実在はかたちなき抽象である
実在のサブ性質であるワクワクから
そこに点もしくは内側を想定する
その想定を現実と信じる(催眠)
現実化した点もしくは内側
はさらなる衝動により
の
点もしくは内側の
外側を、その枠内においてつくりだす。
(真の実在つまり現実を忘れたため、点もしくは内側以前をおもいだせないためである)
つくりだした外側には境界がないようにみえるが無限ではない
なぜなら
点もしくは内側自体が、外側の有限性をあらわしているため、
外側には外周はいらないのである
つまりは
点もしくは内側
が
外側の限界(つまり外周)なのである
なぜなら
内側の、中に、外側がつくられたからである
それを忘れて
外側にいわゆる外周があり、その外周が外側の限界であるとするなら、
次は
外側のさらなる外側に、あたかも枠のない、
さらなる外側があらわれるかのようになる。
しかし、そのさらなる外側の限界とは、その1段階前の外側のことなのだ。
なぜなら、じつは
さらなる外側は、1段階前の外側という概念のあとに、つまりは、その中につくられたからである。
しかし、それがわからず、
さらなる外側のさらに外側があるはずだと、探求がつづく。
しかし、ほんとうはさらなる外側の真のそとがわ(つまり解放とは、その1段階まえの外側であるし、
その外側にとっての真の解放は、点もしくは内側のことであり、
さいしょの点もしくは内側の真の解放は無条件、無努力のナチュラルな抽象)なのである
つまり内側と外側の探求は
じつはそれらのプロセスは拡大ではなく
もはやその逆なのである。概念の中に概念を想定していくプロセスだからである。
はなしをもどすが
最初の点もしくは内側を現実化した催眠には
もう一方向の妄想も生まれる
抽象を忘れた、現実化した点もしくは内側にとっては
その催眠以前の状態を概念でとらえようとする
すなわち
点もしくは内側、よりも、源という概念、である
これもまた枠のない無限のようにみえているが
しかし、その限界は、最初の点もしくは内側があるかぎり、その点もしくは内側というのが源という概念の限界をあらわしているのである
。
このように
どちらの方向の探求でも
どこにもいきつかず
その限界は自らにもどってくる閉じられた世界である
外周ではなく、自らというのがその限界だからだ
そして袋小路の最初の点もしくは内側
の現実化催眠(大自我)は
催眠にあるかぎり、どうにもならない
しかし
催眠以前の無条件、無努力、ナチュラル、抽象により
催眠の解除があり
最初の空想(点もしくは内側)も終わるのである
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