2008年8月にテロ国家ロシアに侵攻され、今も領土の20%をロシアの占領下にあるジョージアは、奇妙にも親ロシアに転換し、ついには第2ロシアの道を歩むことに決めたようだ。
◎さらに個人への罰則を追記した「外国の代理人」法を可決
親ロシア派与党「ジョージアの夢」が圧倒的多数を占めるジョージア議会は14日、外国から資金提供を受けるNGOなどを「外国の代理人」と規定し、事実上のスパイとみなす法案(いわゆる「外国の代理人」法案)を可決した。
親欧米派のズラビシビリ大統領が拒否権を使ったが、ジョージアの夢は近々、議会で再議決して拒否権を覆す方針だ。来月上旬にも第2ロシア化となる法案が発効する見込みという。
むろん親欧米派の市民たち多数が、連日の反スパイ法デモを繰り返したが(下の写真の上は2日、下は12日のいずれも首都トビリシで)、親ロ政権は強引に可決した。
しかも14日の可決直前に、当局に要請に応じて特定の情報を提供しない個人に罰則を科す改悪まで盛り込み、可決した。提供を拒否した、すなわち親ロ政権のスパイになることを拒否した個人は、ジョージア国民の平均月給の2カ月半に当たる5000ラリ(約28万円)の罰金を科す。
◎「プーチンの代理人」が法案を強引に推進
これと似た法律は、2012年にロシアでいち早く導入され、プーチン政権を監視したり、人権を擁護したりするNGOやジャーナリズム機関が軒並み、外国の代理人、すなわち外国のスパイと認定され、プーチン強権体制をさらに強化されることになった。
ロシア混乱期に「オルガリヒ」としてロシアで巨富を築き、ジョージア政界でも事実上の支配者として影響力を振るうビジナ・イヴァニシヴィリ(写真)が3月、ロシアに倣ってこの法案の可決をジョージアの夢に強力に促していた。この来歴から、イヴァニシヴィリこそ「プーチンの代理人」と言える。
ジョージアでもスパイ法が導入されれば、市民的自由が逼塞する恐れが強い。
この法案に対しては、EUやアメリカは懸念を表明し、EUへの加盟候補国の資格を停止するという圧力も出していた。
それでも、親ロシア派のジョージアの夢のイラクリ・コバヒゼ(写真)政権は、強硬姿勢を緩めなかった。
◎ベラルーシに続くロシアの衛星国化を阻止せよ
スパイ法に反対する市民たちの最後の望みは、10月に行われるジョージア総選挙だ。この選挙でスパイ法に反対した野党勢が過半数を占めれば、スパイ法廃止・EU志向が可能となる。
ただ、イヴァニシヴィリに支配され強権的姿勢を強める親ロシア派政権が、自由で民主的な選挙を認めるかどうか分からない。強権で野党弾圧、選挙介入を進めれば、ジョージアはベラルーシに続くプーチン・ロシアの衛星国に転落する。
これ以上、ヨーロッパと世界に、強権国家を広げてはならないと強く思う。
☆これまでのジョージアの関連日記
・23年3月11日付日記:「テロリスト国家ロシアの周辺国に及ぶ不安定化の波(上):親ロ派政権ジョージアの大規模デモで反民主法案をつぶす」
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202303110000/
・22年9月30日付日記:「自国領土の一部がロシアに実質占領されているのに、ウクライナの側に立たないジョージアの闇」
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202209300000/ オルジョニキーゼ ドマニシ
追記 イランの旧型アメリカ製ヘリ「ベル212」15機は何のサポートもされず
3日前に書いたイスラム原理主義国家イラン大統領のライシらの乗ったヘリコプターが墜落し、ライシが死亡した日記に、以下を追記しておきたい。
墜落したヘリは、アメリカ製の「ベル212」だったが、これは最大12人乗りの中型ヘリで、ベトナム戦争時の軍用ヘリをベースに民需用に1960年代後半に開発された。日本でも海上保安庁が1973年から2015年まで運用していた。
イランは、イスラム革命後にアメリカと断交し、制裁を受けるようになったので、その前の友好国だったパーレビ王政時代の1960年代後半だった可能性が高い。現在、イランには15機のベル212があるという。
開発元のベル・テキストロン社は、自社はイランではいかなるビジネスもしておらず、イランの自社製ヘリにも全くサポートしていない、と述べている。イランはアメリカ製旧型機を、部品交換もせず、十分な整備もされずに使っていたようである。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202405260000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。
昨年の今日の日記:「函館の旅(16):プロテスタント墓地、そして『南部藩士の墓地』で北辺警備に動員された南部藩兵の悲劇を銘記」
https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202305260000/
ログインしてコメントを確認・投稿する