これは、詩人としても知られる中川龍太郎監督の最新作。
福地桃子と河�鹹照�が主人公母娘を演じる。共演は、寛一郎、朝倉あき、南沙良、三浦貴大など。
東京でフリースクールを運営するNPOで働く未知は、母親の可那子が倒れた、との連絡を受けて故郷の奈良に戻る。
そこで知らされたのが、母親ががんを患いながら治療を拒否している、と言う事実だった。母親を嫌っていた未知だが、それでも、休職して母親の闘病生活をサポートするのだが、母娘の確執は深まるばかり。そんな未知を心配して、夫で演出家の登志蔵も奈良にやって来るが……
映画は、登志蔵が演出する舞台劇のオーディションに始まり、舞台劇の製作進行と、未知の日常と母との暮らしを並行して描いて行く……その舞台劇は、実は母・可那子が38年前に経験した別離を描いたものであり、最後にひとつになる巧みな語り口を見せるのだ――ただし、これはあまり効果的とは思えず、劇中劇と言うメタ的な構造が作品強度を弱める、と河�鹹照�からも言われているのだが……
ある過去から極端に批判的・冷笑的な人物となった可那子と、そんな母に抑圧されて育ち、本心を出さず正論と建前で生きて来た未知……映画前半は、そんな2人の確執と軋轢を描き、やがては登志蔵を前にしての未知の大爆発となるのは、この映画の見せ場だろう。
丸顔の童顔で、まだ少女のようにも見える福地桃子が激しい怒りを見せる演技に驚かされるが、それまでの舌鋒鋭い毒親ぶりを見せ付ける河�鹹照�の役者としての巧さにも舌を巻いた。
ただ、それをピークにして母娘の確執が収まってしまうのには正直拍子抜けでもあった――映画は、そこから母が詰められなかった距離を娘の未知が詰め、それを登志蔵が舞台劇として昇華する事で綺麗にまとめて見せる――だが、欲しかったのは、“これから”を生きる未知が、生き方を変える事、そして自身も母となるに当たっての覚悟ではなかったろうか?
中川龍太郎監督は、詩人らしく観念的で、美しい言葉と情景を描き出すのだが、母娘の情念を描く、この物語に欲しかったのは、もっと生々しい生と死のドラマであったように思う。
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