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2023年10月26日06:50

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今の日本「偉そうな人」にはもはや居場所がない

フラットな関係のなかで信頼を得られる人とは
『ユーモアは最強の武器である: スタンフォード大学ビジネススクール人気講義』より

佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト
2023/10/25 7:00

かつて、人々が思い描くリーダー像は、強くて偉そうな、ある種神格化された存在でしたが、権力が分散しヒエラルキーが消滅した現代社会では、弱さを見せられて、共感されるリーダーが求められています
日本の企業はなによりも「真面目」であることを大切にする。ところが、それとは対照的に、アップルやピクサー、グーグルのような企業は、なによりも「ユーモア」を大切にすることで、大きく成長している。
スタンフォード大学ビジネススクール教授のジェニファー・アーカー氏と、同校講師でエグゼクティブ・コーチのナオミ・バグドナス氏によれば、ユーモアにあふれる職場は心理的安全性をもたらし、信頼関係を築き、社員のやる気を高め、創造性を育むという。

「率いるより、下から支える」へ
リーダー像、特に、管理職像や男性像は著しく変わってきました。偉そうにしている強い人よりも、ちょっと弱みがある人のほうがいいという流れがあります。



社会的背景として、昭和の時代の「強いお父さん」がいなくなりました。団塊ジュニアや40代の中間管理職には、もう頭ごなしに怒るような人はいません。

昭和の時代は、「俺の背中を見て学べ」という感覚がありました。平成になると、管理職の仕事と言えば、資料を叩きながら、とにかく「ノルマをこなせ!」というイメージでした。

しかし、今の時代のマネジメントは、チーム力をうまく引き出すこと、やる気のない部下にどうやる気を出させるかなど、「率いるより、下から支える」という感覚に変わってきています。


■プレーヤーとマネージャーは異なるもの

プロスポーツの世界では、良きプレーヤーが必ずしも良き監督になれるわけではありません。同じように、優秀な営業マンだからといって、その人がその営業チームの優秀なマネジメントができるかというと、そうでもない。自分の何が優秀なのかを言語化できない天才肌の人もいるのです。

ベンチャー系の会社では、もはやマネージャーは社内で育成するものではなく、専門職として外部から呼ぶものだという考えも生まれています。

弱者が共感される時代
もう1つの社会背景として、弱者のほうが共感されるという現象です。

ここ10年ほど、インターネットでは「かわいそうな人ほど強い」という言葉が見られるようになりました。

例えば、トランスジェンダーとフェミニストが争って、どちらがより弱者かを競う「かわいそうランキング」があります。弱者のポジションをとったほうが、より上位になる。弱者でないと、多くの人から共感を得られず、お金も回らないという身も蓋もない状況があるわけです。

男性はかつて強者でしたが、40代や50代の就職氷河期世代は、非正規雇用のまま放置され、今では弱者です。しかし、男性だという理由でランキングには入れてもらえません。

『ユーモアは最強の武器である』には、ポジションが上がれば上がるほど、責任が重くなればなるほど、「あの人かわいそう」と思われるほうがチームが強くなると書かれていますが、このような社会背景に非常によくはまる話だと思います。

ヒエラルキーそのものが社会から消滅してきたことも、大きいですね。

20世紀前半の、2度の世界大戦に突入するという時代には、あらゆる力を戦争に注ぎ込むために、総動員体制を作り、国も企業もどんどん巨大化していきました。

しかし、大きな戦争のない状況になると、強い国、強い大企業というものは求められなくなります。21世紀のパワーバランスは、国や大企業だけでなく、NPOやインターネット上のインフルエンサーなどの個人にも分散していて、権力が散らばっているという構造ですね。


■日本人は強大なリーダーシップを嫌う

ヒエラルキー構造は、時代に合いません。人と人とがフラットに付き合って、新しいものを作ったり、ビジネスをやったりするほうがよいということになってきているのです。

強い権力者であるということが、何の役に立つのか、誰もわからなくなっているのですね。

この傾向は、日本において特に顕著です。

戦争中でも、「動かざること山の如し」のリーダーが賞賛されましたが、強大なリーダーシップを発揮しようとすると、みんなが怒り出すので、なるべくそうしないほうがよいという文化的伝統があるのです。

政治学者の片山杜秀さんの著書、『未完のファシズム』に詳しい話ですが、ファシズムが日本では完成しなかったことには理由があります。

江戸幕府では、将軍に権力を集中させると独裁政権化した際に困るということで、老中や年寄を置いて権力を分散させました。明治政府もそれを踏襲し、内閣や議会に権力が集中しないよう、軍の統帥権を独立させたわけです。

強力なリーダーシップを嫌う日本人こそ、弱みを見せながら、「みんなを支えるよ」と言っているほうがいい。この文化は本書の主張にもつながるところがあるでしょう。

SNS時代、リーダーは神格化されない
リーダーは、かつてはある種、神格化されていましたが、SNSの時代になって、それができなくなったという流れもあります。

例えば、2010年代ごろから、ミュージシャンやタレント、映画俳優などがSNSをやるようになり、それまで見えなかった私生活が見えるようになりました。これによって、ポップスターの神話が終わったのです。

マドンナなどの大スターが、SNSを駆使してファンと繋がり、これからのポップスターは神格化ではなく、いかにファンと絆を強くするかだとも言われました。

神格化がされなくなった時代において、どうすれば信頼を得ることができるのか。本書は、そんな大きなテーマとも繋がっているのではないでしょうか。


■相手をいじる笑いと、立場の問題

自分より地位の低い人を笑いものにするのはよくないという話が書かれていますが、これを読んで、風刺とはなにかという話を思い出しました。

2015年に、シャルリー・エブド襲撃事件が起きました。フランスの風刺週刊紙『シャルリー・エブド』がイスラム教の預言者ムハンマドを笑いものにする風刺画を掲載し、イスラム過激派のテロリストが本社に乱入、たくさんの人が亡くなった事件です。

『シャルリー・エブド』は、これは風刺画だから正しいのだと論陣を張りましたが、当時のフランスには、白人のフランス人が強者、イスラム教徒は弱者という位置関係にありました。

テロはいけないことですが、一方で、あの風刺画を新聞に載せたことが、本当によかったのかという議論も起きているのです。

相手との関係性に注意しよう
何かを笑いものにするときは、自分自身であることがいちばんよいのですが、そうでない場合、相手が自分とどういう関係なのかを常に意識しておいたほうがよいと僕は思います。

とは言え、立場が上の人を笑いものにするというのも、相手の耳に入ったときに、笑いで済むかどうかという問題もあります。社内の評判が、LINE経由でたちまち広まってしまうということはよくある話です。

必ずしも社内の人間を笑いものにしてはいけないというわけではありませんが、その関係性には、敏感になる必要があるでしょう。

(後編に続く)

(構成:泉美木蘭)


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