世間の評判を聞けば聞くほど、劇場に出かける気持ちが萎えて来る話題の映画『Michael / マイケル』をIMAXレーザーで観た。マイケル・ジャクソンの熱狂的なファンほどネガティブな感想を口にし、中には「自分は絶対に観ない。いや、観たくない」という声まで耳にした。彼らがそう主張する気持ちはとてもよくわかる。マイケルの急逝(2009年6月25日)から17年。未だに心の整理がつかないのだろう。実は、私もいつしか本作を「観ないでも良い」と思うようになっていたのだが、末娘から「劇場で観るべき映画だよ、それもIMAXで!」と説得され、あまり気乗りしないまま出かけた次第。
期待せずに鑑賞しなかったのは正解だったと思う。心のハードルを思い切り下げて、まっさらな気持ちでスクリーンと向き合ったおかげで「マイケルの物語」に素直に集中できた。本物のマイケルが出演していないのだから、「顔が似ていない」とか「シルエットが違う」とか、まして「ダンスにキレがない」などというのは野暮だろう。粗を探せば、いくらでも出てくる。最愛の妹ジャネット・ジャクソンは出ていないし、深い絆で結ばれていたダイアナ・ロスのシーンは撮影済みにも関わらず、大人の事情で全カット。世間を騒がせた例の「疑惑事件」についても一切触れていない。登場人物相互の関係は明快に描けているとはいえないし、それぞれの心情を深く描くこともない。その時その時の「歴史的な瞬間」を切り出し、短い映像で見せるのみだ。ドラマとしては前後の繋がりが希薄で不親切にも思えるが、ミュージッククリップとクリップの間にドラマを挿入し、「マイケル・ジャクソンという偉大なエンターテイナーの半生を点描したもの」と本作を理解すると合点がいく。脚本はそのあたり、史実を脚色し、時系列を入れ替え、潔いまでに割り切っている。あまり深く掘り下げず、深刻にもせず、マイケルの軌跡を足早やに辿っていく本作は、私にとってちょうど良い塩梅だった。
最初はマイケルに似ておらず、多少違和感を覚えたジャファー・ジャクソン(マイケルの甥)が終盤に近づくにつれ、どんどん容姿が似てくる(ように見える)。おそらく、私は彼の姿に「マイケルの思い出」を重ねていたのだろう。ジャファー演じる、ドラマパートの「繊細で脆弱なマイケル」とライブステージパートの「自信に充ち溢れた、堂々たるマイケル」の落差には心底驚き、そして感動した。大スクリーンと大音響のIMAXで観られて、本当に良かった。マイケル・ジャクソンがいかに偉大なエンターテイナーだったかを本作は再認識させてくれた。
【物語】 インディアナ州のさびれた町ゲーリーに住む、貧しい黒人一家ジャクソンファミリー。父ジョセフは工場勤めの労働者だったが、早い時期から五男マイケルの音楽的才能に気づいていた。彼はマイケルをボーカルに、年長の兄弟四人と「ジャクソン5」というグループを編成し、連日、厳しい指導を行っていた。彼は「ジャクソン5」を成功に導くことで貧しい生活から脱出したいとの野望に突き動かされていたのだ。そのためには時々、反抗的な言動をするマイケルをベルトで激しく打擲する仕置きも辞さなかった。兄弟たちは父ジョセフの厳しい指導に従い、何もかもジョセフの言いなりだった。
小規模のライブハウスでのステージをいくつか成功させたある日、舞台袖で息子達のステージを見守っていたジョセフは音楽関係者らしい女性から声をかけられる。彼女は「モータウン」のスザンヌ・ド・パッセで、「ジャクソン5」の才能を高く評価し、「こちらから連絡するわ」とジョセフに名刺を渡す。「モータウン」の収録スタジオでベリー・ゴーディーはマイケルの個性的な歌唱に「ステップを踏むな」「マイクに近づけ」とあれこれと厳しくダメ出しをするが、何テイクか録り直しをするうちにゴーディーの表情が消えていく。マイケルの歌唱に聴き入った彼は最後にかすかに微笑みを浮かべた。マイケルにソロ歌手としての天性の才能があることをゴーディーが確信した瞬間だった。
