなったと言われる。
もしももっと永らえていたらどんな歌を詠んだのかと
興味深い。
定家に代表されがちな新古今和歌集の姿は少しく
変わっていたのかもしれない。
 新古今は15首、八代集抄は9首を採っている。
これほどの歌人なのに「宮内卿歌集」があった
という記録は見当たらない。

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