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2024年05月27日11:00

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心坐の時間

時間の単位とされています「度」は
深さの単位でもあります。坐で言いますと、
坐を行う時間も坐の状態の深まり度合いも「度」です。

林氏の坐のように、玄関を含むSラインを守窔し続ける場合は、
時間の経過とともに同じような変化が現われるのが感じられます。
ですから逆に、この状態なので何分ほど経過していると分かります。

私がお会いした頃の林氏は16度=64分×1回の形坐が日課でした。
ただし、1日24時間、可能な限り心坐守窔をするというスタイルで、
睡眠中に夢を見る事さえ修養にとって良くないと言われていました。

心坐は常に行うべきで、「行住坐臥の間に在りて、心は道を離れず、
神は窔を離れず」と定義されています。心坐を修する習慣に由って、
性が安定します。そして真霊が凝固して、息々が通じる訳ですね。

現代は、人の元霊のエネルギー状態の低下、それに伴う人心の混乱や
環境の悪化が進んでいる等の条件に対応するため、人身を持つ者には
心坐の効率が上がる方法である形坐が奨められているという経緯です。

生物は基本的に、卵の中や胎内に居る時間、冬眠の必要がある時間など、
環境に適応しなくてはならない時間は、修養の心坐と言えるような状態を
自然に行う仕組みになっているのが観察されます。人の胎児もそうですね。

また、生物の最期にも、心坐の極のような至福の安らぎが与えられています。
天地のシステムです。「天地は不仁」と謂われますけれど、実際には結構、
心地好い生存の場を提供して下さっていると思います。心坐ができれば。

医療や物理の面から見て、身体が驚異的な機能回復をするような場合も、
静黙の心坐が密接に関連しています。心坐しながらの仕事は安全性も高く、
効率も良く、恬淡で楽しいです。その意味でも心坐の習慣化は重要です。

と理解できても、心坐は中々習慣化でき難いですね。何故でしょうか?
その最大の要因は、自身の内ではなく外に多く気が散るからでしょう。
今の世界では特に、様々な外界の刺激が目を引き、足を引っ張ります。

「活の一誤」と言って、活発=元気で良いと一般に思われがちですが、
健康で好奇心の強い若年層などは、外にアクティブに行動し易いです。
働き盛りの壮年期にも色々用事があって静黙の時間がとりにくいです。

身体に問題がある場合は、それを先に整えるのにエネルギーが使われ、
真霊の修養にまで届きにくいので、坐の効果が中々感じられてきません。
ところが、外に気が散るのを抑えられるメリットがあると考えられます。

私の場合、心蔵の機能に違和感があった事に由って心坐を強制的に促され、
意識が玄関に向けられる瞬間が昼夜を問わず頻繁に訪れた時機がありました。
その事が修養する上で非常に有利、かつ必要な条件であったと今は思います。

それが善い結果になったのは、異常な事態でも驚かず慌てず、不安や恐怖を
全く感じなかった事が大きいと推測いたします。当時、私は先天炁について
既に学んで理論的に確信していましたので、不整脈が続いても平気でした。

また、心坐状態では、今起こっている現象が身体の改善に向かう過程なのか、
悪化方向なのか、感覚的に判別ができます。自己の心身が守られている事も
実感できます。そして、その静かな時間の価値が自然に感じられてきます。

それ故、不安も恐れも無く、炁が治療に来てくれるのが楽しみな程でした。
そうして、周囲には気付かれない日常生活を続ける内、次第に脈が安定して、
約3ヶ月で違和感は治まりました。数十年後の今も、未だ生きております。

「坐すれば全てを悟る」と経典にあります。易旨、つまり陰陽の変化現象が
何事でも実感として理解でき納得できてくるのですね。それは、炁の力であり、
自己の心君が教えてくれるとも言えるでしょう。坐の面白さ、不思議さです。

私は医療施設へ行きませんでしたので、その当時の詳細なデータはありません。
それ以前に倒れた時の目撃者も既に居ません。けれど、もし入院していましたら、
薬剤投与や外科的処置が為されて、坐の効果が十分発揮できなかったと思います。

胃腸などに問題のある場合も、薬剤は最小限にして、違和感を感じたら即ちに
心坐をして、それが回復してくるポジティブイメージを持って静かにさする、
などのケアを繰り返し実行しますと、不調が好転する可能性は大でしょう。

ただ、身体が回復して良好な健康状態になる事だけが善いとも限りません。
一時期的な身体より、真霊の完成と維持、更なる進化という未来が望ましい
と思う人にとっては、坐で得られる健康はおまけのようなものでしょう。

先の望日、ある青年が帰道されました。彼は心臓に問題があり、もしも
それが炁の修養で克服されれば、素晴らしい善例になり得る状況でした。
そういう結果にはなりませんでしたが、別の明るい善例になりました。

自己決断の刻限まで、十分に心坐真息のような静かな時間を堪能されて、
家族全員が見守る中、特別の救済サポートチーム要員の指示誘導に従って
光輝く通路を飛翔して無事に出発されました。本当に芽出度い事でした。

担当医師らは、その間の脈拍などの安定を不思議がっていたそうです。
見送った方達も皆それぞれ、静かな時間の中で、様々な想いが鎮まり、
様々な事に気付き、1度深く、1まわり大きな人になられたと思います。

実に、この世界は様々な体験の場ですね。それら一つ一つの物理的変化を
支え運営しているのが時間のシステムである、とも言えるかもしれません。
今現在という瞬間を目いっぱい有効に活用し、そして楽しみたいものです。

静かな時間は何よりも大事です。何よりも、と断言できるほど大事です。
その静かな時間を楽しみながら最大の恩恵を頂く方法が坐なのですね。
心坐、真息につながる真坐、心坐を強める形坐、心坐の奥の息坐・・・

心坐の時間を少しでも多く頂きましょう!!
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