その後、マイケルは「ジャクソン5」ではなく、ソロ活動を志向するようになり、エピックレコードの経営陣にソロアルバム制作を打診。アルバムのプロデュースはクィンシー・ジョーンズに依頼したいと胸中を明かす。その大胆な計画にエピックレコードは前のめりになるが、マイケルは「ソロアルバム制作について、あなたがたの発案としてジョセフを説得してほしい」と要望。さっそく、エピックレコードはジョセフの元に趣き、ソロ活動の許可を求めるが、予想に反してジョセフはあっさり承諾した。「ただし、9時から18時までは俺の時間だ。その間はマイケルにはジャクソン5として活動してもらう。それ以外の時間をどう使おうと、あんたがたの自由だ」 ジョセフはマイケル無しでは「ジャクソン5」が成立しないことを理解していた。「金の卵を産む鶏」を他人の手に委ねるつもりはなかった。
ソロ歌手として大好評を博したマイケルはスタジアム限定開催の全国ツァーを企画するが、ジョセフは許さない。「ソロとして認められたから、お前は家族を見棄てるつもりか? 最後までお前を守るのは家族だということを理解しろ」とジャクソン5の「ヴィクトリーツァー」に参加することを強要する。マイケルが今後のことについて、子どもの頃からボディーガード兼運転手として身辺警護する親友ビルに相談すると、ビルは「強い味方を集めてチームを作るんだ。まずは、有能な弁護士を探すことからはじめよう」とアドバイスしてくれた。たくさんの超一流タレントを顧客にもつ大手弁護士事務所にマイケルが相談に出かけると、会議机に座った大勢の弁護士の中で唯一、歯にもの着せず大胆かつ率直に意見をしてくれるジョン・ブランカと意気投合、「彼と二人だけで話したい」と指名する。ソロ活動を志向するマイケルと、あくまで「ジャクソン5」としての芸能活動に縛りつけようとするジョセフは険悪な関係になっていた。マイケルはブランカに「ジョセフをマネージャーから解雇してほしい」と要望するのだったが・・・。
この映画では、マイケル・ジャクソンの人生において父ジョセフがいかに大きく、厄介な存在であったのかを描いている。「ジョセフがいたからこそ、マイケル・ジャクソンは才能を開花させたのか? ジョセフがいたにも関わらず、マイケル・ジャクソンは大スターへの階段を駆け上がることができたのか?」 本作はその答えを提示しない。ジョセフの半生や心情を描くことをしないので、観客の目には野心家のジョセフが「言葉と体罰で家族を支配し、自らの虚栄心と冨のために奔走する父親」としか映らない。ペプシのCM収録現場でマイケルが重度の火傷を負い、死にかけたにも関わらず、主治医にジョセフが尋ねたのは「いつからステージに立てますか?」だった。ジョセフが登場する全てのシーンが緊張感に充ちているのは巧いと思う。
ボディーガードであり親友であるビルが陰になり日向になって献身的にマイケルを支える姿、同じく、意気投合しマイケルの夢の実現に協力を惜しまない弁護士のブランカについても、ほぼ断片的にしか描いていない。本来なら、彼らの心情やマイケルとの交流も丁寧に描くのだろうが、あえて、そこを掘り下げないのが潔く映る。
そして、何より興味深かったのが、新しい楽曲の着想を得たマイケルが仕事場にこもって、歌詞を紡ぎ、作曲していく姿や、母親とカウチポテト状態で連夜、映画鑑賞する中で、ミュージックビデオのアイデアを蓄積していく様だった。興味深いシーンであるにも関わらず、尺は短い。どんなアイデアがどんな曲に繋がっていくのか、どんなミュージックビデオが出来上がるのか細々とした説明もしない。曲名のテロップもないし、歌詞のテロップも出ない。登場人物の背景、心情描写を含め、おそらくは、本作を観た観客が「躍動する天才アーティスト、マイケル・ジャクソン」の思い出に浸る必要最低限の情報提供に留め、それ以外を全てノイズとして排除したからだろう。
本編の最期に「His story continues(彼の物語はまだ続く)」と出るが、本作が1988年のロンドンツァーのステージで終わったのは良い。続編製作の噂も耳にするが、続編を撮らず、このままきれいに終わらせる方が賢明だと思う。ちなみに、監督のアントワン・フークワが「疑惑自体、疑問」というスタンスなのは救われる。
ログインしてコメントを確認・投稿する